第32回 「越後潜入」 8月12日放送

 山本勘助は、越後の上杉謙信の元に潜入しました。実際の山本勘助が、上杉謙信にあったことがあるのか、ないのかは分かりませんが、浪人時代にあっていたらいいと思いますし、まだ、上杉家と武田家が、敵対していない時に、お忍びで、密かに会っていた可能性もあると思います。

その時、山本勘助が、上杉謙信を、どう評価していたか、分かったらとても面白かったと思いますが、前にも書きましたが、上杉謙信との戦は、絶対に避けるべきだったと思います。上杉謙信が、強いと分かっているのに、それでも戦を仕掛けたこと、これが、山本勘助や、信玄の大きな失策だと思うのです。でも、それは今からみれば分かる事で、その当時は、なかなか分からなかったと思います。

 さて、今回のドラマでは、信玄が、最後に経験した、一番大きな敗戦、戸石崩れが起きています。信玄は、この戸石城の戦いで、再び、村上義信に敗れていますが、約千名の兵を亡くしているのです。

 しかし、何故、敗れたのかは、はっきりとは分かっていません。高梨城を攻めていると見せかけていた村上義清の策に乗ってしまったとか、いろいろ言われていますが、やはり最大の失策は、信玄のおごりだったと思います。その前の戦で、戦わずに。小笠原氏を、中信の林城から追い出して、少し調子に乗っていたのです。それで、難攻不落の戸石城を攻めて、攻め落とせない内に、村上勢が来て、戦線が崩れてしまったのだと思います。

 だけど、これで信玄は、戦に関しては、おごりがなくなりました。大きく勝利した後の慢心を持つことはなくなったのです。それを、井沢元彦さんが、山本勘助と信玄のことを書いた野望という題名の小説では、再び、信玄が、おごりから、戦で敗戦することは、戸石城でなくなった千名の御霊が許さないと、軍師、山本勘助に言わせています。信玄は、千名の兵を、自分の失策で、失ったことで、もう二度と、戦で勝利しても、おごることがない、真の名将になれたのです。

 そうしないと、亡くなった武田家の御霊が許しませんでしたし、信玄自身も、板垣信方や甘利虎泰や、戸石崩れでなくなった御霊を思い出す為に、自分を自戒したのです。きっと、神仏だけでなく、信玄と武田家の御霊の間にも、本人以外には理解できないすばらしい関係があったと思います。

 だから信玄は、「戦の勝ちと言うものは、五分を上とし、七分を中とし、十分を下とするのだ」という名言を後に作っています。「人は城、人は石垣、人は掘、情けは味方、仇は敵」と匹敵する信玄の名言です。信玄は、敗戦によって、強くなったのです。是非、そんな信玄の活躍を、これからも楽しみにしたいと思います。

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