第38回「村上討伐」9月23日放送

村上義清が、領地である北信から、越後の上杉謙信を頼って出ました。信玄公を二度も破っているのにです。戦では負けていないのに、いつの間にか、追い詰められ、最後は、兵が集まらず、戦うこともできないまま、北信を逃れたのです。とても悔しかっただろうと思います。

またそんな村上義清ですが、信玄公を二度も破っています。信玄公が、負け戦を経験するのは、この二度の戦いだけです。信玄を唯一破った男。それも二度も破った男。その称号は、絶対に忘れてはいけないと思います。村上義清は、老将ながら、大した男だったのです。

しかし、そんな村上義清ですが、上杉家に逃れてからは、上杉家の家臣になり、そんなに大きくは活躍していません。それで歴史上では忘れられています。でも、インターネットで調べたら、信玄公がなくなる五ヶ月前に、越後の根知城で病死しているそうです。

だけど、その思いは、嫡男、国清が、御館の乱で活躍して、景勝から山浦景国と名乗ることが許された後、武田家が滅亡した時に、一時叶うことになります。武田家が滅亡した後、海津城は、上杉家のものになり、山浦景国が城主となって、父の旧領を回復しているのです。菊自身、とてもよかったと思います。

ただ、ここで、菊が言いたいのは、信玄公と村上義清ですが、どちらが武将として優れていたといえば、結果的に勝利した信玄公が、優れていたとはいえないということです。いえ、もし、村上義清が、甲斐の武田家に生まれて、領主として活躍できたら、もしかしたら、信玄以上の名将になっていたかもしれないのです。

何故なら、村上義清が、武田家に負けたのは、信玄との知恵比べに負けたのではなく、武田家の金山、金に負けたことが大きかったからです。村上義清自身も、悔しまぎれに、自分は、武田家の金に負けたと言ったそうですが、的を得た言葉だと思います。甲斐一国を支配し、信濃の諏訪、小県、伊奈などの信濃の一部を得た武田家と、北信地方を押さえていただけの村上義清では、経済力が違いすぎました。特に、武田家の金山のような、お金を持てなかったことは、武将としては、ハンディが大きすぎたのです。

でも、村上義清や、真田幸隆、上杉憲政を最後まで支えた忠臣、長野業正に、武田家と同じ領地や金山が与えていたら、天が、そんな定めに、つけていたら、歴史は違って、信玄公は、敗れて家臣になったり、追放されていたりしたかも知れません。歴史が逆転して、名前が、残せなかったのかもしれないのです。その事は、声を大にして、信濃の領地回復を念願として、最後まで戦った村上義清や、多くの名将になれなかった武将の事を願いながら、皆さんにお知らせしたいと思います。

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