第39回「川中島!竜虎激突」 9月30日放送

 いよいよ川中島の戦いが始まりました。越後の龍、上杉謙信と、甲斐の虎、武田信玄の戦いです、川中島の戦いと言ったら、上杉謙信と武田信玄の一騎討ちが、有名ですが、戦は、一回だけでありません。はっきりと分かっているだけで、五回戦われています。

 その内、武田信玄公と上杉謙信の一騎討ちは、四回目の戦いで、歴史に残る激戦でした。この時に、信玄公の弟、信繁公や、山本勘助など、多くの武田家の有力な家臣が亡くなっています。上杉家の有力な家臣は、この戦いで亡くなっているわけではないので、武田家にとっては、実に大きな痛手になりました。戦地から逃げたのは、上杉軍なので、戦いは、武田軍の勝利といえますが、山本勘助、武田家の副将、信繁公を亡くしたことは、後々大きな痛手になりました。信玄公が病死で亡くなった後も、信繁公が生きていたらと、前世、武田勝頼の魂を持つ、菊としては、今でも思わずにはいられないのです。

 また、そんな川中島の戦いですが、激しく戦ったのは、この四回目の戦いだけで、後は、前哨戦、小競り合いの戦いもあっても、両者ががっぷり四つに組んだことはありませんでした。信玄は、上杉謙信が、領地ではなく、自分の首を狙っていることを承知していて、あえて、本格的な戦いは避けていたのです。

 しかし、信玄公は、上杉謙信公と、直接、川中島で戦おうとしなくても、影で、戦略で常に戦っていました。上杉謙信公が、川中島に来たら、あえて戦いを避けて、領地を占領されても我慢して、上杉謙信公が撤退したら、再び川中島を支配するという戦略を選んだのです。

 しかも上杉謙信との戦いを有利にする為に、共に戦う北条家と手を結ぶ為に、有名な武田、今川、北条の三国同盟を結んだりしましたし、上杉家の家臣に手を伸ばして、越後に内応させました。常に、川中島の戦いが、始まる前に、上杉謙信公を苦しめました。越後の隣の、越中では、一向衆とも手を結んで、越後を封じ込めることに成功したのです。

 だから川中島の戦いは、戦略の信玄、戦術の謙信と言えます。常に、戦略で戦っていた信玄公が有利だったのです。でも、上杉謙信にも戦略がなかったわけではありません。上杉謙信に、天にお任せという戦略がありました。関東管領になったのも、その一つですし、二度も上洛したのも、その一つです。

特に、上杉憲政から、関東管領職を得られたのは、賛否両論ありますが、この時期の謙信公にとって大きかったです。関東で、大軍を動かす地位を得られた為に、信玄公は、川中島で、正面から戦わないといけない立場に追い遣られたのです。是非、そんな視点で、これからの戦いを楽しんで頂けたらと思いますし、菊も、背景にいる多くの御霊さんと、お酒でも飲みながら、大河ドラマ「風林火山」を楽しみたいと思います。

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