井沢元彦さんの「英傑の日本史シリーズ」
風林火山編  山本勘助


井沢元彦さんの本 英傑の日本史シリーズ」風林火山編を紹介しました。菊は、今、時々、この本を読みながら武田家の済度をさせて頂いています。この本では、山本勘助から始まって、合計、39人の武田家の武将が登場しました。その中には、高坂弾正、山県昌景、内藤昌豊、馬場信春という武田家の四重臣のエピソードも紹介されていますが、それだけでなく、菊の知らない人物もいます。

この本を、何気なく開けながら、そのページで書かれている武将の事を思いながら、その武将にありがとうございますの感謝の波動や、冥福を祈ってあげること、菊の武田家済度です。これからも、菊のバイブル書の一つにして、続けたいと思います。

また、この本は、内容を見ても、本当にすばらしいです。菊自身、知っていることも多く書かれていますが、知らないことや、ハットすることも書かれています。是非、武田好きの皆さんには、推薦したいと思います。

そしてその中で、菊が、一つ、本当にハットしたのは、山本勘助のことでした。山本勘助は、甲陽軍鑑では、信玄の軍師として活躍したと書かれていますが、他に、山本勘助の名前が出てくる、武田家の資料がないので、架空説、本当は、実在しなかったのではないかと、研究者の間で、ずっと思われていたことは、有名な話です。近年、NHKの大河ドラマ「天と地」で、上杉謙信、武田信玄が、放送された時に、そのテレビを見た視聴の方から、山本菅助と、信玄が書いた文章が出てきたことで、その説は消えましたが、山本勘助は、軍師ではなく、ただの足軽大将、使い走りだった、山本勘助軽輩説が唱えられていたのです。

しかも甲陽軍鑑は、高坂弾正を書いたものを、甥の春日惣次郎が補訂し、武田家の家臣の子孫である、小幡景憲という人物が、江戸時代完成させたものなので、小幡景憲という人物が、大幅に書き換えたといえば言えます。菊自身、山本勘助軽輩説、否定はできないと思っていたのです。

しかし、井沢元彦さんは、そんな説を一掃してくれました。小幡景憲が、甲陽軍鑑を書いたのは、江戸時代の初期で、武田家が滅亡しても、信玄、勝頼に仕えた、その分家筋や、旧家臣は、まだ、たくさん生きていたというのです。

だから、この時期に、小幡景憲が、存在もしなかった山本勘助を登場させたり、ただの家臣だった山本勘助を、軍師として活躍させたりしたら、武田家の家臣が、黙っているはずがないと言うのです。それが、真実だから、武田家の家臣も、その事を聞いているから、甲陽軍鑑が、世間に広がるのを、当然のように認めたというのです。

これには菊自身も、納得しました。その通りだと思います。井沢元彦さんは、多くの武田家の研究者が、いろいろくだらないことを言っていたのを、一発で否定してくれたのです。これには、信玄、山本勘助と一緒に、生きていた武田家の御霊達も、祝杯をあげたと思います。本当に、井沢元彦先生ありがとうございますです。

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