第42回 「軍師と軍神」 10月21日放送 
山本勘助の妻にありがとうございます


 山本勘助が、山本家を存続させる決心をしました。風林火山のドラマでは、鬼美濃こと、原虎胤の娘、リツを養生にする決心をしたのです。菊自身、それは、本当なのか、どうかは分かりませんが、山本勘助が、山本家を存続させる決心をしてくれたことは、本当によかったと思います。

 何故なら、このまま、山本家が、存続しなかったら、山本勘助の名は、この世に残らなかった可能性があるからです。山本勘助の名前は、甲陽軍鑑のおかげで、江戸時代までは、有名でしたが、明治になってからは、その存在自身、否定されていました。甲陽軍鑑以外の、武田家の資料には、山本勘助の名前が、一つもなかったからです。

 しかし、それは、戦後、信玄が、信濃の武将に、山本勘助という使者を派遣したという文面が発見されたことや、今までずっとひっそりと隠れていた山本家の屋敷や、山本勘助の墓が、見つかったことで、覆りました。山本家が、あったことが、大きな証拠になったのです。

 だから、菊は、山本勘助の子孫、山本家の御霊さん達にも、深く感謝しています。山本勘助は、もうすぐ、第四回目の川中島の戦いで亡くなることになるので、リツが、山本勘助と一緒に暮らした期間は、非常に短かったことになります。その後、当主がいなくなった山本家に、いろんな苦労があったのではないかと思います。特に、山本家は、その後、ずっと歴史に登場していません。

 徳川家康が、甲斐、信濃を領地にした時も、武士として、召抱えられていません。詳しい事は分かりませんが、多分、何人もの百姓を抱えた、有力な庄屋の道を選んだのだと思います。山本勘助の残した領地、八百貫文、(八千石)は、ものすごくいきたのです。本当に、よかったと思います。

 しかし、一つだけ、菊が、残念なことはあります。それは、風林火山のドラマでは、リツは、山本勘助の妻でなく、養女だということです。菊としては、やはり、まだ幼いといっても、原虎胤の娘さんには、山本勘助の妻にしてあげたかったです。

 というのも、山本勘助に、妻や養女がいたかは、よく分かっていません。でも、今川家で、仕官を探していた時は、独身だったはずです。それが、信玄の元で、山本勘助は、山本家を持つことができました。しかも、養子かもしれませんが、長篠の戦で亡くなっていますが、山本勘蔵という子供が、いたことは分かっています。
その事で考えても、信玄は、高齢で、片目、びっこを引いている、普通なら、女性が、寄り付かない山本勘助に、山本家を存続できるように、本当に暖かい気配りで、若い、綺麗な、しっかりした、ちゃんと身分もはっきりした、家臣の娘を、妻として与えたのではないかと思うのです。それが、今、山本家があることで、良く分かるのです。

 そして、山本勘助も、ドラマと同じように、主君、信玄に、心から尽くす為に、家族、妻や子供を、最初は持とうとはしませんでしたが、主君の命令ということで、結婚する事に、しぶしぶなったと思います。それが、板垣信方の娘とか、原虎胤の娘とか、いろんな説がありますが、菊としては、山本勘助は、甲斐に来てから、妻にも恵まれて、とても幸せだと思いますし、山本勘助は、軍師として生きる為に、妻子は持たなかったとは思いたくないです。菊は、山本勘助には、本当に幸せなまま、川中島で、戦死して欲しいのです。是非、皆さんと、一緒に、山本勘助の幸福を願いたいと思います。

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