大河ドラマ 第7話 「晴信初陣」 

 戦国時代の武将にとって初陣とは、とても大切なことです。初めて戦に出た時に、どんな活躍をするかを重要視するのは、日本人的だと思いますが、日本では、初陣には何か、大きな手柄を、求められるのです。

 しかも、それが、家を継ぐ嫡男といえば、なおさらです。菊の前世、武田勝頼の初陣は、少し年齢的に遅く、西上野の箕輪城攻めの時だったそうです。でも、本当のところはよく分かっていませんが、川中島の第4回目の戦いが終った後の、西上野攻めの時期だったのは、間違いないと思います。

また勝頼も、やはり、初陣と言うことで、何か手柄をということになったみたいです。勝頼自身というよりも、家臣が、そう思うのです。

 その中で、見事に勝頼も初陣を果たしています。今の菊の性格からはとても考えられませんが、血気盛んで、敵の兵と一騎打ちで戦って、やっつけていますし、箕輪城を落とす事にも貢献しています。新田次郎の小説「武田信玄」によれば、兵を率いる武将として、策を考えて、城を落としているのです。

 しかしこれは、勝頼の手柄というよりも、家臣の手柄です。武田家の家臣が、勝頼に、何とか手柄を立てさせようとして、策を考え、勝頼に実行させています。

 そんな中で、武田晴信の初陣は、海ノ口城の戦いということになっています。ドラマを見た人なら分かると思いますが、信虎が、甲斐の全軍、8千で攻めても、落とせなかった、3千の兵で守っている海ノ口城を、晴信は、雪が降って、撤退ということになったとき、殿を引き受けて、わずか、3百の兵を率いて、武田軍が撤退したということで、油断している海ノ口城に、取って返して、奇襲して、武将の平賀源心の首も上げています。見事に城を落としているのです。

 だけど、これは、実際にあったのかどうかは、はっきりとは分かっていませんし、晴信の策だったのか、家臣の板垣信方などの策だったのかも分かっていません。高坂弾正が残した、甲陽軍鑑にはそう書かれていますが、実際の事はよく分かっていないそうです。
 もし、それが本当なら、信虎が、どう評価しようが、晴信の名声は、この時に轟いていると思うのです。

 だから何とか、信玄を輝かせたいということで、後に作られた話だという可能性もあるのです。でも、菊は、この初陣の話は信じたいと思いますし、詳しく、描かれてよかったと思います。
 
何故なら、あまり信玄の初陣の話は、ドラマにされたこともありませんでした。新田次郎で書かれた武田信玄でも、信虎を追放した時からで、初陣の事は書かれていないのです。
 それだけに、すばらしいと思いますし、平賀源心にしても、本当に存在したのか、どうかも分かっていないそうですが、後にお墓までできています。信玄の初陣の場所ということで、ずっと語られていたのです。

 ですから、菊は、平賀源心さんの御霊も、今は、許してくれていると思いたいです。実際に、海ノ口城で、武田軍と戦いがあったのは事実なので、戦った兵の御霊さんにも、ご苦労様といいたいです。

歴史では、平賀源心は、佐久の海ノ口城(長野県南佐久郡南牧村)に加勢に来ていた武将で、怪力無双、四尺三寸の大太刀を振り回す勇将であるとされています。城兵も、武田軍を一歩も城に近づかせなかった兵達です。今は、信玄の初陣ということで、ずっと、この武田家日記を通しても、忍ばせて頂きたいと思います。ありがとうございます。

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