2007年4月7日の信玄公祭りに行ってきました

 4月6日の深夜、大坂から、山梨の甲府まで、高速バスで走っていました。7日に行われる信玄公祭りに、前世、武田家の仲間と参加する為です。それで、菊は、翌日の日曜日、お仕事なので、高速バスのトンボ帰りというハードなスケジュールでしたが、久しぶりに、高速バスに乗ったのです。

 また、この信玄公祭り面白かったです。信玄公祭り自体は、毎年、信玄公がなくなる4月12日の前や、当日、甲府や、山梨のいろんなところで行われていることは知っていましたが、菊自身、今までは関心それほどありませんでした。ただ、祭りに参加したからと言って、ちゃんと御霊のことを願わなかったら、参加する意味は、少しもないと思っていたからです。

 でも、そんな菊も、去年から、職場の行き、帰りに、地元の曽根神社や、黒鳥山公園の慰霊の塔に、ご挨拶や、慰霊の思いを届けるようになってから、意識が変わりました。多くの人が、理解できる形のあるものを大切だと思ったのです。今なら、靖国神社も、必要だと思います。

 だから、今なら信玄公祭りの意義も分ります。地元の人達が、ボランティアで、戦国時代に活躍した武田家の武将達がつけていた甲冑を着たり、槍を持ったりして、甲府の市内を歩くことも大きな意味があると思います。

 その甲冑を着たり、槍を持っている人は、少なくても、その武将になりきっているはずですし、信玄公祭りを見ている多くの人も、戦国時代、日本で最強といわれていた武田家の兵に対して、いろんな思いを持ったと思います。その波動は、武田家の御霊にも、少しは届いたと確信しています。少なくても、信玄公祭りの時には、多くの武田家の御霊も集まって、甲冑を着ている人の中に入ったり、背景にいて、見ていていたりしていたと思います。楽しんでいたと思うのです。

 ですから、今の菊は、信玄公祭り大いに意味ある事だと思っています。来年、再び、参加するか、しないかは分りませんが、参加してよかったです。目に見えない武田家の御霊に呼んで頂いて気がするのです。

 しかも信玄公祭り、迫力少しはありました。実際の戦に行く時には、祭りとは比較にならないと思いますが、鉄砲の音が、何発もしたり、市内なのに、馬も何十頭も出てきたりしました。甲冑や着物を着た、信玄公祭りに参加した、3000名の人の兵が歩く時には、途中で、御屋形様に、敬礼と言うことで、大きな掛け声も出していました。

 勇敢で、命がけで戦っていた武田家の御霊からしたら、はっきり言って気合がまったくない掛け声なので、舐めているのかと怒られそうですが、あの当時、戦に出た武田武士団の模様を、忠実に再現させたかったという、現在の人達の思いは、470年以上も前の、武田家の御霊にも、波動なので、長い年月を一気に飛び越えて、伝わったと思うのです。

蔦さん   2007年04月18日
文化を残す事は、現世の我々にとって意味のあるものですし、前世で御縁あった人達とは、またそこで出会える事でしょう。
お疲れ様でした。

菊   2007年04月19日
蔦さんありがとうございます。
是非、今度は蔦さんもご参加下さい。
きっと、蔦さんとも、前世何かの繋がりがあると思っています。

人が生まれた時に、持っている性格や運勢が分かります。
これは、はっきり言って、すごいです

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