縁の花
(21世紀に咲く智閥の花)
菊の官能日記
∞「第11章 沖縄の旅一日目」∞
「6月23日 沖縄平和公園 慰霊祭」
その後、二人は、多くの英霊が待つ、摩文仁の丘にすぐに駆けつけました。
そこには、たくさんの慰霊塔、1府30県の慰霊塔や、戦争で亡くなった人達の慰霊塔がありました。
菊は、一つ、一つの慰霊塔のある場所の大きさに驚いてしまいました、
縦、横、百メートルちかくありました。
菊は、そんなに広いとは思いませんでした。
インターネットで調べていても、実感できなかったのです。
また、それは彼女も同じでした。
彼女も、小さい時、一度か二度、行った事があるだけだったのです。
こんなに広かったとは思わなかったそうなのです。
菊と彼女は、そんな日米の軍が、激しく戦ったという摩文仁の丘にある、多くの各県の慰霊塔、一つ、一つを訪れました
すべての慰霊塔に、ご挨拶しました
命がけで、戦いをされた英霊に、感謝しました。
なくなってしまった英霊に、慰めの言葉をかけました。
今も、摩文仁の丘にいる英霊、今日、摩文仁の丘に来ている英霊のご冥福を願いました。
成仏されることをお祈りしたのです。
その上で、菊と彼女は、大阪などの、二人が、特に、ご縁を感じた場所の慰霊塔には、二人で考えていた、「戦艦大和と沖縄の英霊にありがとうございます」の奉納の紙を封筒にいれたものを置いていきました。
その奉納の紙には、二人で考えた、23個の言葉が詰まっていました。
6月23日なので、二人は23個の言霊にしたのです。
1、戦艦大和、武蔵、世界最大の戦艦として、平和を築く為に誕生して頂いてありがとうございます。
2、戦艦大和に乗っていた3333名の兵士の皆さん、沖縄を救う為に、死ぬ覚悟で、片道で特攻して頂いてありがとうございます。
5、戦艦大和の三千の英霊達、日本人が失った、志、大和魂を思い出させて頂いてありがとうございます。
10、日本の戦死者、7万五千人以上、民間人、九万から十二万人以上、米国の戦死者7613名、死傷者、31807名、精神病になった人も、26211名、二〇万人以上の沖縄で戦った日米の英霊達、皆さんの尊い犠牲によって、日本の本土侵攻、オリンピック作戦が中止になりました、ありがとうございます。
21、沖縄の英霊、21世紀以降も、沖縄を永久に平和にして頂いてありがとうございます
23、沖縄の英霊、平和的にすべての米軍を沖縄から撤退させ、沖縄を真の平和にして頂いてありがとうございます。・・・・・
「縁の花 戦艦大和と沖縄の奉納ありがとうございます」
二人は、奉納の紙には、二人の英霊に対する思いが入っていると確信していました。
二人は、奉納の紙には、二人の英霊に対する愛が、入っていると信じていました。
二人は、奉納の紙には、二人の英霊に対する尊敬の念が入っていると確信していました。
二人は、奉納の紙には、二人の英霊に対して、成仏して欲しいという願いが入っていると信じていました。
菊と彼女は、本気で、心を込めて、慰霊塔に奉納したのです。
そんな慰霊塔には、殆ど、誰もいませんでした。
2時間、3時間までの慰霊祭が行われていた時なら、たくさんの人で一杯だったと思います。
菊と彼女は、そのことに感謝しました。
遅れてきたことに、ありがとうございますしました。
これも、英霊達のお導きだと思ったのです。
だから、二人は、各慰霊塔に、静かに二人だけで祈れました。
6月の晴天の沖縄、3時間ちかく、各慰霊塔を回るのは、大変でしたが、二人には苦痛ではありませんでした。
すべての慰霊塔を、何時間かけても、周りたいという思いだけで一杯だったのです。
ただ、菊自身は、英霊の存在は、感じませんでした。
男性の兵士達が中心の英霊は、男性の菊は、それほど、歓迎してくれなかったのかもしれないのです。
だけど、彼女は違ったみたいです。
兵士達は、女性の彼女を歓迎したみたいです。
彼女の訪問を喜んでくれたみたいです。
彼女の言葉に、癒されたみたいです。
彼女の成仏して欲しいという気持ちに動かれたみたいです。
彼女は、英霊が喜んだのが分かったのです。
彼女は、英霊が癒されたのが分かったのです。
彼女は、英霊が、霊界に帰る気になったのが分かりました。
大いなる存在、究極の創造主が、菊と彼女の願い、戻りたがっている英霊達を、霊界に帰らせてくれているのが分かったというのです。
だから、彼女は、少し大変でした。
英霊達が、彼女に頼ってきたみたいだったのです。
菊は、その事を彼女に教わって、英霊達が、ここにいることを確信しました。
英霊達は、女性のほうがいいのだと素直に思ったのです。
それで、菊と彼女は、ここでも途中から、手を握りながら歩きました。
彼女が、それを求めたのです。
そうしたら、彼女の負担が軽くなりました。
英霊達が、男女の愛のエネルギーに、喜ぶのが分かったそうです。
英霊達が、好きな女性と、こうして歩きたかったと、心底、思っていたことが分かったそうです。
それを、身体を通して、媒体になっている菊の存在にも、心から感謝していてくれることが分かったというのです。
こうして、二人の、平和祈念公園、摩文仁の丘での慰霊は終りました。
二人にとっては、忘れられない思い出になりました。
「天皇の真実」の河内正臣先生が、初めて、沖縄に行き、摩文仁の丘に立った時には、たくさんの英霊達が来るのを感じたそうですが、菊には、そんな体験なくても、やはり、彼女と一緒に歩いたことは、一緒の思い出になりました。
菊は、彼女と、摩文仁の丘にいる英霊達に「ありがとうございます」すると、その場を去ったのです。
「ひめゆりの塔」
少し、平和祈念公園にある平和記念資料館を見学した二人が、再び、彼女の運転で、行ったのは、有名な「ひめゆりの塔」のある博物館でした。
菊も彼女も、ここはどうしても行きたかったのです。
だけど、菊と彼女が、着いた時には、ひめゆりの塔の博物館はしまっていました。
来るのが遅かったのです。
でも、菊と彼女には、関係ありませんでした。
博物館に入れなくても、二人が来たことは、波動で伝わります。
二人は、ひめゆり塔にいる女性達、少女達を慰霊させて頂いたのです。
また、菊と彼女は、映画やドラマで放送される「ひめゆりの塔」だけが、真実ではないと思っていました。
ひめゆりの塔として知られる従軍看護婦として亡くなった少女達は、高等学校の行く年代でした。
十分に、恋ができる年代でした。
大人でした。
そんな女性達が、兵士の人達と、生死の極限の中で、供にいました。
兵士の中には、もうすぐ死ぬ事を自覚した人達も、多かったです。
従軍看護婦として活躍した女性の人達にも、この兵士達は、もうすぐ戦って死ぬことが分かっていたと思います。
だから、兵士さん達の血、泥の切り刻まれた体を看護することで、どんなことでもしようと思ったはずです。
私達は、きれいな肉体、血のにじむような思いに比べれば、私達は悲劇ではないと思ったはずです。
自分達の行く末のことは考えていない兵士さん達の苦しみに比べたら、自分達の感情を押し殺していたと思います。
本当は辛かった、口に出す事はできなかった兵士さんたちに比べたらと我慢してきたが、辛かった。早く帰りたかったと思います。
ひめゆりの塔の少女達は、そんな中でも、強い信念と誇りと自信もって、行動したはずです。
その少女の人達の中には、生死がかかっている極限状態に男女が置かれていた人達もいたと思います。
明日、死ぬかもしれない兵士に、自分にできる最大なこと、癒してあげたいと思った少女達もいたと思います。
そんな中で、恋人とのセックスではない、ボランティアのセックスがあったかもしれません。
兵士に望まれたら、応じた少女もいたと思うのです。
彼女は、そんなひめゆりの塔の少女達に、心からの尊敬と感謝の波動を送りたいと思っていました。
彼女は、昔、そんな話を、聞いたことがあったのです。
その時、自分ならできるだろうかと彼女は、思いながらも、してあげられる女性になりたいと思ったというのです。
菊は、そんな彼女が、大好きでした。
そんなひめゆりの塔の少女達が大好きでした。
菊と彼女は、手を握り、もう戦争はないですよ。
本当に好きな女性、男性と恋愛できますよ。
愛し合えます。
早く、再び、生まれ変わって下さい。
成仏して下さいねと祈りました。
究極の神様に、ひめゆりの学徒として、まだ、この世に存在している少女達が、あの世に帰れるようにして下さいとお願いしたのです。
「魂魄の塔・戦艦大和の英霊」
ひめゆりの塔を出た菊と彼女は、今度は、魂魄の塔というところに行きました。
この魂魄の塔は、彼女が、新聞の記事で探していました。
ひめゆりの塔から、そんなに離れていない米須という場所にあります。
この米須の土地でも、激しい戦いが行われて、多くの人の骨、骸骨が出て来たそうです。
それで、この地域の人が、慰霊塔を作って、成仏を願ったそうです。
毎年、慰霊するようになったのです。
それは、沖縄で、平和祈念公園ができ、慰霊祭が行われるずっとずっと前の事です。
ここで、慰霊祭が、民間レベルでされるようになった事が、沖縄全体で広がり、平和祈念公園が、
誕生するようになったのです。
菊と彼女は、その事を、新聞で聞いて感動しました。
ここが、本当の慰霊の場所だと思いました。
是非、行きたいと思ったのです。
そんな魂魄の塔は、すぐに分かりました。
土地勘がないので、もしかしたら見つけられないと思っていましたが、スットいけました。
まるで、多くの英霊に導かれている気がしたのです。
その魂魄の塔は、平和祈念公園にある、慰霊塔を縮小した感じでした。
何個かの慰霊塔もあったのです。
でも菊と彼女が感動したのは、中央にある大きな全体の慰霊塔でした。
ここには、たくさんの花が、供えられていました。
菊の花もたくさんありました。
菊は、それを見て感動しました。
平和祈念公園よりも、こちらの慰霊祭の方が、多くの英霊喜ぶと思いました。
もっと真剣に慰霊していると思いました。
そんな真心は、必ず伝わっていると確信しました。
そんな慰霊祭に参加できて、心からよかったと思ったのです。
だから、菊と彼女は、ここでも慰霊させて頂きました。
米須で、魂魄の塔を造り、慰霊祭をして頂いた民間の人達にありがとうございますしました。
この人達がいなかったら、平和祈念公園も、慰霊祭も行われていなかったと思います。
二人は、そのことに感謝しながら、英霊達や、沖縄で亡くなった多くの民間の人達の冥福を祈っ
たのです。
しかも、魂魄の塔の一つには、大和という慰霊の塔ありました。
奈良県の死んだ兵士達を、慰霊するように建てられたものでしょうが、菊には、戦艦大和の3千
柱の英霊達のことを浮かばれました。
大和民族としてなくなった日本人、全体の事もイメージできました。
だから菊と彼女は、ここに大和の慰霊塔ある事に、深く、深く、感謝しました。
英霊達の導きを感じました。
今、ここに、戦艦大和の英霊が、来てくれていると確信しました。
何体かは、自縛していた大和の英霊が、菊と彼女と一緒に、ここまで来てくれたことを感じたのです。
それで、菊と彼女は、大和の慰霊塔見た時は、頷きあいました。
感動しあいました。
少しハグして喜び合いました
二人で、戦艦大和の英霊を意識して祈ったのです。
菊は、この中で、大和の英霊達に、いろんな事言いました。
やっと、沖縄の土地に、こられましたねと声をかけました。
沖縄は、本当に平和ですよと安心させました。
今まで、ご苦労様でしたとねぎらいました。
その上で、多くの大和の英霊達が待っている霊界に戻ることを勧めました。
そうなることを、天に必死でお願いました。
菊と彼女は、戦艦大和の英霊の成仏を願ったのです。
こうして、二人の戦場の慰霊は終りました。
単なる慰霊だけなら、多くの人が、この日にしています。
戦争に直接に係わった、戦後60年以上、生きた身内の人も、心からしています。
だから菊と彼女は、ここで、戦場の慰霊は終えることにしました。
今からは、菊と彼女の慰霊、多くの英霊や、民間人で、戦争でなくなった多くの御霊に、二人のラブ、幸せの波動を送ることにしたのです。
「斎場御嶽」(せいふぁうたき)
戦場の慰霊を終えた後、菊と彼女が行ったのは、世界遺産の一つ、「斎場御嶽」でした。
この「斎場御嶽」は、アマミキヨ【琉球人の祖先】がつくった国始めの七御嶽の一つといわれる
琉球最高の聖域です。
何でも琉球王統第二尚氏第三代の尚真により本島最高の聖域として整備された祭祀場だそうです。
琉球王国時代、国の最高女神官である「聞得大君」の就任式が行われた場所であり、旧2月・4月には、国王自ら参拝した由緒ある聖地であります。
「せーふぁ」とは「霊位の高い聖なる場所」という意味があるのです。
古代の琉球人にとって、儀式に欠かせない崇敬の地だったのです。
菊と彼女は、その斎場御嶽を、手を握りながら歩きました。
周りには、一組のカップルしかいませんでした。
そこを、彼女と、ゆっくり歩いたのです。
また菊と彼女は、斎場御嶽を歩きながら、この沖縄の地にずっと住んでいた琉球の人達に、思いを寄せました。
彼女は、斎場御嶽は、2回ぐらい来てくれた事があって、いろんな、斎場を、菊に説明してくれました。
大庫理(うふぐーい) 寄満(ユインチ) 三庫裏(さんぐーい)久高遙拝所(くだかようはいじょ)チイタイイシ
どこも神聖な場所でした。
菊は、感動したのです。
しかも、この斎場御嶽は、男性禁止の場所で 近年になるまで、男の人は、入ることはなかったそうです。
琉球は、古くから伝わる祖先信仰や自然崇拝の信仰を司る神女・ノロたちを組織化し、国家的な宗教組織を整備したので、男性禁止というところが多いのです。
だから、男性の存在が、神女、ノロさんの御霊にとっては、新鮮だと思います。
男性とはなかなか接しられなかったことが多かったのです。
だから菊と彼女は、そんな斎場御嶽の御霊に、二人の愛の波動届けました。
二人の幸せの波動届けました。
琉球の御霊や、英霊達を意識して、手を握りながら歩き、一つ、一つの斎場では、きっと、亡くなった神女さんの中には、愛する男性と、ここで祈りたかっただろうなあと考えながら、祈ったのです。
「海の高台」
二人は、その後、彼女が知っている海が見える高台に行きました。
そこは、本当にすてきなところでした。
彼女が、前に行った事があるという穴場でした。
沖縄の海は、本当に輝いていたのです。
しかも、周りには誰もいませんでした。
菊は、そんな大自然を、背景にいる多くの英霊、御霊と楽しんだのです。
また菊と彼女は、そこを、手を握りながら歩きました。
沖縄で、最初のデートをしました。
戦争のために、愛する人と、仲良く歩くこともできなかった英霊や御霊の事を思って歩きました。
こんな大自然の中を、歩きたかっただろうなあと意識して歩きました。
心から、幸せだと思ったのです。
やがて、菊と彼女は、高台の先端まで来ました。
柵から、海を見ていたのです。
でも、菊は、それだけでは我慢できませんでした。
菊の背景の御霊や、彼女の背景の御霊も、それを望んでいると思いました。
菊は、もう何年も、恋人とあえなかったという御霊達の気持ちを意識して、後ろから、彼女を抱きしめました。
ゆっくり、力強く抱きしめました。
彼女は、そんな菊を受け入れてくれました。
黙って、身を任せてくれたのです。
その後、二人は、正面からハグしました。
心から抱き合いました。
心から好きだよという気持ちで抱き合いました。
心から愛しているよという気持ちで抱き合いました。
そして二人は、接吻しました。
キスをしました。
彼女も、応じてくれたのです。
でもそれ以上は駄目でした。
菊も彼女も、一目が気になりました。
遠くには、カップルもいました。
それ以上は一日目、残念したのです。
その後、二人は、食事をして、彼女にホテルまで送って貰い、菊と彼女は、一日目、終えました。
彼女は、母親の実家のところに帰っていったのです。