縁の花

     (21世紀に咲く智閥の花)  

        菊の官能日記

 ∞「第11章 沖縄の旅一日目」∞

    「623日 沖縄平和公園 慰霊祭」

623日、菊と彼女は、関空空港から一緒に飛行機で沖縄に行きました。

60年前、沖縄戦で亡くなった多くの御霊、英霊に波動を届ける為です。

沖縄を救う為に、九州から沖縄に向かった、戦艦大和の3千柱の英霊達の思いを叶える為です。

菊と彼女は、できるだけの事は、させて頂こうと決意を誓って沖縄に入ったのです。

 

また、そんな菊と彼女の沖縄の旅は、成功しました。

沖縄の英霊の導きがありました。

沖縄の英霊のご縁がありました。

沖縄の英霊の感謝がありました。

沖縄の英霊の喜びがありました。

 

沖縄の英霊の訴えがありました。

沖縄の英霊の頼りがありました。

沖縄の英霊のお試しがありました。

成功したけど、いろんなハプニングがあったのです。

 

菊と彼女が、沖縄の那覇空港に着いたのは、11時でした。

関西空港で一番、早い飛行機に乗ったのです。

その時間だったら、何とか、平和公園の慰霊祭、間に合うはずだったのです。

でも、菊と彼女は、予定通りに、平和公園の慰霊祭に参加できませんでした。

 

予定していた車の手配がうまくいかなかったのです。

車を貸してくれる彼女の友人の、シャーマン、 神人の人が、那覇空港に、少し出るのが遅くなったのです。

しかも、急に、大切な用件ができて、二人と一緒に行けないとのことだったのです。

車を、三日間、貸してくれるだけになったのです。

だから、菊と彼女は、平和公園の慰霊祭には間に合いませんでした。

彼女の友人が、車を届けてくれた時には、もう始まっていたのです。

 

しかし菊と彼女は、それに対して、何とも思いませんでした。

何となく、そうなることは分かっていた。

これは、沖縄の英霊達の導きだ。

沖縄の英霊達の意志だと感じたからです。

 

何故なら、沖縄の平和公園の慰霊祭には、小泉首相が参加する事になっていました。

東京から、623日、慰霊祭の為に来るのです。

早々と、慰霊祭での自分の出番が終ると、帰ってしまうのです。

 

 だけど、菊は、それを、沖縄の英霊は、喜んでいないと思っていました。

 小泉首相が、沖縄で、亡くなった英霊達の事を思っていないことは、英霊達が、一番よくご存知だと思っているからです。

 小泉首相が、靖国神社に参拝するのも、靖国神社にいる英霊達の事を思ってではなく、人気取りの為に、政治的に利用しようとしているからだと思っているからです。

 菊は、小泉首相は、本当は、大東亜戦争で亡くなった英霊達の事を、思っていないと確信していたのです。

 

 でも、もちろん、菊には、真相は分かりません。

 今まで、一度も、靖国神社に行かなかった衆議院議員だった小泉首相が、日本の首相になったら、突然行きだしても、菊は、何とも言えません。

 小泉首相が、目覚めたと言われたら、菊には反論できないのです。

 

 だけど、英霊には分かっています。

 波動で、小泉首相の本心は、すぐに伝わります。

 英霊に嘘はつけません。

 靖国神社の英霊には、小泉首相が、心から、自分達の事をどう思って、参拝してくれているのか、とっくにご存知です。

 沖縄の英霊達には、小泉首相が、どんな気持ちで、平和公園で、慰霊してくれるのか分かっているのです。

 

 菊と彼女は、沖縄の英霊達は、小泉首相が居るところで、二人に、慰霊して欲しくなかったのだと直感しました。

 沖縄の英霊達は、大勢の人達がいる中で、二人に、慰霊して欲しくなかったのだと感じました。

 しかも神人さんに、何かの儀式で、慰霊して貰う事も望んでいないと気づきました。

 沖縄の英霊達は、慰霊祭が終った後、静かなところで、菊と彼女はの二人だけに、二人のやり方で慰霊することを望んでいるのだと思ったのです。

 だから菊と彼女は、空港にある、沖縄そば屋さんで、沖縄名物の沖縄そばを食べたり、喫茶店で、コーヒーを飲んだりしながら、彼女の知り合いの神人が、来ることを待っていたのです。

 

        「菊と彼女の慰霊祭」

 菊と彼女は、1時頃、那覇空港を出発しました。

 神人さんが、那覇空港まで、車を持って来てくれました。

 その後、神人さんは、車を貸してくれると、空港で別れ、電車で帰りました。

 菊と彼女は、予定よりも、2時間以上遅れて、沖縄を出たのです。

 

 でも菊は、それでよかったです。

 本音を言えば今回は、菊は、彼女と二人で、沖縄の英霊達を、慰霊させて欲しかったのです。

 どこまで、二人の波動が、英霊に通じるのか分かりませんが、菊は、彼女との愛の波動を届けたかったのです。

 男女のエネルギーを、届けたかったです。

 菊と彼女はの調和のエネルギーを、届けたかったです。

 菊や彼女の幸せのエネルギー、届けたかったです。

 

だって、菊にしろ、彼女にしろ、素人ですが、シャーマン、神人にはできないことが一つだけありました。

それは、二人のラブを届けることです。

手を握りながら、仲良く歩きながら、愛し合いながら、菊と彼女は、英霊に波動を届けたいと思っていました。

それには、彼女の友人のシャーマンさんがいたら、できないことでした。

菊は、そこに、沖縄の英霊達の意志を感じたのです。

 

また、そんな二人が、まず、慰霊祭したのは、旧海軍司令部壕というところでした。

車を運転している彼女が、標識に、書いているのを見つけて言いました。

「菊ちゃん、行きたい」と聞いてくれました。

「はい、お願いします」と菊は喜んで答えたのです。

 

 旧海軍司令部壕は、那覇空港から、車で20分のところにある、豊見城市にありました。

 この旧海軍司令部壕では、4,000名の兵士が、手榴弾で自決をする、壮絶な最後を遂げたと言われ、壕内は、司令官室、作戦室などが当時のまま残されていました。

 菊と彼女は、この旧海軍司令部壕の中に入りました。

 

さすがに旧海軍司令部壕は、暗かったです。

こんな暗い壕の中で、4千人の兵士達が、じっと激しい爆撃を耐えたのかと思うと、辛かっただろうなあと思いました。

怖かっただろうなあと感じました。

悲しかっただろうなあと思いました

死にたくなかっただろうなあと感じました。

そんな英霊達の思いで一杯だろうと思ったのです。

 

しかも、沖縄の戦争で、沖縄県民に対して、沖縄戦の惨状(住民をまもるべき軍が住民を楯に戦い、集団自決を強要したことに「捨て石」戦であった沖縄戦死闘の悲劇があった)と沖縄県民の筆舌しがたい苦難を与えたことに、苦闘していた大田実中将がいました。

大田実中将軍は、本国に宛てた、電文の最後に、それらを顧みる余裕がなかったと悔いた後,沖縄県民は斯く(このように)戦ったのだから,後世沖縄を決しておろそかにはせず,平和になったあかつきには,沖縄県民に格別の配慮をして欲しい」との願望で締めくくっています。

悲惨な事になっている沖縄県人に対する、無念、後悔の思いがあるのです。

 

だから、旧海軍司令部壕は、多くの兵士の思いで、一杯でした。

菊と彼女は、そんな旧海軍司令部壕の中を、二人で一緒に歩きました。

 暗い壕は、トンネルそのものでした。

 ここに、今も、多くの兵士達がいると思うと、身のしき締まる感じがしたのです。

 

 しかし、菊自身は、英霊を別段、感じませんでした。

 菊には、そういった霊感はないのです。

 でも、彼女は、違います。

彼女には、霊感が昔からあります。

そんな家系なのです。

 

ですから彼女は、今まで沖縄に帰っても、戦場の所には、行った事は、一度もなかったそうです。

怖かったというのです。

だけど、彼女は、菊と一緒に、壕の中に入ってくれました。

菊ちゃんとなら、一緒に入ることができる。

彼女はそう思って入ってくれました。

菊ちゃんのおかげ様だと感謝してくれたのです。

 

だから、菊と彼女は、二人で、一緒に、旧海軍司令部壕に入りました。

二人は、旧海軍司令部壕の中にいた多くの英霊に、「やっとこれました」とご挨拶しました

「戦争は、本当に怖かったでしょう」と問いかけました。

「誰も、死にたくなかったでしょう」とも、言いました。

「二度と、戦争はしないように努力します」と誓いました。

二人は、英霊のご冥福を願い、成仏して、本来の居る場所、霊界に戻ることを勧めました。

 英霊達が、霊界に帰れるように、天、究極の神様にお願いしたのです。

 

また、二人は、心の中で、「ありがとうございます」も、唱え続けました。

沖縄の為に戦った英霊に、命がけで戦ってくれたことを感謝しました。

日本を守る為に、必死で戦ってくれたことを感謝しました。

沖縄の人民の事を、本当に心配していた英霊に、見事に沖縄は復興して、日本に帰って来たことをご報告しました。

日本も、見事に、戦後、復興したことをご報告しました。

 

そして菊と彼女は、壕を出る前には、自然と手を握っていました。

壕の中にいる英霊さん達に、二人が手を握ることが、いいことなのかどうか分かりませんでしたが、二人は握りました。

男性ばかりの英霊さん達に、何を考えているのかと、怒られるかもしれませんが、二人は、許してくれる気がしました。

戦場という戦いの場所なのに、何をしているのかと、攻撃されるかもしれませんが、二人は、わかって貰える気がしました。

二人の愛の波動が、光となって、壕の中を、一瞬でも、明るくしてくれると思いました。

二人の男女の波動が、暖かい波動となって、壕の中にいる英霊達に、暖かさを届けてくれると思いました。

二人は、壕の中に居る英霊達に、それを届けさせて頂いたのです。

 

 

            「平和祈念公園」

菊と彼女が、平和祈念公園に着いたのは、いろんな催しが終ったすぐ後でした。

少し日差しが、弱くなった4時頃でした。

小泉首相が帰った後でした。

慰霊祭が終った後、片づけがされようとしていた時だったのです。

 

菊と彼女は、そんな平和祈念公園に着くと、まずは、慰霊祭が行われた、中央のある平和の丘に、駆けつけました。

それで、慰霊祭の式典に参加していた、多くの英霊達に、二人で、慰霊させて頂くことをご報告したのです。

 

その後、二人は、多くの英霊が待つ、摩文仁の丘にすぐに駆けつけました。

 そこには、たくさんの慰霊塔、130県の慰霊塔や、戦争で亡くなった人達の慰霊塔がありました。

 菊は、一つ、一つの慰霊塔のある場所の大きさに驚いてしまいました、

 縦、横、百メートルちかくありました。

 菊は、そんなに広いとは思いませんでした。

 インターネットで調べていても、実感できなかったのです。

 

また、それは彼女も同じでした。

彼女も、小さい時、一度か二度、行った事があるだけだったのです。

こんなに広かったとは思わなかったそうなのです。

 

菊と彼女は、そんな日米の軍が、激しく戦ったという摩文仁の丘にある、多くの各県の慰霊塔、一つ、一つを訪れました

すべての慰霊塔に、ご挨拶しました

命がけで、戦いをされた英霊に、感謝しました。

なくなってしまった英霊に、慰めの言葉をかけました。

今も、摩文仁の丘にいる英霊、今日、摩文仁の丘に来ている英霊のご冥福を願いました。

成仏されることをお祈りしたのです。

 

その上で、菊と彼女は、大阪などの、二人が、特に、ご縁を感じた場所の慰霊塔には、二人で考えていた、「戦艦大和と沖縄の英霊にありがとうございます」の奉納の紙を封筒にいれたものを置いていきました。

その奉納の紙には、二人で考えた、23個の言葉が詰まっていました。

623日なので、二人は23個の言霊にしたのです。

 

1、戦艦大和、武蔵、世界最大の戦艦として、平和を築く為に誕生して頂いてありがとうございます。

2、戦艦大和に乗っていた3333名の兵士の皆さん、沖縄を救う為に、死ぬ覚悟で、片道で特攻して頂いてありがとうございます。

5、戦艦大和の三千の英霊達、日本人が失った、志、大和魂を思い出させて頂いてありがとうございます。

10、日本の戦死者、7万五千人以上、民間人、九万から十二万人以上、米国の戦死者7613名、死傷者、31807名、精神病になった人も、26211名、二〇万人以上の沖縄で戦った日米の英霊達、皆さんの尊い犠牲によって、日本の本土侵攻、オリンピック作戦が中止になりました、ありがとうございます。

21、沖縄の英霊、21世紀以降も、沖縄を永久に平和にして頂いてありがとうございます

23、沖縄の英霊、平和的にすべての米軍を沖縄から撤退させ、沖縄を真の平和にして頂いてありがとうございます。・・・・・

 

 「縁の花 戦艦大和と沖縄の奉納ありがとうございます」

 

二人は、奉納の紙には、二人の英霊に対する思いが入っていると確信していました。

二人は、奉納の紙には、二人の英霊に対する愛が、入っていると信じていました。

二人は、奉納の紙には、二人の英霊に対する尊敬の念が入っていると確信していました。

二人は、奉納の紙には、二人の英霊に対して、成仏して欲しいという願いが入っていると信じていました。

菊と彼女は、本気で、心を込めて、慰霊塔に奉納したのです。

 

そんな慰霊塔には、殆ど、誰もいませんでした。

2時間、3時間までの慰霊祭が行われていた時なら、たくさんの人で一杯だったと思います。

菊と彼女は、そのことに感謝しました。

遅れてきたことに、ありがとうございますしました。

これも、英霊達のお導きだと思ったのです。

 

 だから、二人は、各慰霊塔に、静かに二人だけで祈れました。

 6月の晴天の沖縄、3時間ちかく、各慰霊塔を回るのは、大変でしたが、二人には苦痛ではありませんでした。

 すべての慰霊塔を、何時間かけても、周りたいという思いだけで一杯だったのです。

 ただ、菊自身は、英霊の存在は、感じませんでした。

 男性の兵士達が中心の英霊は、男性の菊は、それほど、歓迎してくれなかったのかもしれないのです。

 

 だけど、彼女は違ったみたいです。

 兵士達は、女性の彼女を歓迎したみたいです。

 彼女の訪問を喜んでくれたみたいです。

 彼女の言葉に、癒されたみたいです。

 彼女の成仏して欲しいという気持ちに動かれたみたいです。

 

 彼女は、英霊が喜んだのが分かったのです。

 彼女は、英霊が癒されたのが分かったのです。

 彼女は、英霊が、霊界に帰る気になったのが分かりました。

 大いなる存在、究極の創造主が、菊と彼女の願い、戻りたがっている英霊達を、霊界に帰らせてくれているのが分かったというのです。

 

 だから、彼女は、少し大変でした。

 英霊達が、彼女に頼ってきたみたいだったのです。

 菊は、その事を彼女に教わって、英霊達が、ここにいることを確信しました。

 英霊達は、女性のほうがいいのだと素直に思ったのです。

 

 それで、菊と彼女は、ここでも途中から、手を握りながら歩きました。

 彼女が、それを求めたのです。

 そうしたら、彼女の負担が軽くなりました。

 英霊達が、男女の愛のエネルギーに、喜ぶのが分かったそうです。

 英霊達が、好きな女性と、こうして歩きたかったと、心底、思っていたことが分かったそうです。

 それを、身体を通して、媒体になっている菊の存在にも、心から感謝していてくれることが分かったというのです。

 

 こうして、二人の、平和祈念公園、摩文仁の丘での慰霊は終りました。

 二人にとっては、忘れられない思い出になりました。

「天皇の真実」の河内正臣先生が、初めて、沖縄に行き、摩文仁の丘に立った時には、たくさんの英霊達が来るのを感じたそうですが、菊には、そんな体験なくても、やはり、彼女と一緒に歩いたことは、一緒の思い出になりました。

菊は、彼女と、摩文仁の丘にいる英霊達に「ありがとうございます」すると、その場を去ったのです。

 

 

       「ひめゆりの塔

 少し、平和祈念公園にある平和記念資料館を見学した二人が、再び、彼女の運転で、行ったのは、有名な「ひめゆりの塔」のある博物館でした。

 菊も彼女も、ここはどうしても行きたかったのです。

 

 だけど、菊と彼女が、着いた時には、ひめゆりの塔の博物館はしまっていました。

 来るのが遅かったのです。

 でも、菊と彼女には、関係ありませんでした。

 博物館に入れなくても、二人が来たことは、波動で伝わります。

 二人は、ひめゆり塔にいる女性達、少女達を慰霊させて頂いたのです。

 

 また、菊と彼女は、映画やドラマで放送される「ひめゆりの塔」だけが、真実ではないと思っていました。

 ひめゆりの塔として知られる従軍看護婦として亡くなった少女達は、高等学校の行く年代でした。

 十分に、恋ができる年代でした。

 大人でした。

 

 そんな女性達が、兵士の人達と、生死の極限の中で、供にいました。

 兵士の中には、もうすぐ死ぬ事を自覚した人達も、多かったです。

 従軍看護婦として活躍した女性の人達にも、この兵士達は、もうすぐ戦って死ぬことが分かっていたと思います。

 

 だから、兵士さん達の血、泥の切り刻まれた体を看護することで、どんなことでもしようと思ったはずです。

 私達は、きれいな肉体、血のにじむような思いに比べれば、私達は悲劇ではないと思ったはずです。

 自分達の行く末のことは考えていない兵士さん達の苦しみに比べたら、自分達の感情を押し殺していたと思います。

 本当は辛かった、口に出す事はできなかった兵士さんたちに比べたらと我慢してきたが、辛かった。早く帰りたかったと思います。

 

 ひめゆりの塔の少女達は、そんな中でも、強い信念と誇りと自信もって、行動したはずです。

 その少女の人達の中には、生死がかかっている極限状態に男女が置かれていた人達もいたと思います。

 明日、死ぬかもしれない兵士に、自分にできる最大なこと、癒してあげたいと思った少女達もいたと思います。

 そんな中で、恋人とのセックスではない、ボランティアのセックスがあったかもしれません。

 兵士に望まれたら、応じた少女もいたと思うのです。

 

 彼女は、そんなひめゆりの塔の少女達に、心からの尊敬と感謝の波動を送りたいと思っていました。

 彼女は、昔、そんな話を、聞いたことがあったのです。

 その時、自分ならできるだろうかと彼女は、思いながらも、してあげられる女性になりたいと思ったというのです。

 菊は、そんな彼女が、大好きでした。

 そんなひめゆりの塔の少女達が大好きでした。

 

 菊と彼女は、手を握り、もう戦争はないですよ。

 本当に好きな女性、男性と恋愛できますよ。

 愛し合えます。

 早く、再び、生まれ変わって下さい。

 成仏して下さいねと祈りました。

 究極の神様に、ひめゆりの学徒として、まだ、この世に存在している少女達が、あの世に帰れるようにして下さいとお願いしたのです。

 

 

     「魂魄の塔・戦艦大和の英霊」

 ひめゆりの塔を出た菊と彼女は、今度は、魂魄の塔というところに行きました。

 この魂魄の塔は、彼女が、新聞の記事で探していました。

ひめゆりの塔から、そんなに離れていない米須という場所にあります。

 

この米須の土地でも、激しい戦いが行われて、多くの人の骨、骸骨が出て来たそうです。

それで、この地域の人が、慰霊塔を作って、成仏を願ったそうです。

毎年、慰霊するようになったのです。

 

それは、沖縄で、平和祈念公園ができ、慰霊祭が行われるずっとずっと前の事です。

ここで、慰霊祭が、民間レベルでされるようになった事が、沖縄全体で広がり、平和祈念公園が、

誕生するようになったのです。

 

菊と彼女は、その事を、新聞で聞いて感動しました。

ここが、本当の慰霊の場所だと思いました。

是非、行きたいと思ったのです。

 

そんな魂魄の塔は、すぐに分かりました。

土地勘がないので、もしかしたら見つけられないと思っていましたが、スットいけました。

まるで、多くの英霊に導かれている気がしたのです。

 

その魂魄の塔は、平和祈念公園にある、慰霊塔を縮小した感じでした。

何個かの慰霊塔もあったのです。

でも菊と彼女が感動したのは、中央にある大きな全体の慰霊塔でした。

ここには、たくさんの花が、供えられていました。

菊の花もたくさんありました。

菊は、それを見て感動しました。

平和祈念公園よりも、こちらの慰霊祭の方が、多くの英霊喜ぶと思いました。

もっと真剣に慰霊していると思いました。

そんな真心は、必ず伝わっていると確信しました。

そんな慰霊祭に参加できて、心からよかったと思ったのです。

 

 

だから、菊と彼女は、ここでも慰霊させて頂きました。

米須で、魂魄の塔を造り、慰霊祭をして頂いた民間の人達にありがとうございますしました。

この人達がいなかったら、平和祈念公園も、慰霊祭も行われていなかったと思います。

二人は、そのことに感謝しながら、英霊達や、沖縄で亡くなった多くの民間の人達の冥福を祈っ

たのです。

しかも、魂魄の塔の一つには、大和という慰霊の塔ありました。

奈良県の死んだ兵士達を、慰霊するように建てられたものでしょうが、菊には、戦艦大和の3

柱の英霊達のことを浮かばれました。

 大和民族としてなくなった日本人、全体の事もイメージできました。

 

 だから菊と彼女は、ここに大和の慰霊塔ある事に、深く、深く、感謝しました。

 英霊達の導きを感じました。

 今、ここに、戦艦大和の英霊が、来てくれていると確信しました。

 何体かは、自縛していた大和の英霊が、菊と彼女と一緒に、ここまで来てくれたことを感じたのです。

 

 それで、菊と彼女は、大和の慰霊塔見た時は、頷きあいました。

感動しあいました。

 少しハグして喜び合いました

 二人で、戦艦大和の英霊を意識して祈ったのです。

 

菊は、この中で、大和の英霊達に、いろんな事言いました。

やっと、沖縄の土地に、こられましたねと声をかけました。

沖縄は、本当に平和ですよと安心させました。

今まで、ご苦労様でしたとねぎらいました。

その上で、多くの大和の英霊達が待っている霊界に戻ることを勧めました。

そうなることを、天に必死でお願いました。

菊と彼女は、戦艦大和の英霊の成仏を願ったのです。

 

こうして、二人の戦場の慰霊は終りました。

単なる慰霊だけなら、多くの人が、この日にしています。

戦争に直接に係わった、戦後60年以上、生きた身内の人も、心からしています。

だから菊と彼女は、ここで、戦場の慰霊は終えることにしました。

今からは、菊と彼女の慰霊、多くの英霊や、民間人で、戦争でなくなった多くの御霊に、二人のラブ、幸せの波動を送ることにしたのです。

 

 

        斎場御嶽」(せいふぁうたき)

戦場の慰霊を終えた後、菊と彼女が行ったのは、世界遺産の一つ、斎場御嶽」でした。

この斎場御嶽」は、アマミキヨ【琉球人の祖先】がつくった国始めの七御嶽の一つといわれる

琉球最高の聖域です。

何でも琉球王統第二尚氏第三代の尚真により本島最高の聖域として整備された祭祀場だそうです。

琉球王国時代、国の最高女神官である「聞得大君」の就任式が行われた場所であり、旧2月・4月には、国王自ら参拝した由緒ある聖地であります。

 「せーふぁ」とは「霊位の高い聖なる場所」という意味があるのです。

 古代の琉球人にとって、儀式に欠かせない崇敬の地だったのです。

 

 菊と彼女は、その斎場御嶽を、手を握りながら歩きました。

 周りには、一組のカップルしかいませんでした。

 そこを、彼女と、ゆっくり歩いたのです。

 

 また菊と彼女は、斎場御嶽を歩きながら、この沖縄の地にずっと住んでいた琉球の人達に、思いを寄せました。

 彼女は、斎場御嶽は、2回ぐらい来てくれた事があって、いろんな、斎場を、菊に説明してくれました。

大庫理(うふぐーい) 寄満(ユインチ) 三庫裏(さんぐーい)久高遙拝所(くだかようはいじょ)チイタイイシ 

 どこも神聖な場所でした。

菊は、感動したのです。

 

 

 しかも、この斎場御嶽は、男性禁止の場所で 近年になるまで、男の人は、入ることはなかったそうです。

 琉球は、古くから伝わる祖先信仰や自然崇拝の信仰を司る神女・ノロたちを組織化し、国家的な宗教組織を整備したので、男性禁止というところが多いのです。

 だから、男性の存在が、神女、ノロさんの御霊にとっては、新鮮だと思います。

 男性とはなかなか接しられなかったことが多かったのです。

 

 だから菊と彼女は、そんな斎場御嶽の御霊に、二人の愛の波動届けました。

 二人の幸せの波動届けました。

 琉球の御霊や、英霊達を意識して、手を握りながら歩き、一つ、一つの斎場では、きっと、亡くなった神女さんの中には、愛する男性と、ここで祈りたかっただろうなあと考えながら、祈ったのです。

 

              「海の高台」

 二人は、その後、彼女が知っている海が見える高台に行きました。

 そこは、本当にすてきなところでした。

 彼女が、前に行った事があるという穴場でした。

 沖縄の海は、本当に輝いていたのです。

 しかも、周りには誰もいませんでした。

 菊は、そんな大自然を、背景にいる多くの英霊、御霊と楽しんだのです。

 

 また菊と彼女は、そこを、手を握りながら歩きました。

 沖縄で、最初のデートをしました。

 戦争のために、愛する人と、仲良く歩くこともできなかった英霊や御霊の事を思って歩きました。

 こんな大自然の中を、歩きたかっただろうなあと意識して歩きました。

 心から、幸せだと思ったのです。

 

 やがて、菊と彼女は、高台の先端まで来ました。

 柵から、海を見ていたのです。

 でも、菊は、それだけでは我慢できませんでした。

 菊の背景の御霊や、彼女の背景の御霊も、それを望んでいると思いました。

 

 菊は、もう何年も、恋人とあえなかったという御霊達の気持ちを意識して、後ろから、彼女を抱きしめました。

 ゆっくり、力強く抱きしめました。

 彼女は、そんな菊を受け入れてくれました。

 黙って、身を任せてくれたのです。

 

 その後、二人は、正面からハグしました。

 心から抱き合いました。

 心から好きだよという気持ちで抱き合いました。

 心から愛しているよという気持ちで抱き合いました。

 

 そして二人は、接吻しました。

 キスをしました。

 彼女も、応じてくれたのです。

 

 でもそれ以上は駄目でした。

 菊も彼女も、一目が気になりました。

 遠くには、カップルもいました。

 それ以上は一日目、残念したのです。

 

 その後、二人は、食事をして、彼女にホテルまで送って貰い、菊と彼女は、一日目、終えました。

 彼女は、母親の実家のところに帰っていったのです。

 

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