「未来からの最終警告」
短編版
これが我々の未来史だ
地球のみなさん、まもなくこの地球に大疫病が発生し、その疫病はあまりにも凄まじく、飢饉と第三次世界大戦を誘発します。そして地球人の半数以上が死滅した時、親切な宇宙人が我々を助けてくれます、食糧と石油を持って、もちろんワクチンも持って。しかし彼らは彼らの支配体制が整うと我々を奴隷のように扱います。
我々はこれを阻止しなければならない、いたずらに破局を煽るのはよくありませんが、警告と受け止めれば、それは地球人の行動と心の持ち方で阻止できるのです。そのための仕組みがすでに張り巡らされています。
彼らはどこから来たのでしょうか。銀河の果てにとある惑星がありました。その惑星は病んでいた。「ここままではこの惑星は滅んでしまう」と考えたその惑星のリーダー達はある計画を立てました。すなわち一部の優れた人類のみを宇宙基地、宇宙ステーションに非難させ、キラー衛星で地上に残された人々を焼き殺した後、彼らだけでその惑星を独占するといったものでした。まさに不要人類抹殺計画、、、最後の審判計画、ノアの箱船計画、空中携挙計画であった。
そしてこの計画は実行された。しかしそううまく行かなかった。宇宙から攻撃した兵器はクリーンなものだったが、地上に残された人々が全面核戦争を始めてしまったのだ。あまりにも多くの核を使用したがために、大地震、ポールシフトが起こり極地方の氷が溶け水が地表を多い、そこに核の冬である。その惑星は真っ白なアイスボールになってしまった。彼らは自らの手でエデンの園を破壊してしまったのである。そして彼らは宇宙基地、宇宙ステーションの中で後悔と絶望の内に死んでいった。
しかし彼らの子孫は第二の故郷となる惑星を求めて不毛の宇宙を放ろうする、、、実に千年以上も。この千年間、千年王国の間にバイオテクノロジーによる永遠の生命を開発したものの、彼らの体はすっかり宇宙人になってしまった。そしてとうとう彼らは開発したのだ、彼らの祖先が破壊した惑星を復活させる方法を。それはじつに意外なものだった。その方法とはタイムマシーンであった。彼らはとうとう彼らの祖先が破壊した惑星、地球に帰って来たのだ。その惑星とは我々のこの地球だったのだ。
そして彼らは1999年から始まった不要人類抹殺計画を阻止し、疫病をばらまき、地球を乗っ取り、地球人を奴隷にしてしまったのだ。彼らこそ悪魔、悪魔的未来人だったのである。「これはいくらなんでも酷すぎる」と思ってくれた未来人が未来には少数だかいた。そこで彼らは我々に先行する時間の世界でこれらのことを警告した。しかし地球人はこれを受け入れず、追い返されてしまった。そこでかれらは地球人を教育することにした。彼らは人間の教育役、天使に天使的未来人なったのだ。彼らは我々を飛び越え六千年前に遡り、宗教と預言を残した。そして時が来たら宗教や預言の本当の意味が分かるように仕組んでおいた。なぜ、彼らはあなたがた地球人を助けに来てくれたのでしょうか。それはあなたがたは神々だからです。あなたがたは神々です。この宇宙を創造した唯一の神は人間になってしまったのです。火で焼かれたあの日、悪魔に奴隷にされたあの日あなたがたは祈ったじゃないですか、誰か助けてくれる人が欲しいと。だから彼ら時空を飛び越え我々を助けるために帰ってきてくれたのです。
常識人にとってはあまりにSFとしか思えない話であるが、実はこの話が預言には具体的に書かれているのだ。次章では預言を使ってこの説を証明したいと思う。
悪魔の陰謀不要人類抹殺計画
しかし、主を待ち望む者は新たな力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。
聖書 イザヤ書
40章
主を待ち望む者、キリスト教徒すなわち西洋人は新たなる力を得、鷲のような翼を広げ天に昇っていく。ここの鷲はそれを実行する国を暗示している。その国家のマークは鷲である。この鷲マークは一ドル紙幣にハッキリと描かれてい。
あなたの恐ろしい事と、あなたの心の高ぶりがあなたを欺いた。
あなたはわしのように高い所に巣をつくっているが、
聖書 エレミヤ書
49章
あなたは心のうちに言う、
「だれがわたしを地に引き下らせることができるか」。
たといあなたは、わしのように高くあがり、星の間に巣を設けても。
聖書 オバデア書
1章
そして彼ら彼らは鷲のように高い所、星の間に巣、宇宙ステーションを造ったのだ。
彼は多くの人を滅ぼし絶やそうと大いなる怒りをもって出て行きます。
聖書 ダニエル書
11章
彼らはただ地球から出て行くだけてはない。多くの人を滅ぼすために出て行ったのだ。
わざわいなるかな、災の手を免れるために高い所に巣を構えようと、おのが家の不義の利を取るものよ、あなたは事をはかって自分の家に恥じを招き、多くの民を滅ぼして、自分の生命を失った。
聖書 ハバクク書
2章
核戦争は地球上で行われる、その災いを免れるために高い所の巣、宇宙ステーションを設けたのである、しかも地球独占という不正の利益を取ろうと、事を謀って、失敗し恥じを招き、多くの民を滅ぼして、自分の生命さえも失ったのである。
実はエジプト人に多くの災いを与えてユダヤ人はエジプトの地を去っていった聖書の出エジプト記はこの不要人類抹殺計画の譬えであった。その証拠に聖書にはこう記されている。
イスラエルの人々は、エジプトの地を出て後三月目のその日シナイの荒野にはいった。
中略
あなたがたは、わたしがエジプト人にした事と、
あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所に来させたのを見た。
聖書 出エジプト記
19章
ノストラダムスも言っているではないですか。
攻撃の前に演説がある
ミラノ待ち伏せにだまされ
鷲につかまる
古い城壁は大砲で破られる
火と血の海 助命にありつける者はほとんどいない
諸世紀3-37
宇宙からの攻撃の前に宇宙開発を祝う演説がある
待ち伏せにだまされ 鷲につかまる
古い元の歴史での地球の防衛網(城壁)は大砲で破られる
火と血の海
助命にありつける者はほとんどいない
その主が悩みの日に、その仮屋のうちにわたしを潜ませ、
その幕屋の奥にわたしを隠し、
岩の上にわたしを高く置かれるからである。
今わたしのこうべはわたしをめぐる敵の上に高く上げられる。
それゆえ、わたしは主の幕屋で喜びの声をあげていけにえをささげ、
歌って、主をほめたたえるであろう。
聖書 詩編
27章
その主の悩みの日、主は彼らを仮屋、天の幕屋、宇宙ステーションのうちに潜ませた。
そして地上の人々を生け贄にささげたのである。
地に住む者よ、恐れと、落し穴と、わなとはあなたの上にある。
恐れの声を逃れる者は落し穴に陥り、落し穴から出るものはわなに捕らえられる。
天の窓は開け、地の基は震い動くからである。
地は全く砕け、地は割け、地は酔いどれのようによろめき、
仮小屋のようにゆり動く。
そのとがはその上に重く、ついに倒れて再び起き上がることはない。
その日、主は天において、天の軍勢を罰し、地の上でもろもろの王を罰せられる。
彼らは囚人が土ろうの中に集められるように集められて、
獄屋の中に閉ざされ、多くの日を経て後、罰される。
聖書 イザヤ書
24章
地上の人々よ恐れと落とし穴とわなはあなたの上、宇宙にある。当然である、宇宙からキラ−衛星で攻撃してくるのだから。そして、誰もわな、落とし穴からでられないのだ。
なぜなら、天の窓が開き彼らはそこから宇宙に出て行き、その後、大地がその基から揺れ動くからだ、まるで酔いどれのように。
その陰謀を実行したという罪は重く、ついに地軸が倒れて再び起き上がることはなかった。地球が倒れて回復不可能になってしまったのだ。
その日、天の軍勢、宇宙に脱出した人々も地上の人々も罰されたのだ。
まるで囚人が土の牢屋に集められるように、獄屋の中に閉ざされる、地球に帰れなくなり、宇宙ステ−ションが彼らの土の牢屋、獄屋になってしまったのだ。
すべては、地球に残された人々を生け贄(はん祭)として焼き殺したからである。
また彼らはバアルのために高き所を築き、
火をもって自分の子どもたちを焼き、はん祭としてバアルにささげた。
聖書 エレミヤ書
19章
ノストラダムスも言っているではないか。
飛んでいる火による陰謀で
とらえられた首長を大いにわずらわし
その中で大いにあばれ
とらわれた人は絶望のうちにある
諸世紀6−34
明け方、大いなる炎が見られ、
轟音と光が北方に伸びる。
球の中から死と叫び声が聞こえる。
死が待ちうける。武器、炎、飢饉によって。
諸世紀2−91
火は燃え残り 死人は隠され
球体はひどくぶるぶるふるえている
夜に艦隊は町に対して攻撃し
町は火の海になり
敵はそれで都合よくなるだろう
諸世紀5−8
その都市は上も下もなくなる
1000の打撃でめちゃくちゃにされ
大砲の、そして地下の城塞
五年は保つだろう、すべて元どおりになるまで
敵も活気を失い
戦争のあとに水が、、、、、、
六行詩集
大地と大気は冷えていく
大きな水もいっしょに
恐れの木曜日が訪れるとき
そしてもう晴れることはなくなる
四つの場所からそれらはひろがり、
その日は胸にきざまれる日となろう
諸世紀10−71
冷たく凍りつき、氷はもう和合せず
未亡人、火、不満
遊戯、慰み、軍隊が不和をひきおこす
結婚によって楽しい期待
1565年12月 プレサ−ジュ
さらにイエスも言う。
しかし、その時に起こる患難の後、たちまち日は暗くなり、月はその光を放つのをやめ、
星は空から落ち、天体は揺り動かされるであろう。
聖書 マタイによる福音書
24章
ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでも言おうか。
黄泉にまで落とされるであろう。
おまえの中でなされた力あるわざが、もしソドムでなされたなら、
その町は今日までも残っていたであろう。
しかし、あなたがたに言う。
さばきの日には、ソドムの地の方がおまえより耐えやすいであろう。
聖書 マタイによる福音書
11章
ではこの陰謀はいつ実行されたのであろうか。
第一の生き物はししのようであり、第二の生き物は雄牛のようであり、
第三の生き物は人のような顔をしており、第四の生き物は飛ぶわしのようであった。
この四つの生き物には、それそれ六つの翼があり、その翼のまわりも内側も目で満ちていた。
聖書 ヨハネの黙示録
4章
獅子、雄牛、人、鷲。あなたはこの四匹の合成動物を見たことがある。そう、獅子の足、牛の胴体、人の顔、、、ピラミッドの守護神・スフィンクスこそこの四匹の獣の合成動物だったのだ。それだけではない。1999年のグランドクロスはこの四つの星座に太陽系の惑星が集中した。古代占星術において、水瓶座は人座、蠍座は鷲座であった。1999年、星の十字架がこの宇宙に出現していたのだ。
四匹の獣が不動の住処に帰る頃
神の国の扉落ちて明かりを閉ざす時
ルビ−色の光、天よりの炎の玉を貫く
そして、翼司る将軍たち戦列を解く
しかし、災いは彼らのもくろみを越える
エメラルドタブレット
不動宮である四匹の獣に象徴される四つの星座に星々が帰る1999年
本当は神の国に入るはずのグランドクロスの時に
神の国の扉は落ちて明かりを閉ざしてしまった
ルビ−色の光、天よりの炎の玉が地球を貫いた
そして、スペ−スシャトルの翼を司る将軍たちは武装解除した
しかし、災いが大きすぎて地球独占というもくろみを超えて、地球までも破壊してしまった。
天使的未来人
彼らは宇宙ステーション、宇宙基地の中で後悔と絶望の内に死んでいった。しかし彼らの子孫は第二の故郷となりうる惑星を求めて宇宙の果てに旅立っていった。彼らは不毛の宇宙を放ろうする。出エジプト記でもエジプト人に災いを与えてイスラエルを去っていったイスラエルの民は不毛のシナイの砂漠を放浪する。シナイの砂漠とは不毛の宇宙空間の譬えだったのである。しかし宇宙では人間は、人間でいられなかった。
どうぞ、わたしを陰府にかくし、あなたの怒りのやむまで、潜ませ、
わたしのために時をさだめて、わたしを覚えてください。
中略
しかし山は倒れてくずれ、岩もその所から移される。
大水は地のちりを洗い去る。
このようにあなたは人の望みを絶たれる。
あなたがながく彼に勝って、彼を去り行かせ、
彼の顔かたちを変らせて追いやられる。
聖書 ヨブ記
14章
陰謀の実行者たち(の子孫)は、地殻変動、地上を覆った大水のために、この地球から追放になった、しかも顔かたちを変えて追いやられたのだ。宇宙空間では人間は人間ではいられなかった。宇宙人になってしまったのだ。
この千年間、千年王国の中ですっかり彼らの体は宇宙人になってしまったものの、バイオテクノロジーによる永遠の生命を開発する。そしてとうとう彼らは、タイムマシーンを開発したのである。
わたしが見ていると、見よ、激しい風と大いなる雲が北から来て、その周囲には輝きがあり、たえず火を吹き出していた。その火の中に青銅のように輝くものがあった。
聖書 エゼキエル書
1章
これは聖書での、神との遭遇の場面である。神は雲に乗ってやって来る。しかし中に青銅のように輝くものを含んだ火を噴く大いなる雲とは何であろうか。これは雲でカムフラージュしたUFOである。火とはUFOのライトである。彼らはUFOすなわちタイムマシーンを開発し未来の果てから帰って来たのである。
しかし時すでに遅し、先にタイムマシーンを開発した別の未来人のグループが地球人を地球を乗っ取り、地球人を奴隷にしてしまっていたのだ。
彼らは遠い国から、天の果てから来る。
これは、主とその憤りの器で全地を滅ぼすために来るのだ。
聖書 イザヤ書
13章
彼らは天の果てから来たのだ。
神は、罪を犯した御使たちを許しておかないで、彼らを下界におとしいれ、
さばきの時まで暗い穴に閉じ込めておかれた。
聖書 ペテロ第二の手紙
2章
神は、不要人類抹殺計画という罪を犯した御使いを許しておかないで、下界・暗黒の宇宙空間におとしいれ、再びさばきの時・最後の審判の時まで暗い穴・宇宙空間に閉じ込めておいたのだ。
それは、忍び込んできたにせの兄弟らがいたので−彼らが忍び込んできたのは、
キリスト、イエスにあって持っているわたしたちの自由をねらって、
わたしたちを奴隷にするためであった。
聖書 ガラリヤ人への手紙
2章
そして彼らは自由を狙って、我々を奴隷にするために忍び込んできた偽の兄弟であった。
さてあなたがたは、先に自分の罪過と罪によって死んでいた者であって、
かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、
空中の権をもつ君、すなわち、不従順な子らの中に今も働いている霊に従って歩いている。
聖書 エペソ人への手紙
2章
我々はあの1999年には核戦争で死んだのである、自滅してしまったのである。ところが、陰謀の阻止によって死ななくてもよくなったが、空中の権を持つ君、不従順な子、空からやってきた神に従わない悪魔に支配されてしまったのだ。だから、キリスト教では死んだ人々が墓場から出て裁かれると言うのである。
では彼らは我々をどのようにして奴隷にしてしまったのであろうか。
あなたは心のうちに言う、
「だれがわたしを地に引き下らせることができるか」。
たといあなたは、わしのように高くあがり、星の間に巣を設けても、
わたしはそこからあなたを引きおろすと主は言われる。
聖書 オバデア書
1章
悪魔的未来人は、まず不要人類抹殺計画すなわちスペースコロニー計画、SDI計画を早期に阻止したのだ。「だれがわたしを地に引き下らせることができるか」とおごり高ぶって星の間に巣を設けていたあの鷲を地に引き降ろしたのである。ノストラダムスはこれをこう表現している。
天幕のあいだを飛ぶ鷲は
他の鳥によって追い払われるだろう
シンバルとトランペットとベルの音が
気の狂った婦人に聞こえるときに
諸世紀2-44
天幕(宇宙ステーション)の間を飛ぶ鷲(スペースシャトル)は他の鳥(UFO)によって追い払われるのだ。戦争の到来を告げるシンバルとトランペットとベルの音が気の狂った婦人、気の狂った地球に聞こえる時に。
戦争と騒乱とのうわさを聞くときにも、おじ恐れるな。
こうしたことはまず起こらねばならないが、終わりはすぐにこない」。
それから彼らに言われた、
「民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。
また大地震があり、あちこちに疫病や飢饉が起こり、
いろいろ恐ろしいことや天からの物すごい前兆があるでしょう。」
しかし、これらのあらゆる出来事のある前に、人々はあなたがたに手をかけて迫害し、
会堂や獄にひっぱって行くであろう。それは、あなたがたがあかしをする機会となるであろう。
聖書 ルカによる福音書
21章
イエスは言う、終わりの日には疫病、飢饉があると。
西洋で準備される恐るべき戦争
次の年疫病が襲いくるだろう
その猛威があまりにも凄まじいので
老いも若きも 動物も 生き残ることはない
血火 水星 火星
木星がフランスに
諸世紀9-55
大飢饉の接近を予感する
そいつはしばしば道を変えやがて世界全体をおおうだろう
広い範囲をいつまでも荒らしまわり
やがて木を根っこから子供を母乳から引きぬくだろう
諸世紀1-67
門の近くの二つの町で
だれも見たことのないような二つの災難があるだろう
飢きんや疫病に人々は剣をとり
不死なる神に助けを求めて叫ぶだろう
諸世紀2−6
二つの災難・飢饉や疫病に人々は剣を取り戦争を引き起こすのだ。
魚のいる池は干あがり
射手座が天にのぼるとき
それは栄えある高貴な飼い葉桶のようで
ペスト飢饉 戦いによる死によって
新しい時代の近きを告げる
諸世紀1-16
魚座の時代が終わり、元の時間の世界で射手座(兵器を持った陰謀を実行者たち)が天にのぼったとき、それはイエス達天使を生み出す栄えある高貴な飼い葉桶となった。この時間の世界では、ペスト飢饉
戦いによる死によって新しい時代の近きを告げる。
二つの大きな発光体の光輝の消えている近くでは
三月と四月のあいだに事件が起こり
おお何という飢きんが!
だが二つの温和なものが
地でも海でもどこでもかれらを助けるだろう
諸世紀3−5
どうも飢饉は、3月ごろ発生するらしい。実は他の詩でもこの3月を警告するものは多い。
三隻の船がアグドの港に入る
信仰ではなく汚染と疫病をもたらす
橋を渡り百万を奪う
橋は第三の抵抗によって破壊される
諸世紀8−21
やはり疫病は、船・宇宙船すなわちUFOがもたらしたものであった。
それで人々は飢餓がやってくると考えた
ほんとうにやってくるだろう
がんこでどん欲さを通した海の目は
油と小麦をたがいに与えるだろう
諸世紀4-15
世界に預言の真意が公開され、それで人々は飢餓がやってくると考えた。そして飢饉がほんとうにやってくるだろう。がんこでどん欲さを通した海の目は、油と小麦をたがいに与えるだろう。実は、あの不要人類抹殺計画を実行したのはフリーメーソン・イルミナティであったそしてそのマークはピラミッドに輝く神の目であった。そしてこれもまた一ドル紙幣に描かれている。
その子孫である貪欲な海の目・悪魔的未来人は、地球人に小麦・食糧と油・石油を送ったのである、もちろんワクチンも。地球人は彼らを救世主だと信じた。彼らは貨幣を廃しし、我々の体に666のコードが含まれるバーコード(一説によるとマイクロチップ)を打ち込み奴隷にしてしまった。
ながい戦いで軍のすべてはかわきそれで兵隊は立ちあがる
だがお金をみつけることもなく金銀の代わりになめし皮に押し
フランスの貨幣は三日月のしるし(sign croissant)を刻まれる
諸世紀7−25
飢饉との長い戦いで軍隊はかわき、兵隊が立ち上がり戦争を引き起こす。戦争の後、お金はどこにも見つからない、貨幣という制度は無くなってしまうのだ。金銀の貨幣の代わりに皮膚の上にバーコード(マイクロチップ)が直接押されるのである。この新しい貨幣制度ができるのは、croise(十字架)のサイン、グランドクロスが現れるころである。このバーコードこそ獣の刻印であった。
この刻印のない者はみな、ものを買うことも売ることもできないようにした。
この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである。
ここに、知恵が必要である。思慮ある者は、獣の数字を解くがよい。
その数字とは、人間をさすものである。
そして、その数字とは六百六十六である。
聖書 ヨハネの黙示録
13章
だから獣の刻印がない者は買うことも売ることもできなくなったのだ。
兄弟姉妹がいろいろな場所で
奴隷のように働かされている
君主の近くをよぎるだろう
二つの注意深い目でかれらを見あげ
あごひたい 鼻をしるしにして
重々しく進むだろう
諸世紀2-20
別々の地で囚われの身となった兄弟姉妹
自身たちが君主の前を通り過ぎるのを知るだろう
その子孫が思いやりのある眼で見つめ
彼らの顎額 鼻についた
徴候を見て不快を催すだろう
諸世紀2−20
Eチ−タム著 流智明 監修
心優しいその子孫が思いやりのある眼でその奴隷、囚われの身となった祖先を見つめているのである。そして悪魔的未来人の仕打ちその体に打たれたしるし、兆候すなわち獣の刻印に不快を催したのである。彼らは過去の人々を助けたいと思い、当然、我々に先行する時間の世界でこれらのことを警告した。しかし地球人には理解できす、追い返されてしまった。そこで彼らは、地球人を教育することにした。彼らは人間の教育役、天使になったのだ、、、、大宇宙(神)の意志を人間に伝える天使に。
天使人類の子孫の支配
それが彼の支配をするだろう、保たれる連合の平和を
彼が終らせるため、戦争は半分で閉じられ
その平和は長く保たれるだろう
諸世紀10−42
天使的未来人の目的はまず第一に自分達を救うことである。地球を悪魔から取り返し、バイオテクノロジーを使い人間の体に復活し、地球の大自然の中で永遠に幸せに活きることである。そして自分達と一緒に過去の人々も一緒に救うことである。彼らは自分達の存在意義をはっきりと自覚しているのである。それはこのみんなが幸福になれる世界を築くこと、キリスト教ではこれを地上天国と呼ぶ。そして彼らは我々を飛び越え六千年前まで遡り実に様々な宗教を造り、言葉(預言)という種を蒔いた。その言葉が地上天国に育つことを願って。
また言われた、「神の国を何に比べようか。
また、どんな譬で言いあらわそうか。
それは一粒のからし種のようなものである。
地にまかれる時は、地上のどんな種よりも小さいが、
まかれると、成長してどんな野菜より大きくなり、大きな枝を張り、
その陰に空の鳥が宿るほどになる」。
聖書 マルコによる福音書
30章
エジプト人に災いを与えてエジプトの地を去っていったイスラエルの民の子孫は、不毛のシナイの砂漠をさ迷い、後にヨシュア中心にまとまり、約束の地・パレスチナ奪還計画が始まる。
地球人に災いを与えて地球を去っていった者たちの子孫は、不毛の宇宙空間をさ迷い、後にヨシュア中心にまとまり、約束の地・地球奪還計画が始まる。
このヨシュアのギリシア語読みこそ、イエーズス、、、ヨシュアとは、イエスとは天使的未来人の最高司令の名前だったのである。だからイエスは自分のことを「私」とは言わず、人間の子孫、人の子供のように小さな者(小型のエイリアン)の二重の意味を込めて「人の子」という言葉を使っているのだ。時が来たら地球人も真実に目覚めて彼らを受け入れてくれることを願って。
あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのであり、
わたしを受け入れる者は、わたしをおつかわしになったかたを受け入れるのである。
預言者の名のゆえに預言者を受け入れる者は、預言者の報いを受け
義人の名のゆえに義人を受け入れる者は義人の報いを受けるであろう。
わたしの弟子であるという名のゆえに、
この小さい者のひとりに冷たい水一杯でも飲ませてくれる者は、
よく言っておくが、決してその報いからもれることはない。
聖書 マタイによる福音書
10章
仏教もまた天使の作品であった
前章では聖書とノストラダムスの大予言でこの説を証明したが、実は仏教経典にも全く同じことが書かれているのだ。その経典こそ末法の衆生を救う経典、法華経である。
法華経−三車家宅の喩
古くて今にも倒れそうな家があった。
その中には多くの人が住み、多くの小部屋もあった、また汚物も満ち溢れていた。
その家の主人が外に居る時、大火が起こる。
中には自分の子ども達が居る。
中の子ども達は愚かで、火事のことさえ知らず楽しく遊んでいる
火事だけでも恐ろしいのに、化け物どもの争いも始まった
そこで主人は子どもたちを火事から救うため方便を使って子どもを救おうと考える。
そこで主人は外には三つの面白いおもちゃがあるよと言って子ども達を火事から救い出す。そして主人は三つのどれより優れた唯一のものを子どもに与える。
古くて今にも倒れそうな我々の家、地球があった。
その中には多くの人が住み、多くの国々もあった、また環境汚染も進んでいた。
その惑星の主人・支配者が惑星の外に居る時、惑星は核の炎に包まれた。
(彼らは無量の寿命を持った仏として未来から帰って来た)
中には宇宙の子(仏の子)である過去の人々がいる。
中の子ども達は愚かで、火事(1999年の核戦争・この悪魔的未来人が引き起こす戦争)のことさえ知らず楽しく遊んでいる。
そこで主人は子どもたちを火事から救うため方便(宗教)を使って子どもを救おうと考える。
そこで主人は外には三つの面白いおもちゃ(世界の三大宗教)があるよと言って子ども達を火事から救い出す。そして未来人は三つのどれより優れた唯一のものを子どもに与える。
これはまさに天使の地球救済計画を暗示する比喩ではないであろうか。それだけではない法華経にはUFOが天の華、空中楼閣、空を飛ぶ巨大宝塔(葉巻型UFO)といった表現で登場するのだ。また、天使的未来人のことも無間地獄・菩薩から湧き出した地涌の菩薩と表現している。
例えば、世尊よ、一人の青年がいるとしよう。
元気溌剌とした若者で、頭髪は黒く、最高の若々しさを具えていて、生まれて二十五年であるとしよう。
彼が百歳の人々を息子であると紹介し、「良家の息子たちよ、これらの人々はわたしの息子である。」と言うとしましょう。
「この人は、われわれの父で、生みの親である。」と。
世尊よ、この人の言葉は信じられず、世間も信用しないでしょう。
法華経 従地涌出品
彼らは時空を超えてやって来た我々の息子、子孫であり、しかも数千歳、いや数えられない歳月を活き抜いてきた年上の息子なのだ、それだけでなく我々の教師なのである。そして法華経は言う、全ての宗教の本質は一つだと、全ての宗教は一つに帰すと、これを法華一乗と言う。
未来において、如来たちは、教えにはいる幾千億という数多くの入口を説くであろう。
これらの教えの指導は常に変ることなく、もろもろの教えの本性は常に光り輝いている。
このことを知って、人間の最高者である仏たちは、余の唯ひとつの乗物を解き明かすであろう。
法華経 方便品
我々はそろそろこの宇宙いるのは自分達だけでないことを認めなければならない、彼らの存在も認めなければならない。そういった時代に来ているのだ。
すべての世界の中に困苦につつまれた暗黒の裂け目があり、
そこでは日月のように偉大な神通力と威光をもつ非常に輝かしいものでも、
光で照らすことはできず、色彩でもって色を表すことはできず、
また、輝きでもって照らし輝かすことができなかった。
ところが、そのとき始めて、そのような場所に大きな光明が現れた。
これらの裂け目に生まれたものたちは、このとき始めて、
お互いにそれぞれの姿を見て、お互いに、
「なんだ、この世には、自分のほかにも生まれていた輩がいたのか。
まこと、この世に存在するものは、ほかにも生まれていたんだな」と、
このように認め合うのだ。
なお、大乗仏教は後世の作ではありますが、すべては未来人が我々の文明に付加したものなのです。
真・如来滅後五五百歳始観心本尊抄
−宗教者への手紙
どうかあなたがたの神や仏をぼうとくするために本書を書いたのではないことをご理解ください。あなたがたはそれが世のため人のためであると思い宗教を広めてきたのですよね。確かにそれはまったくの善意であり、それによって多くの人々が救われて来たのも事実なのです。
でも、「自分たちだけが正しい」、「自分たちが一番正しい」、「自分たちの宗教は特別だ」、「自分たちの宗教のみが救われる」、「自分たちの宗教指導者が一番偉いんだ、だからその弟子である自分たちも偉いんだ」「他の神を拝む者は地獄に落ちる」、「その宗教をやめたら地獄に落ちる、バチが当たる」、「その宗教のための布教をしないと救われない(布教するとご利益がもらえる)」などと教えを説く宗教、宗派、教団も多いのです。
一部のキリスト教にしてもそうです。イエス・キリストを受け入れる者はすべて救われるならまだ分かるが、自分たちの教団だけが正しいのだから世界の終わりには自分たちの教団だけが天の神に救われると言う。仮にそうだったとしても自分たちだけはものみの塔に登り、地上に残され地獄の火で焼かれる人々を見て、あの人たちは自分たちがこんなに一生懸命布教してやったのに自分たちの教団に入り自分たちの神を信じなかったから悪いのだとでも言うのだろうか。
あなたがたの信仰は普遍的な神(この宇宙を創造した大生命)への信仰ではなく、教団のための信仰になっていませんか。同じ教団に属していても色々な人間がいることぐらいあなたがたが一番ご存知ではないのですか。属している組織で人間の価値が決まるものではありませんよね。
これはキリスト教だけの話ではない、一部の仏教についても同じことが言える。自分たちの教団だけが正しくて、自分たちの方法だけが前世のカルマ(業、宿業)を消し去り幸福になる唯一の方法だと信じている。それだけではない、自分たちの教団だけが正しいのだから教団のために布教したり奉仕したりすればご利益がもらえる(教団のために布教や奉仕をしないとご利益がもらえない)と説く、そこで自分たちの宗教で他人も幸福にしてやろうと人を見たら布教することしか考えていない、善意と慢心(上増慢)を持って、、、、自分たちが時代錯誤のことをしていることさえ気づかずに。人間とは人に救われるより、人を救っているのだと思う時、プライドがくすぐられるものなのです。
これがいきすぎるとテレビのニュースで見た不幸な人に対して「しょうがないねえ、前世のカルマがあるのだから」などという言葉も出てしまう、、、、あたかもその人が自分たちの教団に入っていないことが悪いかのように。
さらに進むと自分たちの教団に入らないと幸福にはなれない、不幸になると言うような者まで現れる。さらにさらにいく所までいくと、布教のために多少の無理をしてもいいんだ、自分たちの教団に入れば結局その人も幸福になるのだからなどと考える者まで出るしまつ、、、、、。
あなたがたは布教のために人間関係を悪くしたり友人を失ったり悲しい思いをしたことはありませんか、あなたがたも悲しかったかもしれませんがあなたがたのまわりの人間も友人も同じくらい悲しい思いをしたのです。
あなたがたは、わざわいである。ひとりの改宗者をつくるために、海と陸を巡り歩く。
そして、つくったなら、彼を自分より倍もひどい地獄の子にする。
聖書 マタイによる福音書 23章
また、同じ宗祖を持ち同じ呪文を唱える他の教団の発展を喜びそうなものだがそうはならない、あの教団はここが間違っているのだとささいな違いを取り上げて自分たちの教団だけが正しい一番優れていると説き、近いものであればあるほど激しく噛み合い憎み合う、、、、、、、、、、、、、同じ仏を信じ同じ呪文を唱える者はみな救われると言うのならまだ分かるが。
「光の中にいる」と言いながら、その兄弟を憎む者は、今なお、やみの中にいるのである。
聖書 ヨハネの第一の手紙 2章
「彼、われをののしり 彼、われをうちたり
彼、われをうちまかし 彼、われをうばえり」
かくのごとく こころ執せざる人々こそ ついにうらみの止息をみん
法句経−4
「石仏法句経」 友松圓諦 訳、山本敏雄 編
はたして神の愛、宇宙の愛とはそんなちっぽけなものでしょうか。この宇宙を創造した神や仏ならばすべての人を救いうる計画を立てるはずです。それは神が最も嫌う選民思想です。
「これ、使徒たち、(ここにある)美味いもの、遠慮なく食うがよい。
義しいことを行えよ。お前らのすることは、わしが何から何まで知っている。
それからお前たちの宗団だが、これはただ一つの(宗派別のない)宗団。
そしてわしがお前らの主、わしを畏れかしこめよ。」
それなのに、彼ら仲間割れを起こしてばらばらになり、
宗派ごとにそれぞれ自分のが一番いいと思いこんでいる。
ま、当分のあいだ、あのまま迷いの深みに放っておくがよい。
コーラン 信仰者
彼らに言わせれば、「ユダヤ教徒とキリスト教徒以外の者は、
絶対に楽園に入れて戴けない」と言うが、
言ってやれ、「それならその証拠を出して見せるがよい」と。
コーラン 牡牛
実は、選民思想のユダヤ教とはユダヤ人の宗教を意味するものではないのです。それは現代の宗教のあり方の譬えなのです。「自分たちだけが正しい」とする選民思想を持ち、天からイエスが再臨してもイエスをイエスとは認めない、シャカたちが巨大宝塔、天の花、空中楼閣に乗って帰ってきてもシャカをシャカとは認めない。これがユダヤ教です。だからイエスを裏切った者の名はユダなのです。ユダとは、ちっぽけな欲のためにイエスを裏切るユダヤ教のことなのです。
不毛のユダヤ教会はみのりなく
無信仰者に受け入れられるだろう
バビロンでしいたげられた娘は
あわれで悲しく髪を切る
諸世紀8−96
「ノストラダムス予言原典 諸世紀」 大乗和子 訳
そしてペニスに切れ込みを入れるユダヤ教の習慣、割礼とは、ユダヤ人を神に選ばれた選民の譬えと考えれば心に刻む神の印、神の戒めの譬えなのです、日蓮の言う本門の戒壇です。
あの黙示録の日の出る方から上って来る御使が持っていた神の印なのです。
それゆえ、あなたがたは心に割礼をおこない強情であってはならない。
聖書 申命記 10章
また、文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、
そのほまれは人からでなく、神から来るのである。
聖書 ローマ人への手紙 2章
それだけではない、にわかには信じ難いと思うが、この戒め、神の印を受けた者は、悪魔が放った疫病(イナゴ)の害を受けないとまで聖書には書かれているのだ。
いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持っているような力が与えられた。
彼らは、地の草やすべての青草、またすべての木をそこなってはならないが、
額に神の印がない人たちは害を加えてよいと、言い渡された。
聖書 ヨハネの黙示録 9章
これは神の戒めを受け、自分自身が全てに打ち勝つ神の霊であることを心の底から認めた強い魂は、あらゆる不幸をはね返す、疫病ごときには負けはしないということであろう。
いいか!ズバリ一言いおう。
「人間は、健康でも、運命でも、心が、それを、断然乗り越えて行くところに、
生命の価値があるのだ。」
「天風瞑想録 運命を拓く」 中村天風 著
しかしユダヤ人をイエスやシャカそして真の唯一の神を認めない選民思想の持ち主の譬えと考えれば、割礼とはそのような者の体に悪魔が刻む666のバーコード(マイクロチップ)、獣の刻印の譬えなのです。ここでも預言は二重構造になっていたのです。
また、小乗仏教とは南伝仏教のことを言うのではありません。小乗仏教とは自分達だけが正しいとするその狭い了見を言うのです。
さらに言わせてもらえば、あなたがたは自分たちの教団に属していない者を心のどこかで哀れな者だと差別していませんか。その自分たちの教団だけが真理であり他を低い者として差別するその姿こそ、僧侶階級が真理を独占し他の者を差別する古代バラモン教に起こり現在もヒンズー教に根強く残るカースト制度そのものではないですか。あなたがたはそうであってはならない。
わたしを憎む者は、わたしの父をも憎む。
もし、ほかのだれもがしなかったようなわざを、わたしが彼らの間でしなかったならば、
彼らは罪を犯さないですんだであろう。
しかし事実、彼らはわたしとわたしの父を見て、憎んだのである。
『彼らは理由なしにわたしを憎んだ』と書いてある彼らの律法の言葉が成就するためである。
聖書 ヨハネによる福音書 15章
あなたがたはイエスやシャカの本当の姿を見て彼らを憎んではならない。確かに嘘をついたのは、だまして取り違いをさせたのは彼ら天使たちの方だ。でもそれもこれもみんなが幸福になるために方便という手段を使わざるをえなかったからなのです。あなたたちの気持ちはよく分かる、ここ数年私はあなたたちの気持ちを勉強させられてきました、あなたがたがいかに自分の宗教を大切に思っているかを勉強させられてきました。私はこの説この思想を捨てようとしました、しかしそうはいかない仕組みになっていた。苦しみの中で学びました、宗教を持っていようとなかろうとどんな人間も神(潜在意識とそれにつながる万物が共有する宇宙意識)が導いていることを、そしてすでに我々人間には無限の力が与えられているのだと。なんと呼ぼうとその呼び名は問題ではありません。宇宙意識は自分自身の霊を刻んで宇宙のすべてのものを造った(万物斉同)、それだけではない、ありがたいことにその最も高い密度を人間に与えたのだ。我々には他にない想像力と言葉そして無限の創造力が与えられたのだ(一切衆生悉有仏性、一切衆生有仏性、如来蔵)。人間こそ万物の霊長、神なのです。
宇宙はつながりであり、我々が心に思い続けていることは潜在意識に達しやがて万物が共有する宇宙意識にまで達しその思いを実現するのです(唯心所現)。万物を生み出した宇宙の大生命と我々の生命は同質なので、我々の思いは世界の万物に伝わり思いを実現するのです(一即多、多即一)。
父なる神、神の子なる人間、その聖なる霊は不可分で一体であり、神の霊である我々の生命の思いは、父なる神、大宇宙に伝わりそれを実現するのです(三位一体)。
だからこそ心の持ち方が大切なのです。心こそ我々の生命と宇宙の大生命をつなぐチャンネルなのです。よいことを思い続ければよいことが起こり、悪いことを思い続ければ悪いことが起こる。これはなにも特別に修行をした人間だけが持つ力ではありません。思考が人生を造るのです。世の中にはいろいろな修行法があります。密教、ヨガ、気功(チャクラ、クンダリーニ、大周天、小周天)、いずれも気と呼ばれる生体エネルギーを増幅して願望を達成する力を強くするための補助的なものにすぎません。その修行法に悟りのプロセスがあるのではないのです。やはり大切なのは心の持ち方、心を常に積極にプラスに保つことであり、極端な修行、苦行はやりたければしてもいいのだが特別に必要なものではないのです(中道)。もしマイナス思考の人間がこんなものをやったならば、ものすごい勢いでマイナスのものを引き寄せてしまうでしょう。またそんな難しい修行などしなくてもただ祈ったり言葉や教典を唱えたりするだけでも、変性意識状態となりかなり強い気が発生するようです。祈りとは思考の集中形態なのです。
しかしその気はあなたが祈ったり拝んだりする偶像や幻想の神仏から出ているのではありません。あなた自身から出ているのです。人間こそが聖なる者なのです。
今まで神や仏の力だと思っていたものはあなた自身の力だったのです。キリスト教、ユダヤ教そしてイスラム教が強烈な一神教なのは、これだけの仕事をした天使たちを認めて欲しいということと、神である自分自身に気づきなさいということなのでしょう。そして神である自分自身に気づかず他の神にすがり頼ることを偶像崇拝と非難しているのです。
神や仏を尊び感謝することは決して悪いことではありません。いや、素晴らしいことてす、この宇宙のすべてが神や仏の現れであり、神や仏に守られていると信じることはの最高のプラスイメージであるのだから。この点においては、あなたがた宗教者の感謝に満ちた生活に宗教を持たない人々は見習うべきだと思います。
しかし自分たちの宗教、宗派、教団の形式だけにこだわるのは止めて、自分自身を知り、大宇宙の心の法則(ダルマ、神の摂理)に従って強く活きなさいと言っているのです(自灯明 法灯明)。
拝みたかったら何を拝んでもいいのです。だが、「自分たちだけが正しい」「これをやめたら地獄に落ちる、バチがあたる」とかつまらない選民思想は捨てて、それが誰にも等しく与えられた自分自身の力であり、自分達の信仰は人間の中にある偉大なる力を崇め積極思考をするための一つの型にすぎず、大切なことは心の持ち方であるということはしっかりわきまえなければなりません。
結局、彼らの言いたいことは、この宇宙の森羅万象は一つとして単独で存在するのではなくすべてが宇宙意識の現われであり(諸法無我)、そして人間にはすべてを乗り越えるその宇宙の最も強い力が与えられている、だから何も恐れずその力を自覚して強く活きなさいということではないでしょうか。
人間の生命は常に見えざる宇宙霊の力に包まれている。
したがって宇宙霊のもつ万能の力もまた、我が生命の中に当然存在しているのである。
ゆえに、いかなる場合にもまたいかなることにも、怖れることなく また失望する必要はない。
否 この真理と事実とを絶対に信じ、恒に高潔なる理想を心に抱くことを努めよう。
さすれば 宇宙真理の当然の帰結として、必ずや完全なる人生が作為される。
今ここにこの天理を自覚した私は、何という恵まれた人間であろう。
否 真実 至幸至福というべきである。
したがって ただこの上は無限の感謝をもってこの真理の中に安住するのみである。
中村天風 理想の誦句
「天風瞑想録 運命を拓く」 中村天風 著
よく宗教で言う不成仏霊、カルマ(業、宿業)、地獄などを恐れてはいけません。人間とは神の霊と道具である肉体が合体した最高の生命形態です、積極思考をする高い波動の人間には悪い霊は近づいてこれないはずです。いや、あなたが積極思考をすれば、迷っている霊さえそのエネルギー、波動を受けて浄化され救われるのです。死んだ霊よりも肉体を持った霊、生きている人間の方がはるかにエネルギーが高いのです。
またカルマも前世から引きずって来た未熟な心の癖にすぎないのです。そしてその原理も簡単です。
個人の潜在意識であるアラヤ識に貯えられたマイナスの意識が万物が共有する宇宙意識である仏識(集合的無意識)に浸透し実現するだけのことです。
( 注 アラヤ識は仏識の一部であり、アラヤ識と仏識は同質なので両者を区別せずまとめてアラヤ識と表現する場合もある。)
我れ昔より造りし所の諸々の悪業は
みな無始の貪瞋痴による
身口意より生ずる所なり
一切を我れ今皆懺悔したてまつる
懺悔文
「お経 禅宗」 桜井 秀雄、鎌田 茂雄 著
逆を返せばマイナス意識がない所には、絶対的なマイナスの事態は起こりえないのです、薪のない所には、火は燃え盛らないのです。いや、事あるのが人生である。たとえマイナスの事態が起こったとしても、心の持ち方次第でそれをプラスの事態へと変えることができるのです、あんなことがあったからこそ今の幸福があるのだと言えるようになるのです、そしてその試練を乗り越えることで自分の魂を進化向上させることができるのです。苦しみの泥沼の中で光を求め戦った人生ほど大輪の妙なる蓮の華を咲かせることができるのではないでしょうか。
実はご利益もバチも、天国も地獄も我々の心が造っていたのです。たとえ今がどんなに厳しい状態でも心を積極にプラスに持ち続ければ、この世界には変化しないものは何一つないのだから(諸行無常)、必ずすべてはよい方へ変わっていくのです。もうそろそろあなた自身に気づいてあげてもよいころではないでしょうか。
この時こそ地涌千界の菩薩が出現して本門の釈迦の脇士となり、
一閻浮提第一の本尊がこの国に立つのである。
日蓮御書 如来滅後五五百歳始観心本尊抄
日蓮が、如来滅後五五百歳始観心本尊抄でシャカ如来入滅から第五の五百年、約2500年後にこの日本に立つと預言した本尊こそあなた自身、あなたの生命、霊、魂、心なのです。実は、宗教、宗派、教団によって様々である偶像、曼荼羅、聖人などの今までの崇拝の対象は、仮の本尊(迹門の本尊)にすぎなかったのです、あなたの生命、霊、魂と宇宙の大生命をつなぐチャンネルである心こそ凡夫の一念三千世界の理による本当の本尊(本門の本尊)だったのです、すべての宗教、宗派、教団に共通する真の本尊だったのです。
この三千(の世界)は、一念の心に在り。もし心なくんば、すべてなし。
いささかでも心あれば、すなわち、三千(の世界)を具す。
、、、ゆえに、称して不可思議となす。意ここにあり」と。
日蓮御書
如来滅後五五百歳始観心本尊抄
毘盧遮那如来の依報も正報も凡夫の一念のなかにある
日蓮御書 諸法実相鈔
地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたずね候へば、或は地の下と申す経もあり、
或は西方等と申す経も候。しかれども委細にたづね候えば、我等が五尺の身の内に候とみえて候、
仏と申す事も我等の心の内にをはします
日蓮御書 十字御書
「日蓮大聖人御書全集」
仏は、我等が身の内、心の内にあるのです。これはなにも日蓮だけが言っているのではないのです。
臨済宗の栄西もこの心の偉大さを歌に残しています。
大いなる哉、心や。
天の高きは極むべからず、しかるに心は天の上に出づ。
地の厚きは測るべからず、しかるに心は地の下に出づ。
日月の光はこゆべからず、しかるに心は、日月光明の表に出づ。
大千沙界は窮むべからず、しかるに心は大千沙界の外に出づ。
それ太虚か、それ元気か、心はすなはち太虚を包んで、元気を孕むものなり。
天地は我れを待って覆載し、日月は我れを待って運行し、
四時は我れを待って変化し、万物は我れを待って発生す。
大なる哉、心や。
興禅護国論の序 栄西
また曹洞宗の道元も「即心是仏」と言っています。さらに阿弥陀信仰でも「唯心の弥陀」、やはり阿弥陀仏も我々の心のことだったのです。阿弥陀信仰は「長生不死の神方」であると言った親鸞の浄土真宗の教典、観無量寿経にもこう書かれているではないですか。
この心が仏を作り、この心がそのまま仏なのだ。
智慧海のごときもろもろの仏たちは心想から生ずる。
観無量寿経
「浄土三部経(下)」 中村元、早島鏡正、紀野一義 訳注
末法の時代すなわちシャカ如来滅後第五の五百歳、シャカの正体が始めてあかされた今こそ、本尊である自分自身の心のあり方を観直さなければならない時が来たのです。
仏教の開祖シャカも苦しみから解脱する真理を説いているではないですか。苦集滅道。なぜ人生は苦しみに満ちているのだろうか(一切皆苦)。それは人生とは喜びであり生命とは何ものにも打ち勝つ強い力の結晶であることも知らず、我々の心が苦しみにとらわれ苦しみを引き寄せ集めているからだ。その苦しみを滅し光輝く絶対安心の境地(涅槃寂静)に達する方法がある。これがその道だ。その道、方法とは八正道である。
正見
正しい見方。自分自身がこの宇宙の創造した偉大なる力、ダルマ(法)であることさえ知らない無明(無知)の闇を消し去り、自分の生命がこの宇宙のすべてとつながった無限の力(仏性)を持つ存在(梵我一如、法の器)であるからこそ、思いが原因となり縁を得て人生のあらゆる結果を生むという因果の理法を正しく見ること。
正思
正しい思想。正見で知ったこの宇宙の大原則をただ知っているだけではだめなのだ、それをその人の思想、世界観、人生観にまで高めていくことが必要である。
正語
正しい言葉。我々は言葉を使って思考し思考を具体化している。日常生活に何気なく使っている言葉であるが思考をさらに強烈に潜在意識にインプットさせる力を持っている。だから愚痴、弱音、悪口などは愚の骨頂である、なぜならばマイナス意識を潜在意識にインプットしマイナスの物を引き寄せる原因となるからである。逆に我々は常にプラスの言葉を使い豊かですばらしい人生を引き寄せなければならない。苦しみ悲しみ絶望のどん底にあり心がマイナスに引きずり込まれそうな時こそプラスの言葉で自分自身をきっとよくなると説得するのです。
これを日本では言霊という。
正業
正しい行い。天の声(良心の声なき声)を聞き、天に恥じない行いをすること。どんな人間も良心があるので、悪いことをしていればマイナス意識が潜在意識にインプットされてしまうのだ。逆に我々は自己の中にある宇宙の心である本心、良心が喜ぶよいこと、みんなのためになることをなさなければならない、なぜなら潜在意識は、その人の好む行為をその人に引き寄せる、自分のなしたことをその人に引き寄せるからだ。これを因果応報と言う。
正命
正しい生活態度。このプラス思考、積極思考は、限られた修行の中ですべきものではなく、生活すべての中で行うのである。
正精進
自己の夢に正しく最大限の努力精進すること。
利己的な単なる欲望ではなく大きな理想、志ともいえる夢を持ち、それに向かって最大限の努力をすること。我々は物質と霊的な世界両方に同時に存在しているのです、心と体が一体となって夢を叶えるのです、努力もできない夢がその人の本当の夢と言えますか。
仏教では「欲を捨てろ」と言うが、いけないのは我欲、利己的な欲と夢の実現までのあせり、迷い(煩悩)のことであり、決して理想、志ではない、我欲をみんなのためになる理想、志に昇華させ最大限の努力精進をすることほどすばらしい人生はないのではないでしょうか。理想、志を捨てたら人生はふぬけであり厭世主義になってしまいます、「この世はなんと美しく、人間の命はなんと甘美なものなのだろう」と入滅の直前に言ったシャカが厭世主義のはずがないではないですか。
正念
正しい想念。常にプラス思考、積極思考をして、自己の夢を思考しイメージして強く思い念じ続けること。これらのことをし続けていると潜在意識から宇宙意識に伝わり、やがてそれを実現させてくれる。
正定
正しく心を安定させること。大宇宙の力が自己の中にあることを信じ不動の心を造ること。
瞑想や禅をすることだけが正定ではないのです、どんな時でも禅(瞑想)をしているような心の安定を持つことが正定なのです。ちなみに禅(瞑想)とは、無限の力を持つ宇宙意識の一部である自己の中にある潜在意識(仏性) と語り合い自分自身(真我、大我)を知り、自己を拡大して小さな我を忘れすべてを包み込む大きな慈しみの心、慈悲の心を持ち、なおかつ強く活きることなのです。
仏道をならうということは、自己をならうなり。自己をならうということは、自己をわするるなり。
正法眼蔵 道元
著
「倫理用語集」 濱井修 監修
また天台宗の最澄も同じことを「忘己利他」と表現している。さらに空海の真言宗(真言密教)的に言えば、即我大日、もうひとりの自己、大日如来(大宇宙の力)が自分の中に存在することを悟り、三密すなわち身(行動)、口(言葉)、意(心)すべてをプラスに積極に保ち人生の目的に立ち向かうことである。すなわち、プラス思考をしつつ努力することである。プラス思考こそが、人間の持つ偉大な能力をコントロールし運命をも自由自在にコントロールする力、仏教最大の神通力といわれる漏尽通を得て即身成仏する方法だったのです。大切なことは、シャカがその愚かな弟子シュリハンドク(修利盤特)に悟らせたように心を掃除することで充分なのです。
日本神道的に言っても、心の穢れ (マイナス意識)を禊ぎ祓い (洗い清め)、清明心を持つだけでよいのです。これこそがキリスト教の本当の洗礼、すなわち洗霊、心の内側を洗い清めることだったのだ。
偽善な律法学者、パリサイ人よ。あなたがたは、わざわいである。
あなたがたは、貪欲と放縦とで満ちている。
盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。
そうすれば、外側も清くなるのである。
聖書 マタイによる福音書 23章
真理とは特別のことではなく人間としてすべき当たり前のことだったのです。シャカ直説の仏教教典、法句経の冒頭にもこう記されているではないですか。
すべてのものは、みな心を先とし、心を主とし、心から成っている。
汚れた心でものを言い、また身で行うと、苦しみがその人に従うのは、
ちょうど牽く牛に車が従うようなものである。
しかし、もし善い心でものを言い、または身で行うと、
楽しみがその人に従うのは影が形に添うようなものである。
法句経−1〜2
「仏教聖典」
あなたがたは宗教という方便の教えの中で積極思考、プラス思考を身につけているはずです。神や仏に自分が守られているんだと信じることで、本当に宇宙の根元の至高の力に守られてきたのです。
一念三千を識らない者には、仏、大慈悲をおこして、
妙法蓮華経の五字のうちにこの珠につつみ末代の幼稚な衆生の頚にかけさしめたもうたのである。
日蓮御書 如来滅後五五百歳始観心本尊抄
平凡な人間の思いの中に全世界が含まれる、すなわち平凡な人間の思いがこの世界を造っているのだ、だから我々が心に思い続けていることはこの世界に伝わるのだ、平凡な人間の思いにこの世界が感応するのだという凡夫の一念三千世界の理を知らない我々に心優しい未来人(仏)が、宗教という方便、譬えに包んで手渡してくれていたのだ。そしてこの我々の生命の中にあるこの偉大な力、仏性こそ、我々がそうとは知らずに持っていた宝の珠、法華経の宝珠のもう一つの意味だっのだ。
衆生本来仏なり 水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
衆生近くを知らずして 遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中にいて 渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
白隠禅師坐禅和讃
「お経 禅宗」 桜井 秀雄、鎌田 茂雄 著
また、神が人に与えたというキリスト教の自由意志もこの偉大な力のことであったのだ。
求めよ、そうすれば、与えられるであろう、
捜せ、そうすれば、見いだすであろう。
門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。
すべて求める者は得、捜す者は見出し、門をたたく者はあけてもらえるからである。
聖書 マタイによる福音書
7章
なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。
そうすれば、そのとおりになるであろう。
聖書 マルコによる福音書 11章
でも今は宇宙意識が用意した目覚めの時、悟りの時、自分自身を理解し他者の信仰も自分たちのものと同じであったのだと理解しなければならない時なのです。永遠の生命を得て輪廻転生から解脱する時なのです。キリスト教やイスラム教だけでなく仏教の多くの教典にも、不死の法門であると書かれているではないですか。プラス思考、積極思考を身につけ生の苦しみを乗り越え、永遠の生命を得て老化、病気、死を乗り越える時なのです、生老病死を超越する時なのです。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教的に言えば、死者が墓から出て裁かれるという最後の審判の時なのです。輪廻転生を繰り返して人間修行をしてきた魂が最後の審判を受けて永遠の生命に至る時なのです。ここが輪廻転生の終着点なのです。
また、地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。
そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りない恥辱をうける者もあるでしょう。
賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、
星のようになって永遠にいたるでしょう。
聖書 ダニエル書 12章
大きな数の七がすぎて
そのとき大殺戮があらわれる
それは千年期から それほどはなれていないときに
埋葬された人が墓からでてくるだろう
諸世紀10−47
「ノストラダムス予言原典
諸世紀」 大乗和子
訳
京都の太秦にある蚕の社に三柱鳥居という奇妙な鳥居があるそうです、しかもこの神社では一般の神社では、あまりに畏れ多くてほとんどお祭りしない日本の唯一神とも言える天之御中主神をお祭りしているそうです。
(三柱鳥居 学研「八咫烏の謎」より)
その三柱鳥居は三本の柱で鳥居が構成されていて、三つのどの方向から礼拝しても一つの地点を見つめることになります。世界の三大宗教は、いや、すべての宗教は、一つの真理を見つめていたのです。それは唯一の神すなわち我々の生命がその一部分であるこの宇宙を創造した無限の宇宙意識です。あなたの宗教の神や仏とは、これではないのですか。
このように、たえず自己の実修を行い、罪障を脱した実修者は、
ブラフマンとの合一という無上の幸福をたやすく享受する。
実修により自己を修練し、すべてを平等に見る者は、
一切万物のなかにある自己を見、また自己のなかに一切万物を見る。
バカヴァッド・ギーター
わたしは一切万物の原初の種子であると知れ。
わたしは、理性ある者の理性であり、輝く者の光輝である。
中略
惑わされて、この全世界は、これらよりもすぐれて不滅であるわたしを知らない。
なぜなら、神聖であり、成分から成るわたしの幻力はこえがたいから。
わたしにのみ帰依する者がこの幻力をこえる。
さまざまな欲望によってその知を奪われた者は、
それぞれの(宗教的)規則をまもり、(わたし以外の)他の神に帰依する。
いかなる信者がその信仰をもって、いかなる神の身体を崇めようと願っても、
わたしは、それぞれの信者がもつ信仰を不動のものとする。
かの信者はこの信仰をそなえ、その(神々のすがたをとるわたしの)身体を崇めようと願う。
しかも、わたしのみがかなえる願望を、彼はそれ(身体の崇拝)から獲得する。
バカヴァッド・ギーター
「バラモン教経典 原始仏典」 責任編集 長尾雅人
こころは巧みな画工のようなもので、種々の五蘊をえがき、
あらゆる世界のうちに、ものとして造らぬということはない。
ほとけも亦こころと等しく、衆生もまたほとけとおなじい。
心と、仏と、衆生と、この三つのものは無差別である。
諸仏はことごとく、あらゆるものは心から起こると了承したまう。
もしよく斯のように解るならば、その人はまことの仏をおがみたてまつるだろう。
こころ、身に住せず、身もまたこころに住しないで、
しかもよく仏事をなすこと、自在であり、未曾有である。
人もし三世一切のほとけを知ろうとおもうならば、まさに斯のように観ずるがよい。
−「こころ、もろもろの如来をつくる」と。
華厳経 夜摩天宮菩薩説偈品
この三界はただ心のみである。
華厳経 十地品
三界は虚妄であって、ただ一心の所作である。
華厳経 十地品
「ブッダの宇宙を語る 華厳経の世界 上」 竹村牧男 著
自分のものでありながら、その実体を知りがたいのは、我が心である。
自分の心は小さく見えるけれども、実は際限もなく広くまた大きいのである。
人がもし真理を知ろうとするならば、常に自心の奥底を見よ。
そこに真理は豊かな光を放っている。
心はそのまま現象世界である。現象は心を離れて有るものではない。
心の外に現象世界が有ると思うのは、とらわれである。
人はそのからだの中に、本来清らかな仏たるべき性質を備えている。
仏への道は遠くない。唯、心の持ち方、考え方を変えればよいのである。
あらゆる存在は心の認識より始まる。心を離れて万有は存在しない。
空海
「弘法大師聖語撰抄」 中川善教 訳
その心の秘密が、あばかれ、その結果、ひれ伏して神を拝み、
「まことに、神があなたがたのうちにいます」と告白するに至るであろう。
聖書 コリント人への第一の手紙 14章
いちばん重要な、最初の平和は、人の魂のなかに生まれる。
人間が宇宙やそのすべての力とのあいだに、つながりや一体感を見いだせたとき、
その平和が生まれるのだ。宇宙の中心にはワカンタンカが住まい、
しかもこの中心はいたるところにあって、それはわしらひとりひとりの内部にもある、
と理解したときにな。これこそが真実の平和なのだ。
アメリカインディアン ブラック・エルク
「それでもあなたの道を行け」 ジョセフ・ブルチャック編 中沢新一、石川雄午訳
人は神なり、神は人なり。
ホッマツタエ
「神代の風儀」 鳥居礼 著
天地に在りては神と云ひ 万物に在りては霊と云ひ
人に在りては心と云ふ 心とは神なり
故に神は天地の根元 万物の霊性 人倫の運命なり当に知る
心は即ち神明の舎 形は天地と同根たる事を
祝詞 神道大意詞
天照皇太神の宣はく 人は則ち天下の神物なり 須らく静謐を掌るべし
心は神明の本主たり 心神を傷ましむること莫れ
中略
天地の神と同根なるが故に万物の霊と同体なり 万物の霊と同体なるが故に
為す所の願いとして成就せずといふことなし
祝詞 六根清浄大祓
「神拝詞集」
心は則ち理なり。天下また心外の事、心外の理あらんや。
人は天地の心にして、天地万物は本吾が一体のものなり。
王陽明
「陽明学 回天の思想」 守屋 洋
【注】 儒教(儒学)とは礼節を重んじどこまでも人格を向上させることで天に近づくことを選んだ哲学である。朱子(朱喜)は、この宇宙の万物は一体であり「気」というエネルギーで構成されており、この宇宙を動かす原理、法則である「理」が存在することに気づいた(理気二元論)。
それだけではなく我々の生命にその宇宙の原理「理」が宿っていることにも気づいたのである(性即理)。さらに王陽明は、「理」とは「気」の性質であること(理気一元論)、我々の生命に宿っているのは理気だけではなく、宇宙の心である「良知(良心)」もまた宿っていること、そして心が生命である宇宙の原理である理気を動かしさらに宇宙をも動かすパワーがあること(心即理)を悟り、志を持った行いの大切さを主張した。ここに儒教はさらなる進化を遂げた。
神は人間である。そして彼は存在する神である。
彼自身によって存在するのではなく、彼自身の中に存在している。
自分自身の中に存在している彼は神であり、この神からすべてのものは存在している。
神が人間でなかったとすれば宇宙は創造されなかっただろう。
ただ、「一者」、「真に我であるもの」だけが偏在、全知、万能である。
これは永遠の主つまりエホバである。
スウェーデンボルグ
「霊感者スウェデンボルグ」 ウィルソン・デュセン著、今村光一訳
知れ、おートートよ、原始には虚空にして無、無時間、無空間なりき。
しかして無の中に目的を有し、すべてに遍満せる一想念来りて空を満しぬ。
そこには物質は存在せず、力、動き、渦、つまり虚空に満てる有目的想念のみ存せり。
一者存す。まさに第一者なり。始めなき者、終りなき者なり。すべてをつくりたる者、
すべてを治むる者なり。善なる者、正義なる者なり。輝かす者、保持する者なり
あらゆる空間には一なる智恵のみ存す。分かれし如く見ゆるそは一者における一なり。
存するすべてのものは光よりいで来れり。
光は生命なり、されば偉大なる光なければ何ものも存し得ざるなり。
形成されしあらゆるものの内に光の中心が常に存することを知れ。
汝の想念を内に向けよ、外に向ける勿れ。汝、内なる光の魂を見いだすべし。
更に汝は人間は光より来り、光は人間より来れるを理解すべきなり。
汝の内なる諸界への鍵は汝の内にのみ見いださるるなり。
なんとなれば人は神秘への入口にして一者の内なる一者たる鍵なる故なり。
しかり、未だ生まれざる未来において、あらゆるものが一となり一がすべてとならん。
エメラルドタブレット
「エメラルド タブレット」
アトランティス人トート 著、M・ドリール博士 編、林鐵造 訳
こは真実にして偽りなく、確実にしてきわめて真正なり。
唯一なるものの奇蹟は成就にあたりては、
下なるものは上なるもののごとく、上なるものは下なるもののごとし。
万物が「一者」より来たり存するがごとく、万物はこの唯一なるものより適応によりて生ぜしなり。
エメラルドタブレット
「錬金術」 ユタン・セルジュ 著 、有田忠郎 訳
物有り混成し、天地に先だちて生ず。
寂(せき)たり寥(りょう)たり、独立して改めず、周行して殆(つか)れず。
以て天下の母と為すべきも、吾れ其の名を知らず。
之に字(あざな)して道と曰い、強いて之が名を為して大と曰う。
道は一を生じ、一は二を生じ、二は三を生じ、三は万物を生ず。
老子
「中国古典選11.老子」福永光司 著
天地ハ大ナリト雖モ、其ノ化ハ均シ。
万物ハ多ナリト雖モ、其ノ治(秩序)ハ一ナリ。
天地ハ我ト並ビ生ジ。
万物ハ我ト一ヲ為ス。
荘子
「人と思想 荘子」 鈴木修次 著
そして、多くの神、多くの主があるようではあるが、
わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。
万物はこの神から出て、わたしたちもこの神に帰する。
聖書 コリント人への第一の手紙 8章
同一の主が万民の主であって、
彼を呼び求めるすべての人に豊かに恵んで下さるからである。
なぜなら、「主の御名を呼び求める者は、すべて救われる」
とあるからである。
聖書 ローマ人への手紙 10章
勿論、アッラーさえその気になり給えば、
汝らをただ一つの統一体にすることもおできになったはず。
だが、汝らに(別々の啓示を)授けてそれで試みて見ようとの御心じゃ。
コーラン
食卓
いろいろな宗団が現に守っている祭祀はみなそれぞれに我らが設てやったもの
コーラン
巡礼
我ら(アッラー)が彼らを全部一緒に召喚するその日(最後の審判の日を指す)、
(アッラーのほかに)沢山の邪神どもを崇拝したあの者どもに
「これ、汝らが盛んに言い張っていたあの汝らの仲間たち(邪神たちのこと)はどこへ行った」
と訊いてやろうぞ。
この時こそ、さすがの彼らも、
「我らが主、アッラーに誓って申し上げます。
私たちは決してほかの神々なんか信仰しておりませんでした」
とでも言うよりほか言い訳のしようはあるまい。
コーラン 家畜
やがて我らの遣わす者(死をつかさどる天使)が訪れて、彼らを召す時、
「汝ら、アッラーをさしおいて(ほかのものに)一生懸命祈っておったが、
そのものどもはどこにいるのか」と訊ねると、
「わしらをおきざりにして、みんなどこかへ行ってしまいました」と言う。
すなわち、自分たちが無信仰者であったことを自分から証言せねばならなくなる。
コーラン 胸壁
空想で造り上げていたもの(邪神たち)が急に姿を消してしまった今となっては。
コーラン 胸壁
また彼ら、自分たちの中から警告者が出たというので吃驚し、
全然信仰心のない者どもに至っては、
「これはたしかに大山師の妖術つかいにちがいない。
何ということか、これほど沢山の神々をたった一つの神に纏めてしまうとは。
いや、まったく恐れいる」などと言う。
そこで彼らの長老たちまで出馬して来て、
「さあさあ、みんな、どこまでも自分の神々を守り通すんだぞ。
これはたしかに企みじゃ。このようなこと今までの宗教では絶えて聞いたこともない。
だいいち、我らの間で人もあろうに、あの男にお諭が下るとは」と触れて歩く。
実は、彼らはじめからわしのお諭を疑ってかかっておる。
なんと言うても未だわしの罰を味わったことがないから。
コーラン
サード
かつてアッラーは予言者たちと契約を結ばれたことがあった。
「わしは汝らに聖典と聖智を授けてやる。だがその後で汝らのもとに一人の使徒が現れて、
汝らのもっている(聖典と聖智)を確証する場合、汝らは間違いなく彼を信じ、かつ彼を援助する。」
コーラン
イムーラン一家
今は彼らも(聖典)の解き明かしを待つほかなかろう。
だが解き明かしが来るその日(この世の終末の日)、以前それを忘れていた人々も、
「なるほど、神様のお使いの方々が言ったことはみな本当だった。中略」
などと言うことだろう。
コーラン 胸壁
あまりに大きな知らせ(復活と最後の審判の告知)ゆえ、
それで意見が食い違う(やれ本当だ、やれ嘘だと論争している)。
いや、いや、いずれすっかり(事の真相が)わかるであろう。
いや、いや、いずれすっかりわかるであろう。
コーラン
知らせ
あるいは深智と名づける光明をはなつ。
この光はあらゆるもろ人を呼びさまし、一つの法門において、
一念のうちに、量りなきもろもろの法門を残りなく解らしめる。
華厳経 賢首菩薩品
「ブッダの宇宙を語る 華厳経の世界 上」 竹村牧男 著
尊く、大いなる約束が、わたしたちに与えられている。
それは、あなたがたが、世にある欲のために滅びることを免れ、
神の性質にあずかる者となるためである。
聖書 ペテロの第二の手紙 1章
神の言葉が与えるだろう、
天と地、秘儀における神秘の黄金を含む実質に、
肉体と魂と霊は、すべて力あふれる。
天の座にあるときのように、万物は彼の足元に
諸世紀3−2
「ノストラダムス世界大終末」
モーリス・A・ラカス著 南山宏 訳
すべての宗教は一つの真理を見つめていたのです。宗教の違いは真理を見る角度の違いにすぎなかったのです。真理という象を暗闇の中でつかんで、象の異なった体の部分をつかんだ者がそれぞれに象とはこんなものだと言い張っていたのだと、シャカはこの事実を表現しています。また聖書でも、バベルの塔が崩壊した後、神は言葉を乱したと表現しています。
すべての宗教はしょせん信仰の型の違いでしかなく、直接的にまた間接的に人間の中にある唯一の神、偉大な力を崇める型になっているはずです。型の違いではなく心のあり方にこだわるのが本当の信仰ではないでしょうか。信仰の型、形式、儀式、祭式にこだわることは信仰ではなく魔術です。
実は出エジプト記とは不要人類抹殺計画だけの譬えではないのです、奴隷にされていた神の民を解放するUFOによる空中携挙の譬えでもあるのです。その出エジプト記の中でイスラエルの聖者モーセとその兄アロンと戦ったエジプトの魔術師とは、信仰の型、形式、儀式、祭式それだけではなく組識、権威、権力、名誉欲、金銭欲にこだわり唯一の神を認めない現代の宗教指導者のことなのです。
さらに言わせてもらえば、本当のイエスを受け入れず、唯一の神を認めず、不思議な魔術を行い、最大の反キリストである悪魔に自分の信者と地球を売り払う盲目の宗教指導者こそ、反キリスト(不法の者、滅びの子)そのものではないですか。
子供たちよ。今は終りの時である。あなたがたがかねて反キリストが来ると聞いていたように、
今や多くの反キリストが現れてきた。それによって今が終りの時であると知る。
彼らはわたしから出ていった。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである。
聖書 ヨハネの第一の手紙 2章
貪欲な説法者は 己が野心におぼれ
むやみに欲しがる他に 何もすることがない
その者と信者たちは 共に墓穴を掘り
万事あべこべに見て 迷宮の森を押し進む
諸世紀 6−93
「ノストラダムス最後の警告」
飛鳥昭雄 著
宗派に従う者は 密告者に大きな痛手を与え
獣は舞台に情景を用意し
不正な事実の発見者は有名になるだろう
そして宗派で世界は混乱し分裂するだろう
諸世紀1−45
「ノストラダムス予言原典
諸世紀」 大乗和子
訳
拝みたいならどんな御神体、本尊、神を拝んでもよいのです、つまらない選民思想を捨ててそれが積極思考をするための型の一つであることをわきまえさえすれば。あなたがたは、直接的にまた間接的にあなたがたの神や仏を通して自己の中の唯一の神を崇拝すればいいのです、、、、やりたければ。
個人の信仰の型としての宗教は残ってもよいのでしょう、どんな積極思考であろうとも型や方法はあるのだし、どれも天から下った聖者が授けてくれた尊いものであり、どの神や仏も結局は唯一の神につけられた別の名にすぎないのだから。
ちなみに火堂のヘビの崇拝を捨てシャカの偉大なる弟子となった神通第一といわれるマハー・カーシャパ(摩訶迦葉)もあなたがたのことなのです。しかし集団のエゴを広め憎しみの元凶となる布教活動や宗教団体は、新世界にはもう必要ないのです、人間として必要なことは、清い心を持ち精いっぱい努力するだけで充分なのだから。
でも、あなたがたには特別な使命があります。あなたがたは宗教を持たない人より多くを学んできたはずです。あなたがたが信仰する神や仏の教典に何が書かれているかをもう一度よく見てください。
この世なくしてあの世はないのだ。この世を逃げてあの世はないのだ。
この世で幸せになれ。生きながら仏となるのだ。
この天地宇宙が生きている力と、この体に生きる力とは同じなのだ。
さあ・・・手を合わせ。風が吹くように。光がさすように。心に光を放て!
空海
そして悔い改めて、宗教のエゴ、形式、儀式、組織ではなく、「我々の生命はこの宇宙を創造した一なる大生命の一部であり我々の生命の中にその力は活きている、ゆえに小さな苦しみに負けない強い心を持ち精一杯の努力をして、本来ひとつである自他の生命を尊重し、みんなが幸せになれる世界を築きなさい」というあなたがたが学んできたすべての宗教が持つ根元的思想を手に手を取り合って広め、この地上から一切の宗教的争いを消し去り、これだけのことをしてくれた光の友をこの地球に導く運動の中心にならなければなりません、あなたがたは神や仏の直弟子なのですから。
何か(新しい)啓示のお言葉が下るたびに、彼らの中には
「こんなもので信仰が増したのはどこの誰だ」などと言い出す者がある。
実は本当の信仰をもった人たちはみなこれで信仰が増し、大喜びになるのに。
だが心の中に病気をもった者ども、穢れの上にますます穢れが加わって、
とうとう無信仰のままで死んでしまう。
自分たちが(このようにして)年に一度か二度試みられていることが一体彼らにはわからないのか。
それで結局、改悛することもなく、はっと目醒めることもない。
コーラン 改悛
今のうちに正法をそしった罪を悔い改められるならば、
阿闍世王が白癩の病を治して四十年も命をのべ、
無根の信と申す位にのぼって、現身に無生法忍を得たごときものである。
日蓮御書 同体同心事
すべてわたしの愛している者を、わたしはしかったり、こらしめたりする。
だから、熱心になって悔い改めなさい。
見よ、わたしは戸の外に立って、たたいている。
だれでもわたしの声を聞いて戸をあけるなら、
わたしはその中にはいって彼と食を共にし、彼もまたわたしと食を共にするであろう。
勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。
聖書 ヨハネの黙示録 3章
悔い改めてあなたがたが救世主にならなければならないのです。救世主とはイエスの証人のことです。いや、イエスだけでなく我々に言葉を伝えるために天から下ったもろもろの聖者の証人です。あなたがた自身がこの世を救う救世主に、あなたがたの神や仏の証人にならなければならないのです。
救世主(メシア、キリスト、マフディー)、弥勒菩薩(マイトレーヤ、ミスラ、ミトラ、摩多羅神、牛頭大王)、上行菩薩(地涌之大士、聖人)、カルキ、パハナ、、、、、、これもまたその呼び方はどうでもよいのだが、本来、救世主という称号は、神や仏の弟子であるあなたがたが一つになって持つべきものなのだから。以前に○○氏が救世主だとお話ししましたが、その称号もあなたがたから一時お借りしたにすぎないのです。
わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、
すなわち父のみもとから来る真理の御霊が下る時、
それはわたしについてあかしをするであろう。
あなたも、初めからわたしと一緒にいたのであるから、あかしをするのである。
聖書 ヨハネによる福音書 15章
これ、汝ら、信徒の者、正々堂々とアッラーの前に立ち、正義の証人たれ。
コーラン 食卓
分かりますよね、、、一番正しい宗教、宗派、教団などあってはならないのです、少なくとも他の宗教、宗派、教団も自分達とまったく同じ価値があったのだと心の底から認めないかぎり本当の意味での宗教の相互理解も世界平和もないのだから。世界平和、宗教の相互理解を主張するあなたがたが、もはや自分の宗教、宗派、教団が一番正しいとはおっしゃりはしないでしょう。負け組みを造って、自分達の宗教、宗派、教団だけが大勝利をしても、それが本当の勝利と言えるのでしょうか。負け組みを造らず全人類が勝利することこそ本当の大勝利ではないのでしょうか。
どれか一つの宗教、宗派、教団が正しかったのではなく、みんな方便だったがみんな正しかったでいいじゃないですか、みんな尊い集団だったでいいじゃないですか。中東では、同じ神(ヤハウェ=エホバ=アッラー)を崇める者が、宗教、宗派の違いで今も神の名のもとに殺し合いをしているのてす。
こだわらない心、広い心、これが空なり般若心経。みんながこだわり、エゴ、権力、我欲を捨てて少しずつ道を譲り合って宗教の本質は一つなんだと認め、手を取り合って世界を一つにして、これだけの作業をしてくれた隣人である我々の子孫を仲間として受け入れなければならない時が来たのです。
また地のもろもろの国民はあなたの子孫によって祝福をえるであろう。
あなたがわたしの言葉に従ったからである。
聖書 創世記 22章
あなたがたは神様や仏様の大切なお弟子であり、どれもみな尊い集団なのです。あなたがたを軽んじるわけにはいきません。私は仔牛の男。いや、牛の糞程度の人間です。
だからギリギリの所で最も大切なことは何かを学ばされ、こんなことをしなければならなくなってしまったのです、どんな恥をかこうとも自分の人生の責任を取らなければならなくなってしまったのです。神様や仏様の大切なお弟子である立派なあなたがたならきっと分かって下さると信じてペンを取りました。いや、私自身の妻や親や兄弟でもあり恩人でもあるあなたがた宗教者と分かり合えることを信じて、そして自分自身の心を病にしないためにペンを取りました。
追伸 イスラム教徒、ユダヤ教徒のみなさんへ
イスラム教徒のみなさん、今、あなたがたの一部の同胞が大切な命を投げ出して自爆テロをしていることに心をいためていると思います。誰が自分の大切な命を投げ出したいでしょうか。誰が自分の肉親や同胞が死ぬのを悲しまずに見ていられるでしょうか。いや、心を痛めているのは、あなたがたイスラム教徒だけではなく、同じ人類の同胞として世界の多くの人々が心を痛めているのです。
でも、力を持たないあなたがたとしてはそんな悲しい行為で自分たちの主張を世界に訴えるしかなかったのですよね。でも、もう一切のテロは許されないのです、アッラーが許さないのです。
ユダヤ教徒の神は誰ですか、キリスト教徒の神は誰ですか、、、あなたがたと同じアッラーではないですか。彼らもまたあなたがたと型の違う唯一絶対神を崇拝するイスラム教徒なのです。このことはあなたがたの聖典・「コーラン」にも明記されているはずです。
(ユダヤ教徒やキリスト教徒に)言ってやるがよい、
お前たち、アッラーのことで我々と言い争いをしようというのか。
アッラーは我々の神様でもあれば、お前たちの神様でもあるものを。
コーラン 牡牛
確かにパレスチナのイスラム教徒は、土地を奪われ、親を殺され、兄弟を殺され、子供を殺され、本当に悲惨な思いをしてきたのだと思います。しかし、それはあなたがただけでなく、イスラエルのユダヤ教徒も同じなのです。イスラエルのユダヤ教徒のみなさんは思い出してください、国を奪われ世界を放浪して、迫害された日々のことを、数えきれない同胞が虐殺された日々のことを、、、。今のパレスチナのイスラム教徒はかつてのあなたがた自身の姿なのです。パレスチナのイスラム教徒もイスラエルのユダヤ教徒も、平和にどっぷり漬っていた我々日本人にはとても想像もできないほど悲惨な思いをしてきたのだと思います。その日本人である私ごときがあなたがたの宗教のあり方を批判するなどという大それたことをしたことをどうかお許し下さい。しかし、我々日本人はあなたがたと全くの他人ではない可能性もあるのです。と言うのも、古代日本文化の形成において、中東からやって来た人々が大きく関わっている可能性があるのです。
もう、こんな悲惨な争いはやめにしませんか。人種、民族、宗教、宗派、国家、、属している組織に関係なく、人類はその本質である聖なる霊において一つなのです。人類が共通に持っている本心、良心において、その真心において一つなのです。その他を思いやる真心こそがあなたがたの神、ヤハウェでありアッラーなのです。
すべては枠組みをつくり他を差別することに問題があるのです。ここにすべてを解決する方法があります。この世界を創造した唯一の神を認め、人種、民族、宗教、宗派、国家、組織の垣根を取り払い、愛と思いやりで世界をひとつにして、我々人類の子孫である天使を客人、いや同胞として受け入れることです。
もはや猶予はありません、1999年から最後の審判が始まっているのです。
教会や各宗派は幻想にかられ
破壊にむかうだろう
生きることよりも いっそう大きい傷を石にするだろう
人々はなめらかな舌で 耳をとりもどすだろう
諸世紀1−96
「ノストラダムス予言原典
諸世紀」 大乗和子
訳
大いなる一族のところに やってくるとき
彼がたましいのすべてをもどすまえに
いまや明白となった事実を見るだろう
鷲とライオンと十字形の王冠とで
諸世紀6−71
「ノストラダムス予言原典
諸世紀」 大乗和子
訳
新しい法が新しい土地を支配するだろう
シリア ユダヤ パレスチナのあたり
野蛮な大帝国が崩壊するだろう
太陽の世紀が完了するまえに
諸世紀3−97
「ノストラダムス全予言」Eチ−タム著 流智明 監修
どんな不正であれ、どんなとがであれ、すべて人の犯す罪は、
ただひとりの証人によって定めてはならない。
ふたりの証人の証言により、または三人の証人の証言によって、
そのことを定めなければならない。
聖書 申命記 19章
いよいよ臨終で遺言したいと思う時には、
同族の公正な男を二人だけ証人にたてるようにせよ。
コーラン
食卓
あなたがたの律法にふたりによる証言は真実だと、書いてある。
ヨハネによる福音書
8章
主のすべての道はその契約とあかしとを守る者にはいつくしみであり、まことである。
聖書 詩編 25章
またアッラーとの契約は必ず果たすよう。
コーラン
家畜
そのことがまだ起こらない今のうちに、あなたがたに言っておく。
いよいよ事が起こったとき、わたしがそれであることを、あなたがたが信じるためである。
よくよくあなたがたに言っておく。
わたしがつかわす者を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。
わたしを受け入れる者は、わたしをつかわされたかたを、受け入れるのである。
聖書 ヨハネによる福音書 13章
これが日本神道一厘の仕組みだ
タテカヘ、タテナホシ、過去と未来と同時に来て、同じところで一先づ交り合うのであるから、人民にはガテンゆかん、新しき世となる終りのギリギリの仕上げの様相であるぞ。
日月神示
その後の研究により、天理、大本、成長の家、世界救世教、真光、、、といった江戸時代末期から始まった神道系新宗教、そして日月神示(ひふみ神示)も、どうも天使たちの作品らしいことが分かった。また最近はチャネリング(テレパシー)で彼らの前世であるチャネラーにもメッセージを送っているようである、アリオンや宇宙連合シークレット・アイなどもこの一種のようである。国外でも「シルバー・バーチの霊訓」、「神との対話」などもそうなのであろう、またUFOコンタクティ−も同様のメッセ−ジを受け取っているようである。
これら神道系新興宗教の教えは人間は創造神である「大神、大元の神、親神など」の「分け御魂(分身分霊)」であり、やがてその創造神の意向により「世の立替え立直し」、「大峠」、「大禊」、「火の洗礼、水の洗礼」「大浄化」があり、その後「ミロクの世(理想世界)」が到来すると同じ言葉、同じ口調で警告してくるのである。
この章では岡本天明氏の日月神示からいくらかを引用させていただく。そしてそこには私が20年近くかけて勉強してきたことのすべてが書かれていたのだ、核戦争、ポールシフト、未来(北)からの悪魔の来襲、3月、4月からの大疫病と大飢饉、、、、、、、、
立替え延ばし延ばししている神の心判らんから、あまり延ばしては丸潰れに、
ワナに落ちるから止めの一厘のふた、あけるから目開けておれん事になるぞ、
早う知らせる人民には知らせてやれよ。
三月、四月に気つけて呉れよ、どえらい出来事来るから何うしても磨いておいて下されよ。
三月三日から更にきびしくなるから用意しておけよ、五月五日から更に更に厳しくなるから用意して何んな事起こってもビクともせん様に心しておいてくれよ、
びっくりばこいよいよとなりたぞ、春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ。早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ。
わけの判らん虫わくぞ。わけの判らん病はやるぞと申しておるがそのことぞ。
病神がそこら一面にはびこって、隙さえあれば人民の肉体に飛び込んでしまう計画であるから、余程気付けておりて下されよ。
世界に何とも言われんことが、病も判らん病はげしくなるぞ。
食ふべきものでない、悪食うて生きねばならん時来るぞ。
日本の国に食物なくなってしまうぞ。世界中に食物なくなってしまうぞ。
政治も経済も何もかも無くなるぞ。
食べるもの一時は無くなってしまうぞ。覚悟なされよ。
そして最も大切な思想、この世界のすべてがつながりであり人間には宇宙の大本(大元)の神の最も尊い力が与えられているのだといこと、人間こそ神であるということ。だから自己の中の神の霊の力を自覚し心の使い方を間違えずに、天理に沿って心をプラスに、積極に保ち努力して天成る道、惟神の道を強く活き抜き、魂を成長させなさいと言うこと、「霊主体従」、「神人合一」。
神は宇宙をつくり給わず。神の中に宇宙を生み給うたのであるぞ。
神は人となりたいのぢゃ。人は神となりたいのぢゃ。
人は神のいれもの、神は人のいのち。
人間の肉体は原則として真理の宿り給ふ生宮であるから、
神は人間、人間は神であると申してあろう。
人間の極まるところが神であるぞ。
人間は神の土台ぞ。この道理判るであろう。
神の衣は人であるぞ、汚れた衣では神はいやざぞ。
そなた達の本尊は八十八枚の衣着ているのぢゃ
死と云ふことは、その衣、上からぬぐことぢゃ。
此の世では、人間の心次第で良くも悪くも出て来るのぢゃ。
運命は自由自在のものであるが、また強いるものでもあるぞ、
大きくも、小さくも、薄くも、その人の心次第に変わるぞ。
神が人間の心の中に宝いけておいたのに、悪にまけて汚して任まうて、
それでも不足申しているのに気づかんか、
何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ、
内にあるから外から迫るのじゃ。自分で呼びよせているのぢゃ。
苦しみの神。因果の神呼んでおいて、不足申している者多いのう。
念からつくり出せよ。その念のもとをつくれば、神から力を与えるから、この世の力と現れるぞ。
念は語ることによって現はれるのぢゃ。このことよく判りて下されよ。
肝の中にゴモクすてるとよくわかる。
人間の念力だけでは何程のことも出来はせんぞ、
その念力に感応する神の力があるから人間に判らん、びっくりが出て来るのざぞ。
「積極思考、プラス思考による世の立替え立直し」、「潜在意識の掃除洗濯」、「潜在意識の浄化」これこそ「陽気ぐらしによる世の立替え立直し」、「魂の掃除洗濯
」、「浄霊」だったのだ。霊的世界(心の世界、実相の世界)のレベルでは、地球人ひとりひとりがプラスの気を発することによって世界の運命も変えてしまうのでしょう、なぜなら霊的世界で起こったことが、いずれこの世界に現実として現れるのだから。
冬の次が春とは限らんと申してあろが、
夏雪降ることもあるのざぞ。
神が降らすのでないぞ、人間降らすのざぞ、
人間の邪気が凝りて天にも地にもわけの判らん虫わくぞ、わけの判らん病ひどくなるぞ、人間目開けて居れん事になるぞ、
さあ今の内に神徳積んでおかんと八分通り獣の人間となるのざぞ。
二股膏薬ではキリキリ舞するぞ。
獣となれば、はらから喰ふ事もあるぞ。
災劫が解消されるか否かは、ひとえに人の心にかかっている。
人の心の向かうところに照応して、災劫は、あるいは現れ、
あるいは消えるのである。
人心が不善であれば、邪気は多大となって災劫がはなはだしくなる。
人心が善であれば、善の気が凝って災劫が解消される。
道教 紅卍会の預言
この世界の大浄化は、地球人ひとりひとりがどれだけ良い思念波を発することができるかという思考戦である。
立替を 世人のことと
な思いそ 立替するのは 己が御魂ぞ
大本教 出口王仁三郎の歌
そしてこの戦いで最も強力な武器となるのが言霊である。思考がマイナスに引きずり込まれそうになった時、プラスの言葉で自分を励まし心の浄化をするのです、世界の大浄化をするのです。確かに天から再臨するイエスは救世主なのですが、この意味ではひとりひとりが自分自身を救い世界を浄化し救う救世主にならなければならないのです。くれぐれも言っておきますが、最後の審判とは、人間を善人と悪人に分けて、悪人をこの世から一掃するといった安直なものではないのです。どんな人間にも他を思いやる善なる心と利己的な未熟な心を持っているのです。最後の審判とは、利己的な心、弱い心、憎しみ、嫉妬、怒り、恐怖、慢心、貪欲、、、、そして「われよしの心、迷いの心(選民思想)」を洗い清め、善なる心、我々の生命に内在する宇宙の心とその力を輝かせるひとりひとりの戦いなのです。実は、神である我々人間の悪魔的意識が凝り固まって悪魔的未来人をも造り出したのです、天使的意識が凝り固まって天使的未来人をも造り出したのです。これが悪魔と天使の正体だったのです。シャカが菩提樹の下で我欲(貪)や怒り(瞋)などのマイナス意識は真理を知らない愚かさ(痴)からくるのだと悟りそれに打ち勝ったように、イエスが荒野で悪魔の誘惑(利己的な心)に打ち勝ったように、我々も利己的な未熟な心、マイナス意識に打ち勝ち、自己の内なる神性(仏性)を輝かせなければならない時が来たのです。すべては「一条の道」、「一筋の道」、「万教同根」、「万教帰一」につながっていたのである。「九分九厘」のことは宗教や預言という形で人類に知らされていたのだ。しかし最後まで言えなかったことがある、これこそが最後の最後まで言えなかった「とどめの一厘、一厘の秘密」だったのだ。今、とどめの一厘と九分九厘との戦い、「とどめの戦」が始まったのだ。
いや、とどめの戦など始めてはいけない。今こそわれよしの心(選民思想)を捨てて九分九厘と一厘が一緒になり「十全」となり世界救世の真光となり、どれか一つの宗教、宗派、教団に属しているほんの一部の人間だけではなく世界一列皆助けなければならないのです。
56億7千万年、、、五千年期、六千年期も過ぎ、栄光の七千年期となった今、ミロク(567)の世を導かなければならない時なのです、神が手のひらを返すという「天意転換」の時なのです、「富士と鳴門の仕組」すなわち「不死と成る答の仕組」を実行しなければならない時なのです。
此れまでの仕組や信仰は方便のものでありたぞ。
今度は正味の信仰であるぞ。
神に真正直に向かふのざぞ。
神も仏もキリストも元は一つぞよ。
神まつりて呉れよ、神まつはりて呉れよ、神はそれを待っているのざぞ、
それでもせぬよりはましぞ、そこに光あらわれるぞ、
光現れると道はハッキリと判りて来るぞ、この方にだまされたと思うて、
言う通りにして見なされ、自分でもビックリする様に結構が来るのにビックリするぞ。
仏教もキリスト教も回教もみな方便ぢゃ。
おしえではどうにもならん。ぎりぎりの世となっているのぞ、道ではなくてはならん。
今度は末代動かぬ世にするのざから、今までのような宗教や教への集団にしてはならんぞ、この道は宗教ではないぞ、教会ではないぞ、道ざから、今までの様な教会作らせんぞ。
神から出た教えなら。他の教えとも協力して共に進まねばならん。
教派に囚はるは邪の教え。豚に真珠となるなよ。
真の信仰に入ると宗教に囚われなくなるぞ。形式に囚われなくなるぞ。
国々所々によって同じ集団いくらでもつくりあるのぢゃ、
何れも我折って一つに集まる仕組ぢゃ、天狗禁物、
いづれもそれぞれに尊い仕組ぞ、又とない集団ざぞ。
神の心告げる手だても各々違ふのぢゃ、心大きく早う洗濯致されよ、
とらわれるなよ、とらわれると悪となるぞ。
一旦治るなれど、後はコンニャクぢゃ、判らん仕組、
判らなならんのぢゃぞ、悪とは我よしのこと。
大真理世界の三つは一と和し、鳴り成りて始めて、まことの愛の代極み来る
最後に
我々地球人は心のあり方を改め、これだけのことをしてくれた我々の子孫である天使をこの地上受け入れるだけでよいのです。決して大切なのはオカルト的な知識などではありません。やはり大切なことは心のあり方、どんな状況でも心に光りをもち他を思いやる心、我々はすべて唯一神の一部なのだから、それだけではなくその力は我々の生命の中で活きているのだから。
そのことを私はこの人生の中で学ばされました。そしてそれは全ての宗教、宗派に内在していることも。天は全ての人々が救われる計画を立てているはずです、かならず不幸な未来が来る前に、天からの実力行使があるはずです。私はそう信じています。この資料は「真・立正安国論 未来からの最終警告」を無理に要約した都合上、どうしても論理の飛躍や分かり難い所が出てしまいました。どうかその点についてはお許し願いたい。
アサリ二世
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