縁の花

     (21世紀に咲く智恵の輪)  

            248

        大河ドラマ風林火山

∞「武田家の御霊は、この世に、確かに存在します」∞

 

キクが、武田家一年日記を書くことによって、

学んだことは、たくさんあります。

 

でも、まず、キクが、痛感したことは、

大河ドラマ、風林火山の、真の原作者、

制作したスタッフは、

風林火山を書いた、原作者の井上靖さんでもなければ、

脚本家の大森寿美男さんでもなく、

武田家の御霊達だということです。

 

 

いえ、真の原作者なんていうものではありません。

武田家の御霊というか、天というのか、

目には見えない存在の人達が、

この風林火山のドラマを、

長い年月をかけて、準備して、

2007年に、風林火山のドラマを、

制作したと思います。

 

 

言い換えるなら、

武田家の御霊さん達は、

作家の井上靖さん、

脚本家の大森寿美男

プロデューサーの若泉久朗さんだけでなく、

山本勘助役をした、内野聖陽、

信玄役の市川亀治郎

由布姫役の柴本幸さんや、

名演技をした板垣信方役の

背景にいて、うまく自分達のいろんな思いを、

見事に、ドラマ風林火山で、表現したと思うのです。

 

 

しかも、それは、何年も前から、

計画されていたことだと思います。

何故なら、キクが、その事に、確信を持ったのは、

1969年に放送された天と地のご縁で、

信玄が、信濃の国衆の一人、市川藤高に送った手紙が、

発見それたということです。

 

この手紙の中で、信玄が、詳しいことは、

使者の山本勘助に聞くようにと書かれていたことで、

それまで、実在されていないと思われていた、

山本勘助不在説は、否定されていました。

山本勘助が、存在したことに、

誰も、否定できなくなったのです。

 

 

キクは、その事を知った時から、

ずっと、武田家の御霊たちの存在を

確信していました。

きっと、これは、武田家の御霊達が、

したことだと思っていたのです。

 

 

だって、この事がなかったら、

山本勘助は、実在しないと思われていたら、

大河ドラマ、風林火山は、誕生しなかったと思うからです。

NHKは、歴史上、実在したのか、しなかったのか、

分からない人物を、主人公にした、ドラマは、

制作しないと思っていたからです。

 

 

しかも、キクは、大河ドラマと、武田家の御霊達は、

この時から、特別な縁が、あると思っていました。

何故なら、1年もかけて、多くの人が見る、

日曜日の8時に、特定の人物の一生を、描くドラマを、

制作するのは、やはり、NHKの大河ドラマだけです。

 

 

その上に、大河ドラマは、

NHKなので、民放のテレビ局よりも、

はるかに、歴史を正確に描きます。

前から、もし、武田家の御霊達が、

500年前、信玄公と共に、生きた頃の思いを、

生きた証を、描くとしたら、

これは、大河ドラマしかないと、

ずっと確信していたのです。

 

 

だから、キクは、武田一年日記を書くに当たって、

一番意識したことは、今回のNHKの大河ドラマは、

武田家や、武田家に、滅ぼされた御霊さんたちの思いが、

一杯入っているということです。

 

 

従って、そんな御霊さんたちに、意識を向けて、

チャンネルを合わせて、

御霊達のいうことに、耳を傾けて、

よくキク(聞く)ことで、少しでも、

御霊さんたちの思いを、

文章で、形にして、皆さんに知って貰おうとしました。

 

 

それが、武田家や諏訪家など、

戦国時代に生きた御霊達に対する供養で、

キクは、初めてそれで、多くの御霊達が、

済度、救われて、あの世に帰れると、確信していたのです。

 

 

 

∞「武田家の御霊の思い(重い)」∞

 

何とか、NHKの大河ドラマ、風林火山を通して、

戦国時代に生きた、武田家や、その武田家と戦った、

諏訪家や村上氏、小笠原氏、上杉家などの御霊さんの思いを、

文章として、形にしたいと思って、

初めて、武田一年日記ですが、

書いて、しばらくして、キクが、痛感したことは、

大河ドラマ、風林火山は、キクが、予想していたよりも、

はるかに、多くの御霊さんの思いが詰まっているということです。

御霊さんの思いは、相当重い(思い)と思ったのです。

 

 

また、その中でも、特に、キクが、驚いたのは、

諏訪家に対する思いでした。

国を乗っ取られた、武田家に対する、諏訪家の怒りと

武田家の御霊の申し訳ないという思いです。

キクは、それを、強く感じたのです。

 

 

しかも、それは、キクの前からの思いとも、

見事に一致していました。

キク自身、戦国時代、最強だと恐れられていた、

武田家が、信玄が死んだ後、10年で、

あっけなく滅亡したのは、

跡を継いだ武田勝頼が、「アンポンタン」だった。

その為に、信玄の家臣と調和が取れなかった。

武田家の金山から、金が産出されなくなった。

敵である、織田信長、徳川家康が、偉大過ぎた。

などの・・・・いろんな理由があるとは思いますが、

真の理由は、諏訪家の恨み、呪いだと思っていました。

 

 

 

だから、それを、どう表現しようかと思っていましたが、

大河ドラマ、風林火山は、見事に、そんなキクの思いを、

代弁してくれていました。

風林火山のドラマを、それをどんどん表現してくれるのです。

 

 

それで、キクは、改めて、風林火山のドラマは、

武田家の御霊達が、書いているという確信を持ちました。

キクが、確信している、諏訪家の呪いの説は、

間違っていなかったと、改めて、確信を持ったのです。

 

 

 

しかも、キクが、もう一つ、驚いたことは、

本当に、武田家の御霊の思いは、たくさんあるという事です。

下手をしたら無数にあるといっても、いいぐらいで、

正直言えば、一話で、一つから、二つの日記を、

書かせて頂きましたが、とてもそれでは、

足りないと思いました。

書きたいことが、たくさんあるのです。

 

 

これには、キク自身、改めて考えさせられました。

戦国時代、生きる為に、いろんな国を侵略して、

滅ぼし、最後は、滅ぼされた武田家です。

いろんな御霊達の思いは、あるとは思っていましたが、

こんなにあるとは思わなかったのです。

これは、武田家の御霊を意識して

一年間、書いてきたキクだから、

初めて、はっきりと分かったことなのです。

 

 

また、そんなキクですから、

正直言って、まだまだ書きたい、御霊さんの思いがあります。

特に、前世勝頼の兄になる、義信公のもり役だった、

飯富虎昌に関しては、書きたかったと思いますし、

次の号で、書きたいと思います。

 

 

ただ、ここで、キクが言いたいことは、

皆さんに知って欲しいことは、

武田家一つで、これだけあるのですから、

当然、他の戦国時代の大名にもあるはずですし、

戦国時代に限らず、どの時代でも、

歴史に名を残した家の御霊さんには、

あるという事です。

 

 

だから、キクは、2008年に始まった、

NHKの大河ドラマ、篤姫にも、

たくさんの御霊さんたちの思いがあると思います。

それは、篤姫なら、島津氏の御霊さんや

多くの薩摩藩の志士達の御霊

江戸時代の大奥の御霊・・・・

などになると思いますが、

皆さんも、耳をすませて、聞こうとしたら、

聞くことができると思うのです。

 

 

しかも、それは、風林火山や、篤姫だけでなく、

今まで、NHKの大河ドラマで、放送された番組なら、

どの作品にもあると思いますし、

これからも、大河ドラマのようなものが、

継続していくかぎり、続くと思います。

 

 

キクの感じでは、そんな御霊達の思いは、

21世紀になってから、どんどん大きくなっている気がしますが、

来年の大河ドラマ、天地人の主人公、

上杉景勝の家老として活躍した、直江兼続や、

大河ドラマでなくても、

NHKが制作する、日露戦争を描いた、

坂の上の雲でも、

御霊たちが、いろんな思いを、表現してくる

メッセージを伝えると思うのです。

 

 

だから、キクは、皆さんに、

この事は、知って欲しいと思いますし、

皆さんが、歴史関係のドラマを、見るときは、

その時に活躍した、御霊達を思って、

波動、チャンネルを、御霊さんに合わせて、

その思いを、理解して欲しいと思います。

そうしたら、たくさんの御霊さんが、救われる、

済度されていると

キクは、確信しているのです。

是非、皆さんも、自分なりの済度を、

して頂きたいと思います。

よろしくお願いします。

 

 

 

∞「武田家の御霊の思い 

兄武田義信公と守役飯富虎昌」∞

 

前回のメルマガ、武田家の思い(重い)で、

キク自身、1年間書いても、

まだまだ、武田家の御霊の思いを、

書ききれなかったことを、紹介しました。

 

 

戦国時代、最強と恐れられ、

信玄公亡き後、

あっという間に、滅亡した武田家には、

いろんな御霊さんの思いがあります。

 

 

無念だった。

あの時、こうしたら、よかった。

あれをしなかったら、よかった。

これは、違っている。

戦で死にたくなかった。

もっと、生きたかった。

それぞれの御霊さんで、思いは違っても、

たくさんあるのです。

 

 

ただ、どうしても、そんな御霊さんの思いの中でも、

キクが、皆さんに知って欲しい、思いがあります。

それは、キクの前世、武田勝頼の兄になる、

武田義信公と、そのもり役として、

最後まで仕えた、飯富虎昌さんのことです。

 

 

 

というのも、大河ドラマを、見た人なら、

思い出して欲しいのですが、

信玄が、まだ晴信だった時に、

初めて、父親である、信虎の追放を決意して、

それを、守役の板垣信方に、告げた時に、

板垣信方が、最初に、密議で、相談した相手が、

甘利虎泰と、飯富虎昌でした。

 

 

その時に、キクは、脚本家の大森寿美男さんは、

やるなあと、思いました。

ドラマでは、その時に、板垣信方は、

我々、三人は、一心同体といって、

御屋形様である、信虎の隠居、駿河に追放する事に、

同意を求めました。

二人も、渋っていましたが、

結局、甲斐のために、信虎追放に、賛同しました。

 

 

ドラマ風林火山では、信虎追放は、

板垣信方、甘利虎泰、飯富虎昌の三人の

密談から、始まったのです。

 

 

しかし、歴史は、皮肉です。

因果応報です。

父親を追放した晴信は、嫁の里である、

駿河を侵略することで、

跡継ぎ、義信公と対立します。

その時に、義信公は、父、信玄がやったように、

自分も、父親である信玄を、追放することを、

企てたのです。

 

 

その時に、真っ先に、相談されたのが、

守役の飯部虎昌でした。

その時に、信玄公から、大切な嫡男の養育を任された

教養もあり、武将としても、他国にまで、甲山の猛虎、

飯富の赤備えとして、恐れられていた

飯富虎昌が、どう思ったのかは、謎ですが、

義信公の無謀を、感じたと思います。

 

 

何故なら、信玄公の時と、

信虎公の時とは、事情が違います。

甲斐、信濃の国で、信玄公追放を、

望んでいる人などいません。

冷静、沈着な飯富虎昌は、

守役として、義信公に、

信玄追放の無謀さを伝え、

お諌めしたと思うのです。

 

 

だけど、義信公の決心は変わりません。

それで、飯富虎昌が、取った方法は、

弟、後の山県昌景に伝え、

謀反は、あくまでも、自分が、企てたということで、

義信公を守ることでした。

 

 

飯富虎昌は、それで、謀反の責任を、

一切、自分が、引き受け、

義信公を、諌めようとしたのです。

さすがの義信公も、謀反が、

発覚すれば、諦めると思ったのです。

しかもその為に、飯富虎昌は、

飯富家を潰しているのです。

 

 

だから、信玄公は、そんな飯富虎昌の

意図に、心から感謝して、

飯富家を全部、弟、飯富昌景に、

名字を、甲斐武田の譜代の名家、

山県家を継がせて、飯富の赤備えを

任せています。

 

 

後に、山県昌景は、

武田家の四重臣の一人として、

名を残す名将となり、

徳川家康との戦い、

三方ケ原の戦いでは、

騎馬武将や兵卒が、すべて武具、

差し物、馬具などを、赤色に統一させて、

敵を恐れさせた、赤備え隊を率いて、

徳川家の本陣にまで迫って、

大いに恐れさせました。

 

 

徳川家康は、後々まで、

その時の恐怖を伝えて、

武田家が滅亡した後、

甲斐、信濃を支配した時、

山県隊の旧臣を、家臣の井伊家に、そっくり仕官させて、

赤備え隊を、復活させているのです。

 

 

しかし、そうまでした、飯富虎昌の思いは、

信玄公の親心は、兄、義信公に伝わりませんでした。

いえ、伝わっていても、もうどうする事も、

できませんでした。

 

 

信玄公は、悪いのは、唆せた、飯富虎昌だという事で、

東光寺に、幽閉して、改心することを、

辛抱強く待ちましたが、義信公の気持ちは変わらず、

二年後、自分から自刀したとも、

自害させられたとも、言われています。

 

 

でも、キクは、兄、義信公は、

そんな父親、信玄の気持ちは分かっていても、

自分の正義感で、守役の飯富虎昌とか、

自分の配下の若い有能な義信隊の家臣を、

殺させた自分を許せなかったのだと思います。

 

 

いえ、そこまでした自分が、おめおめと許されて、

再び、武田家の当主として、生きる自分が、

どうしても許せずに、自ら、

命を絶ったと思いたいです。

それで、ずっと、自分の事で、

苦悩している親である信玄公を、

救おうとしたのです。

 

 

また、弟の勝頼に対しても、

跡は、腹違いですが、

弟、勝頼がいるから、

自分は、必要ないのではないか。

自分が、いなくなる方が、

武田家の為に、いいと思ったのです。

 

 

ですから、義信公は、誰の命令でもなく、

自分で、自刀している可能性が高いですし、

例え、信玄公が、命令したとしても、

そんな義信公の気持ちを理解して、

義信公を、救う為に、

命令したと思います。

 

 

だから、キク自身、前世の弟として、

兄、義信公や、

守役として、最後まで使えてくれた、

飯富虎昌さんには、心から感謝しています。

本当に、ご冥福を、

この場で、お祈りしたいのです。

 

 

でも、キクが、ここで、皆さんに、

言いたいことは、

本当に、武田家の御霊さんには、

多くのいろんな思いがあるという事です。

とても、それを、キク一人で、

表現することなど、不可能なのです。

 

 

しかし、キクは、それでも、

武田家や、織田家、北条家などの、

歴史に名が残った人達の御霊さんは、

まだいいと思います。

歴史として、残っているかぎり、

知ってくれる可能性があるからです。

 

 

だけど、実際は、そんな名前が、

残っている家の御霊さんは、殆どいません。

多くの御霊さんは、歴史に、存在せず、

その思いを、誰かに知って貰える、

チャンス、ご縁もないのです。

キクは、そのことを、是非、皆さんに、

知って欲しいと思います。

よろしくお願いします。

 

 

 

∞「武田家済度1」∞

 

済度という言葉があります。

意味は、辞書で調べて頂いたら言いですが、

いろんな意味があります。

 

 

でも、キクが済度と言っている意味は、

辞書で紹介されている意味、

仏言葉の、多くの生きた人達、衆生を、

救うということではなくて、

存在しない御霊さん達を

救うという意味で使わせて頂いています。

 

 

といって、この言葉の意味は、

キク自身が、自分で、考えた言葉ではありません。

昔、ご縁を持っていた人達、

済度の先生や、済度の人達とあえて言いますが、

そんな済度の人達に、教わった言葉なのです。

 

 

また、キクは、武田家一年日記を、

書くにあたって、

その済度を、キクなりに、

させて頂こうと思いました。

 

 

大河ドラマ、風林火山を見ている、生きている人だけでなく、

目には見えない御霊さん、皆さんの背景にいる御霊さん、

相手に、書かせて頂こうと思っていたのです。

 

 

だから、キクは、武田一年日記を書くことで、

少しでも、武田家の御霊や、

武田家と戦って、滅ぼされた御霊さん達の思いを、

文章で、形として、残すことを、目的にしていました。

 

 

それが、昔、済度の縁にツイテいて、

済度のことを、学んでいたキクだからこそ

書けること、

風林火山のことを、ブログなどで書いている

多くの人とは違って、

キクでしかできないお役、

使命だと思っていたのです。

 

 

だから、キクは、そんな視点で、

武田日記を、書かせて頂いていました。

ドラマ風林火山は、武田家の御霊さんが、書かせている、

武田家の御霊さんの思いが、詰まっているという仮説の元に、

武田家や、武田家に、滅ぼされた御霊さん達の思い、

無念、怒り、憎しみ、後悔、憤慨・・・・・などの思いを、

愛、感謝、理解、お詫び、慈しみという波動に、

変えようとしたのです。

 

 

そして、そんなキクの試みは、

ある程度は、させて頂いた、

キクは、そう思っています。

父、信虎を追放した、晴信やその家臣の気持ち

自分が、育てた子供、晴信に、

夫である、信虎を追放された、大井夫人の気持ち、

若い当主、晴信の守役として、上田原の戦いで、

亡くなった板垣信方の思い、

軍師山本勘助の、信玄に対する、師匠としての愛

そんな武田家の御霊達の気持ち

 

味方だと思っていた武田家に、裏切られ、

由緒ある諏訪家を滅ぼされた、

諏訪頼重公の憎しみ、恨み、呪い

父親を殺された、晴信に、側室に無理やりされた、

諏訪御料人、由布姫の恨みと、信玄に対する愛

山本勘助の、由布姫に関する思いと、

由布姫の、山本勘助に対する愛情

そんな武田家に、自分の運命を変えられた

御霊さん達の気持ち

キクは、キクなりに、

文書で、何とか残せたと思うのです。

 

 

しかし、それだけで、

済度ができたわけではありません。

そんな御霊さんたちの思いを分かってあげたり、

消化することで、消してあげるだけでなく、

帰りたいと思っている御霊さんを、

霊界に帰してあげないと、本当は、済度にはならないのです。

 

 

だけど、そんなことが、キクにできるはずがありません。

いえ、キクは、そんな事は、どんな霊媒師の人でも、

陰陽師の人でも不可能だと思っています。

生きている人に、存在しない、御霊さんを、

霊界に帰すことが、できるはずがないのです。

 

 

だから、キクは、それは、天、神様のお役だと思っています。

しかも、それは、この宇宙を創った、もっとも偉大な存在、

今で言えば、サムシング・グレート、創造主、

昔で言えば、衆生を救うと宣言した、阿弥陀如来、

こういった存在でしか、救えないと思うのです。

 

 

それで、キクは、そういった存在、

自分と、確かに繋がっている創造主に、

誰でも、生かされているかぎり、

繋がっている、尊い存在に、

風林火山を通して、自分と縁ができた、

帰りたがっている武田家の御霊さんたちが、

霊界に帰ることを、お願いしていました。

それが、キクの武田家の済度だったのです。

 

 

しかし、済度という視点で、考えたら、

一つでも、多くの武田家の御霊を、

霊界に帰してあげるなら、

やはり、済度の先生や、済度の人達に、

して貰えるほうがいいです。

本当、たくさん、救われると、

キクは、実は、確信しているのです。

 

 

 

∞「武田家済度2」∞

 

でも、キクには、それはできませんでした。

済度の縁は、もう何年も、離れているからです。

別にこれといった理由は、ないのですが、

キクは、済度は、キクなりにしますが、

済度の先生のいるところに、行くことは止めにしていました。

封印していたのです。

 

 

けれど、武田家の御霊さん達は、済度を望んでいました。

キクをうまく動かして、済度に縁に、再びツカそうとしたのです。

 

 

それで、御霊さん達は、インターネットで、

縁の花のホームページを、読んでくれている

ある武田家のご縁のある読者の人を使って、

済度の縁に、導いてくれようとしました。

 

 

最初は、読者として、武田家のメールのやり取りしていたのですが、

その人が、突然、済度の人だと告白してくれて、

結局、キクは、200777日、七夕の日、

京都で、済度して、済度の先生の講演会に、

少し渋々ですが、参加することになりました。

ずっと、武田一年日記を通して、お付き合いしている、

愛する、かわいい、武田家の御霊さんたちのことを思ったら、

キクは、拒否できませんでした。

キクも、武田家の御霊を、一人でも多く、

いえ、すべての武田家の御霊や、

それにかかわっている御霊さん達を、

済度して貰いたかったのです。

 

 

だから、キクは、77日、

済度に行かないという封印を解きました。

縁の花のホームページでも、そう書いたのです。

すると、今度は、別の済度の人からメール頂いて、

キクは、済度の先生のいる、済度場に行くことになりました。

夏なので、海の済度に参加することになったのです。

 

 

というのも、武田家にとって、

海は、本当に憧れの対象でした。

甲斐、信濃という大きな領国を持っていても、

領内に、海がない武田家は、

国を豊かにする為にも、

鉄砲などの最新兵器を、

手に入れる為にも

どうしても、海が欲しかったのです。

 

 

それで、信玄公は、海のある越後を手に入れる為に、

川中島では、上杉謙信と戦い、

駿河では、反対する、嫡男、義信公を、自刀してまで、

駿河に侵攻して、同盟国、今川家を滅亡させています。

信玄公や、武田家の家臣は、多くの犠牲を払いながらも、

海を手に入れる必要があったのです。

 

 

それで、キクは、そんな武田家の御霊たちのために、

海の済度に、何年ぶりかで、参加しました。

海の潮の匂い、海のぬくもりと冷たさ、海の広さ、

海そのものを、感じて頂いて、

済度してあげたかったのです。

 

 

また、そんなキクの願いは、

天に通じました。

武田家の御霊に、届きました。

 

 

最初の海の済度では、武田家の家臣、秋山信友と、

その妻である、おつやの方が出てくるお酒、

岩村城の女城主というお酒が出て来たり、

二度目の海の済度で、福井でやっている

武田家の重臣、山県昌景の展示物を、見に行く、

ご縁を頂いたりという不思議なご縁がありました。

武田家の御霊達は、喜びを、

そんな形で、表現してくれたのです。

 

 

しかし、キクが、そんな武田家の御霊達の為に、

どこまで、済度してあげられたかは、分かりません。

済度の先生や、多くの済度の人達が、参加している場所で、

済度したので、たくさんの御霊さんが、

救われたとは思いますが、

目には、見えない世界のことなので、

キク自身、何ともいえないのです。

 

 

それに、キク自身、

やっぱり、傲慢なのか、

そんなに行きたくないのか、

それからは、済度場には、行っていません。

なかなかいけないのです。

 

 

けれど、キクとご縁のある済度の仲間の

協力、おかげさまで、

武田家の御霊の済度は、

して貰えました。

 

 

武田家の御霊たちのことを、

願って頂いて、済度して貰えましたし、

済度の先生にも、

キクのメルマガ、武田家一年日記の一部を、

渡して貰えたのです。

 

 

しかも、20071231日に、

放送された、風林火山の総集編も、

少しだけですが、済度の先生に、

見て貰えるということにもなりました。

済度という視点で、みれば、

本当に最高のことが、

して貰えることになったのです。

 

 

だから、キクは、そのことに、

本当に感謝しています。

正直言って、どこまで、

武田家の御霊さんたちを、

済度してあげることができたのかは、

まったくありませんが、

少なくても、キク自身が、

思っている最高のことを、

させて頂くことができたからです。

それが、キクの言う済度なのです。

 

 

  ∞「御霊は城、御霊は石垣、御霊は堀・・・

今、巨大な武田の城が、キクの背景に誕生しています。」∞

 

 

「人は城 人は石垣 人は堀 なさけは味方 あだは敵なり」

有名な武田節の言葉です。

大河ドラマ風林火山では、信玄公が、考えたという事になっていましたが、

それが、本当か、どうかは、キクには、分かりません。

 

 

でも信玄公が、上田原の戦や、

戸石崩れの敗戦を、体験した中で、

出城は、築いても、甲斐国内には一切、城は築かないと、

決心した時に、生まれた言葉だと思います。

本当に、すばらしい言葉なのです。

 

しかも、信玄公は、この言葉通り、

人の能力を見極めて、内政に力を入れて、

民を大切にしました。

その証拠が、500年以後の今日も続いている、

甲斐、山梨県での、絶大な人気です。

 

 

しかし、その言葉が、今、キクにも、

何故か、大切な言葉になっています。

少しアレンジして、

「御霊は城 御霊は石垣 御霊は堀 一緒には味方 無視は敵なり」

というキクの武田節を、唱えているキクがいるのです。

 

 

 

 

というのも、キク自身、何故、2007年に、

こんなに武田家一年日記を書くのか、

自分でも、その意味を探していました。

キク自身、天からさせて頂いている感じで、

どうして書くのだろうと、

自分でも、不思議で仕方なかったのです。

 

 

でも、キクが、この一年間、

武田家の御霊さんや

武田家に滅ぼされた御霊さんたちを、

済度させて頂いていたことは、

前回のメルマガで、書いたとおりです。

 

 

キクは、武田家の御霊たちを、

キクなりに、供養させて頂いていたのです。

 

 

しかし、キクは、それをしている内に、

武田家の御霊さんの、大きな、大きな、

願いがあることに、気が付きました。

 

 

それは、過去の自分達、

たくさんの戦で亡くなった御霊たちを、

救わせて頂くということではなくて、

今を、キクと一緒に生きたい。

これからの人類の為に、

何かをしたいという思いです。

 

 

過去に生きるのではなく、

今を、生きる。

将来の為に、何かをするということです。

キクは、武田家の御霊さん達が、

本当にしたいことは、その事だと思うのです。

 

 

だから、キクは、キクの背景に、

多くの武田家の御霊さんが、

ツイてくれていると、信じています。

キクの背景に、多くの巨大な武田城が、

できていると確信しているのです。

 

 

何故なら、風林火山のドラマが、

放送されるまでは、

板垣信方にしろ、

山本勘助にしろ、

信玄公にしろ、

キクにとっては、

なかなかイメージできる存在では

ありませんでした。

 

 

名前はしっていても、顔のイメージは、一度も、

会ったこともないので、浮かばなかったのです。

 

 

けれども、今なら、

勇気が必要だと思えば、

御霊たちに守って欲しいと思えば、

上田原の戦いで、亡くなった板垣信方

千葉真一さんの姿が浮かびます。

もののふとして、最後まで、

愛する御屋形様の為に亡くなった、

千葉真一さんの演じた、板垣信方を、

思い浮かべることができるのです。

 

 

しかも、それは、板垣信方だけではありません。

何かの智恵が欲しいと思えば、

軍師山本勘助の内野聖陽さん、

何か困った時は、

キクの前世、武田勝頼の父、信玄公

御屋形様の市川亀治郎さんが出てきますし、

他にも、信玄の重臣だった、

馬場信春、高坂弾正、山県昌景さんも出てきます。

キクは、風林火山のおかげで、

いろんな武田家の御霊と、本格的に、

ご縁が持てたのです。

それが、2007年までとは、

大きく違うところなのです。

 

 

ですから、2008年から、武田家の御霊さん達は、

キクの背景にいて、大きく応援してくれると思います。

キクは、人は城、人は石垣の言葉を、

御霊は城、御霊に変えて、

今から、武田家の御霊さん達と、

合戦するつもりなのです。

 

というのも、これから、本当に、

世の中の為に、何かをしたいと思えば、

御霊さんたちの関係が大切になります。

この世には、まだまだ、浮かばれていない御霊さん、

救いを求めている御霊さん、

恨みや悲しみを持っている御霊さん、

何かに、執着している御霊さん、

無視されている御霊さんが、

無数にいます。

 

 

そんな御霊さん達が、

生きている人達だけで、

この世の中を、よくしようと思っても、

駄目だよと言って、邪魔をします。

どんなに、いいことをしようとしても、

御霊さん達の応援がないかぎり、

何をしても、うまくいきません。

 

 

キクは、今までにも、

多くの本物の呼ばれている先生達が、

いつの間にか、御霊さんたちによって、

傲慢になって、

おかしくなっているのを、

見てきました。

 

 

ですから、キクは、

目には、見えない存在に対しては、

目には、見えない武田家の御霊さんに、

お願いして、守って貰うつもりです。

そんな明日の為に、

去年、一年、武田日記を、天から、書かせて頂いた、

キクは、今、そう思っているのです。

 

 

∞「縁の花 歴史から学ぶサイトを誕生させます」∞

 

 

大河ドラマ風林火山が終って、

2008年からは、ドラマ篤姫が始まっています。

けれど、キクは、日記では、篤姫に関しては、

一切、書かないで置こうと思っていました。

一年間、風林火山を書かせて頂いたことで、

その大変さが、よく分かったからです。

 

 

でも、気になって、

日曜日、8時に、ドラマ篤姫、

見ている自分さんがいます。

しっかりDVDで、

録画しているのです。

 

 

また、ドラマ、篤姫見ていたら、

予想通り、いろんな御霊さんの思いが、

キクなりに感じさせて頂きました。

2008年も、大河ドラマは、

いろんな御霊さんの思いを、

表現しているのです。

 

 

それで、キク自身、考えましたが、

2008年も、ブログ、日記で、

NHKの大河ドラマに、合わせて、

キクなりに、日記を書かせて、

頂こうと思います。

とても、武田日記のようにはできませんが、

キクなりに、少しは、表現したいと思うのです。

 

 

何故なら、それが、一年間、武田日記を書いてきた、

武田家の御霊さんが、喜ぶことでありますし、

武田日記が、これからも生きることになります。

キクが、2008年でも、ドラマ篤姫のことを書いたら、

リンクしているのを見て、武田家一年日記のことを、

知ってくれる人も、たくさん出てくると思うのです。

 

 

しかも、ドラマ篤姫に出てくる御霊さん達も、

キクとは、ご縁があると思います。

キクの大好きな幕末の志士達のことを、

描いているからです。

キクは、そんな志士達が、大好きですし、

少しは、知識があるのです。

 

 

また、キク自身、

大河ドラマ篤姫でも、

多くの人が、ブログで、書いていくと思いますが、

御霊さんに意識を、向けて、

御霊さんの思いに、耳をすませて、

聞く(キク)ことはできるのは、

キクぐらいではないかと思います。

そんな怪しい人物は、なかなかいないと思うのです。

 

 

だから、キクは、大河ドラマ篤姫では、

誰が別な人が、キクのような済度の

お仕事してくれると思っていましたが、

現れていないので、

やはり、キク自身で、やろうと思います。

御霊さん達の、ご縁を、

完全に切り離せないのです。

 

 

では、そんなキクが、

ドラマ篤姫で、どんな御霊達の思いを、

表現していくのかですが、

一つは、志士達です。

 

 

特に、薩摩藩の若い志士達ですが、

キクが、どうしても表現したいのは、

薩摩の松下村塾です。

 

 

というのも、松下村塾といえば、

長州藩の吉田松陰先生が、

高杉晋作や、伊藤博文などを、

教育したことで、有名ですが、

実は、キクは、同じようなものが、

薩摩藩でもあったと確信しています。

 

 

何故なら、西郷隆盛と大久保利通が、

小さい頃から親友だったことは、有名ですが、

薩摩藩でも、幕末に活躍した志士達は、

ご近所の人達が、集まっていたことは、

分かっています。

薩摩藩にも、松下村塾のようなもの、

ご縁があったのです。

 

 

そしてそんなご縁で、

吉田松陰役をしたのは、

島津斉彬公だと確信しています。

島津斉彬公が、西郷隆盛、大久保利通、

小松帯刀を育てたのです。

キクは、それを、是非、

キクのブログで、描きたいと思うのです。

 

 

また、もう一つ、キクが、書きたいのは、

篤姫、天璋院が入った、大奥です。

というのも、篤姫は、島津斉彬公の命令で、

島津斉彬公の養女となって、将軍家定の正室になっていますが、

大奥というところは、女性の御霊さん達の思いが、

たくさん入っているところです。

 

 

女性の戦、将軍の子供を、

誰が産むかという、世継ぎ争い、

妬み、嫉妬、憎しみ、

大奥という世界で、閉じ込められて、

まったく自由がなかった、

いろんな女性の御霊さんの思いで

一杯なのです。

 

 

だから、そんな女性達の思いを、

キクは、大河ドラマ篤姫で、

どこまで書かれているか、分かりませんが、

もし、描かれていたら、書きたいと思います。

多くのの済度もしたいと思うのです。

是非、よかったら、2008年も、

お付き合いをお願いしたいと思います。

 




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すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

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