縁の花
(21世紀に咲く智恵の輪)
第314号
日清戦争はどうして起きたか
∞『「坂の上の雲」
日清戦争はどうして起きたか1』∞
俺がどうしても皆さんに
お伝えしないといけない事があります
それは、どうして日清戦争、日露戦争は起きたかです
また、その日清戦争、日露戦争が勝った日本が
最後は、どうして大東亜戦争を起こして
何故、多くの国民、兵隊を見殺しにして
裸一貫で、大陸から日本列島に逃げる事になったのか
その事で、我々今の日本人は、何を一体学ばないといけないのか
これだけは、どうして書かせて頂きたいと思います
これから日清戦争、日露戦争を戦った
日本、清(中国)、ロシアの兵士
三国の英霊達に、今から俺について貰う為にも
俺は、書かせて頂きたいのです
それで、まずは日清戦争から書かせて頂きたいのですが
日本と清、朝鮮の事で
まず理解しないといけないのは
その地理的位置です
というのも、海と言う天然の堀で守られていた日本は
大国だった中国の国や、朝鮮国と
二千年の歴史の大半は友好的にやっていました
でも時には、一時の唐や元と言う大国と不仲になっていた時は
戦争を経験しました
白村江の戦い、元寇、秀吉の朝鮮侵攻です
特に、元寇の場合は、朝鮮を占領すると
その朝鮮に命令して、日本に侵略させました
元軍が乗っていた船は、朝鮮人の人達が造ったものだったのです
だから日本人は、朝鮮国が、敵対する事を
昔から恐れていました
朝鮮が敵国の支配下になると
日本に攻め込まれる可能性が生まれる事を
経験で知っていたのです
いえ、日本自身が、秀吉の時に朝鮮侵攻して
朝鮮の人達に、酷い事をしている経験があるので
仕返しが怖かったですし
本気になったら、簡単に、玄界湾を通って
簡単に、上陸できる事を知っていたのです
しかもそれは、今も同じです
だって北朝鮮の拉致事件、ミサイル、核兵器の問題で
今も日本人は不安を持っているからです
これが日本にもっと近い韓国がそうだったら
どうだと言えば
皆さんにも理解して貰えると思います
日本が、北朝鮮、韓国を恐れるのは
本能的なものなのです
その上に、それは軍人の専門家で
外国人であるマッカーサー元帥さえ
理解してくれた事です
後に、朝鮮戦争が起きた時に
日本に駐在していたマッカーサー元帥は
日本に一番近い国、韓国、朝鮮が
日本の敵国になる事の脅威を
認めてくれています
あの当時の日本が、満州などの大陸に侵攻したのは
自国を守る自衛の必要からだと
戦後、弁護してくれているのです
しかしそんな日本にとっては
地理上、もっとも大切な朝鮮国ですが
長年、清国の属国として存在して
欧米の脅威、弱肉強食
アジア諸国が、次々と植民地にされ
自国も危険になっていたのに
本当に無頓着でした
清国が、アヘン戦争なので負けて
もう大国とはいえなくなっているのに
清国に頼って、近代化などしようとはしなかったのです
いえ、それが、アジア諸国の殆どがしていた事だったのです
でも、その中で、アジアの一番端にあった日本だけは違いました
日本は、ペリーの来航で、欧米の威力を肌と知ると
多くの志士が立ち上がり
旧態だった時の日本の政府、江戸幕府を
自らの力で倒して
明治政府を誕生させると
明治維新と言うアジア諸国で唯一の産業革命を
起こそうとしました
欧米に、対抗できる武力や政治のシステムを
持とうとしたのです
だけど、司馬遼太郎先生が指摘するように
そんな欧米から
猿と呼ばれて、内心馬鹿にされている国
何でも、欧米の真似をしようとする
滑稽な漫画だと思われていた日本は
同じアジアの国、朝鮮、清国からも軽蔑されて
まったく相手にされませんでした
結果的には、日本人が正しかった事は
歴史で証明されていますが
変な民族だと思われていたのです
ただ、これは、皆さんに誤解して欲しくないのは
日本人が優れていて
朝鮮、中国の人達が劣っているという事ではありません
今の韓国の人達が、日本が誇っていた世界の家電メーカー
パナソニックやソニーを凌ぐ、三星という企業を
わずかの間で作り上げた韓国や
今や、世界で第2番目だった経済大国を
わずかの間で抜こうとして中国を
まじかに見ている日本人なら分かると思います
朝鮮の人達、中国の人達も優秀な民族なのです
ただ、それでも一説では
欧米の武力、蒸気船を見た時に
これはとても追い付けないと諦めたアジア人の中で
戦国時代、わずかの間で、鉄砲という武器を
ヨーロッパの人達よりも
遥かに多い数持った経験があった日本人だけは
いくつか追い付けるとイメージしたと言われていますが
俺は、それよりもアジア、朝鮮、中国の人は
欧米の人達を野蛮人だと軽蔑したのだと思います
だって、皆さんも
突然、自宅に押し掛けて
武力で脅したり
何でも力で脅す人達
そんな民族の文化を学ぼうとするかと言えば
軽蔑して、素直に学ぼうとは思わないと思うからです
例え、彼らが、武力、科学で進んでいる事が分かっても
その文化、文明を真似する気にはなれないと思うのです
しかし、世界の常識は、日本の非常識と言われる
少し変わった日本という国は違いました
アジア諸国、朝鮮、中国に軽蔑されながらも
それを止めようとはしませんでした
気が狂ったように、近代化の道に邁進したのです
また、そんな明治の日本にとっては
逆に、いつまでも近代化しようとしない
朝鮮、清国は、全然理解できませんでした
欧米の脅威は、時が経過すればするほど迫ってきます
特に、清国とは、陸地で繋がっている強国ロシアは
シベリアという寒冷地を抜けて
北から清国、朝鮮に迫って来ていました
このままでは、ロシアと清国は領地を巡って戦争になり
朝鮮は、ロシアの植民地になる事は
誰にでも判断できていたのです
だけど、朝鮮も清国も
日本がいくら言っても、近代化をなかなかしようとはしませんでした
儒教の精神で支配されている中国、朝鮮から見たら
日本国は、あくまでも弟です
中国が親で、朝鮮が兄、日本はその二人から
ずっといろんな事を先生として学んできた弟子です
日本が、実際に近代化して来ても
そこから何かを学ぼうとはしなかったのです
∞『「坂の上の雲」
日清戦争はどうして起きたか2』∞
しかし、明治になって
近代化の道に、アジアで唯一進み始めた日本
世界から見たら、小さい国明治の日本は
朝鮮国、清国が自ら近代化しようとするのを待ちました
それは、その当時の日本が
とても外国と戦争する力がなかったと言う事も
大きな原因です
でも日本は、同じアジア諸国で
お隣の国として、長い間親交のあった
朝鮮国、清国とは
力を合わせて、共に近代化して
日朝清三国で、欧米の脅威を跳ね返したかったのです
それが江戸時代から、島津斉彬などの日本の要人が
願っていた事だったのです
それに、日本民族としても
今までいろんな事を教わった事で
恩を感じているので
戦争という事はしたくなかったのだと思います
後で、民族同志で憎しみ合う事は
避けたかったのです
でも、朝鮮で言えば
明治6年の西郷隆盛の征韓論から始まって
明治8年の日朝修好条規が調印
朝鮮国の開国
壬午事変・甲申政変
などの歴史事件が起きても
自ら変革しようとはしませんでした
また、これは俺自身残念ですが
歴史的に仕方なかったと思いますが
日本も、それらの事件で
欧米と同じように
武力で脅すようなこともしています
特に日朝修好条規を調印する時には
ペリー将軍を真似て
砲艦外交をしています
そうしないといつまでも
日本を相手にしようとしない朝鮮とは
国交を結ぶ事はできなかったのです
でもそれでも、日本は基本的には
戦争という手段はとろうとはせず
朝鮮人の人達、中国人の人達が
近代化に目覚める事を信じてまっていました
何故なら、明治政府の中心人物は
自分達が、志士として
幕府を倒した経験があったからです
自分達ができたのだから
朝鮮国、中国の人達も
今の古いシステムの政府、李氏朝鮮や清国を
自らの力で倒せると思っていたのです
でも朝鮮、清国には
一部しか志士と呼べるような人は現れませんでした
国内で、大きな勢力にはなれず
孫文のように、日本国内や外国に
亡命して逃れていたのです
だから明治の志士達が次に考えたのは
いくら待っても、朝鮮、清国の国民が
古い政府、江戸幕府を倒せないのであれば
自分達が、日本が倒すしかないという事でした
欧米、特に北のロシアの脅威は
どんどん大きくなってきていて
時間がもうなかったのです
それで、時の明治政府は
とうとう明治27年に、清国と戦争をしても
朝鮮から清国を切り離し
朝鮮を近代化させようとしました
いつまでも、朝鮮が、清国の属国
植民地になっていたら
やがて、ロシアと清国が戦争になった時に
清仏戦争の時に、ベトナムがフランスに割譲されたように
負けた清国は、ロシアに、朝鮮は割譲することになる
朝鮮が、ロシアの植民地になったら
日本も植民地にされるという恐怖が
日本に決断させたのです
また、日本のマスコミや福沢諭吉などの著名人や
日本国民の多くも、それを支持しました
その当時の日本人は
朝鮮を侵入するという意識はまったくなく
昔の江戸幕府のような古い体制
李氏朝鮮、清を倒して
朝鮮人、中国人を解放しよう
そう思ったのではないか
俺は、そう思うのです
しかし、マスコミにそう先導されて
日本国民は、熱烈に清との戦争を支持したとしても
日本が、清国と戦争するのは
大変な事でした
明治天皇や、慎重な伊藤博文首相、知識人の中に反対する人も
多かったです
日本が、大国、清国と戦って
勝てる保証はなかったからです
というのも、清国は、日本よりも遥かに人口が多く
経済力もある大国でした
その上に、欧米諸国に、眠れる獅子と恐れられている
潜在力もありました
日本の軍部の人達も、短期決戦なら勝てても
長期戦で勝てるとは思っていなかったのです
しかも日本が、清国に負けたら
戦争に疲弊した日本に
虎視眈々と狙っている
欧米が迫ってきたらどうなるか
その事を
真剣に憂いている人達も
伊藤博文首相のようにいたのです
でも、日本はそれでも日清戦争をしました
これは、ある意味では、日本の軍部、優秀な川上操六参謀次長や
外務省のカミソリ大臣と言われ
死期が迫っているのを覚悟していた陸奥宗光が
今後の日本の為に、命がけで決断した執念で
強力に先導した事に
明治の日本が引きずりこまれた感じですが
清国とは話し合いができない以上
時の勢いを誰も止める事が出来なかったのです
しかし、いざ戦ってみると
日本は勝ちました
清国の軍隊は、本当に弱かったです
朝鮮の人達は、自国の事なのに
まったく戦おうとはせず
戦は、日本対清国で戦われましたが
坂の上の雲で描かれたように
清国の軍隊は、士気が低く
苦戦を予想された旅順も
一日で落ちたのです
でも、日本人は、それで清国
中国を戦の弱い民族、ダメな民族と誤解しました
後に、大東亜戦争に負けると言う大きな悲劇を生む
事になるのです
何故なら日本が、清国に勝てたのは
日本民族が、特に優れていたからではなく
近代化に成功した軍隊と、まだまだ近代化できなかった軍隊の差でした
要するに、日本は、日本が欧米の植民地にならない為に
日本国民全体、国民軍として戦ったのに対して
清国の軍隊は、傭兵でした
お金も貰って戦う軍隊で
士気は高くなかったのです
その上に、日本は、一国として戦ったのに対して
清国は、一国として戦おうとはしませんでした
あくまでも、清国の北側で戦われている戦争だったのです
一枚岩として戦う事ができなかったのです
なので、あのまま戦いが長引いたら
弾薬なども不足出した日本は
負ける可能性もありましたが
弱いと思っていた日本の強さに驚いていた清国と
英米の和平仲介によって
清の全権李鴻章と伊藤博文、陸奥宗光外相の間で
下関で停戦が決まりました
4月17日に 日清講和条約が調印されて
日本は、清国に勝ち、朝鮮を独立国と認めさせ、
台湾と遼東半島を得て
賠償金も2億両(テール:約3億円)を獲得できたのです
第314号 「日清戦争はどうして起きたか」
第315号 「日清戦争で亡くなった英霊が今の日本人に
教えてくれている教訓とは」
第316号 「もし明治の日本が日清・日露戦争をしなかったら」
縁の花 全号紹介コーナー
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2011年 縁の花お手紙
すべての読者の皆様に緊急連絡
『この縁の花を読んで頂いている皆様へ
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2010年、12月23日〜26日
金沢済度の旅をした事で
俺は、2011年〜2012年12月23日
俺の50歳の誕生日で
フォトンベルトに突入するとか
マヤ歴の予言でも
人類が滅亡するかもしれないと言う日まで
俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました
と言うのも、俺は、1993年10月1日
18年前に、何故縁の花を書き始めたのか
この世で、皆さん、一人、一人と
何を約束したのか
全部、明快に分かったからです
しかも、長年探し求めていた
日本や世界、人類を救う方法も
その手段も分かりました
答えは、すべて縁の花の中
皆さんにあったのです
だから、俺は、それを
この2年間という短い期間の間に
皆さんに、伝えきるつもりです
皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる
目には、見えない存在を救い切る覚悟です
是非、キクの命がけのお願いです
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