縁の花
(本当を目指して心と心のネットワーク)
第120号
河内先生の記念パーテイ
◎「縁の花の読者の魂へ謝罪」◎
縁の花の読者の皆さんへ、この頃河内先生の事を書いていないので久しぶりに情報をお知らせしたいと思います。
というのも今、河内先生の動きがすごいです。
今年になってわずか3、4カ月の間に激変してしまいました。
これには紫陽花も心から驚いています。
いえ、参ってしまいました。
やっぱり河内先生はすごい先生なのか。
天や霊界は河内先生を21世紀に大きな光として世に出そうとしているとしか考えられないぐらいすごい事が、今起きているのです。
と同時に紫陽花は、ここで皆さんの謝っておきたいとも思います。
河内先生に関しては、皆さんの中に気が付いている人がいるかもしれませんが、この頃あまり書きませんでした。
河内先生のやっている済度、目に見えない霊を救うという活動は誤解を与えやすいし、済度自体も少しずつ進展はしても、あまりうまくはいっていませんでした。
とても今年の6月までに大きく展望が開けるとは思えなかったのです。
だから紫陽花自身あまり書く気になれなかったのです。
正直いって今は少し後悔しています。
でもここでもう一度縁の花の軌道を修正したいと思います。
なぜならもしこのまま河内先生との縁をほっておいたら、紫陽花はあの世に帰ってからずっと後悔しないといけないかもしれません。
あの世で河内先生との縁を縁の花を通して作ると約束していた皆さんの多くの魂に対して、すまない事をしたと謝らないといけない気がするのです。
ですから紫陽花は、再び河内先生の事も縁の花でどんどん書いていく事にしました。
皆さんの肉体意識ではピーンと来ていないと思いますが、何でも分かっている魂には一言おわびします。
「河内先生のことを書かなくなって不安を与えてご免なさい。そして今後は顔晴りますのでどうか安心して下さい」
◎「堀田さん登場・他の皆の頑張り」◎
さて、紫陽花がなぜ縁の花の多くの魂に謝らないといけなくなったかですが、それはつい最近一人の人が河内先生と縁が繋がったからです。
それが今から紹介する堀田宇一さんの存在です
この堀田さんが付いてから奇蹟としか思えない事の連続で、河内先生の済度が
大きく変わり始めました。
天が河内先生の為に派遣したのか、天や霊界からの応援が本格的に入ったからなのかは分かりませんが本当にすごいことになってきたのです。
というのも堀田さんは北陸のある銀行に(支店長)勤めていましたか、天の「充分楽しかったろう。しかしもう良い。これからお前にはやることがある。すべてをやめなさい」というお告げを聞いて神事の世界に入ったものすごく面白い人です。
この4、5年ずっと巫女さん達の元で修業をしていたのです。
そしてそこで「お前のお仕えするのは阿弥陀仏様で私ではない。阿弥陀佛様は小高い丘の上においでる。」
といわれており、いよいよそこの修業が終わった後、去年の11月頃、家に帰るとガイアヒーリング山口の案内がFAXされていたそうです。
それでガイアヒーリング山口になぜか導かれるように参加して、河内先生と縁を持ち、自分が活躍する縁は、この縁だと確信したという訳なんです。
しかも堀田さんは小松市に住んでおり、金沢市とは近いです。
毎日でも金沢の済度に参加する事が可能です。
金沢の済度に参加し始めたのです。
さあ、そうすると大変な事になってきました。
堀田さんが本気になってわずか3、4カ月の間に、どんどん済度が動き始めました。
300人は入れる河内先生の新しい会場が仮設ですが手に入ったのです。
河内先生のグループにはお金は元より、何もない状態なのにです。
まさしく神技としか思えません。
というのは堀田さんは銀行にいた頃、今まで朝の済度をやっている所の隣にある、健民共和国の経営者である南部外茂さんと縁があり、尋ねていって、使っていない土地を頂いてきました。
「私に下さい」という事で貰い、そこに新しい会場を建てる事になったのです。
本当に信じられないことになったのです。
しかもカラオケの部屋が21以上はあったり、大きな池があったり、喫茶店や事務所がある、野球ができるような広い健民共和国自体の経営も任される事になりました。
ちょうど南部さんが健民共和国を造った時に銀行に借りたお金が払い終わった三日後に堀田さんが来た事もあり、それもお願いにいくとなぜか頂けました。???
これには紫陽花も絶句です。
ただただ恐れ入りました。
河内先生の元で済度している人達の生活を支える基盤を下さいという堀田さんの願いが通じたとしか説明できないのです。
ですから今、金沢の済度をしている多くの人が健民共和国で働いています。
河内先生のグループの人達が生き生きとして働き始めたのです。
そんな奇蹟が、河内先生の済度を成功させる為に天からプレゼントされたのです。
でないとこの不景気な時期に、こんな夢のようなことが起きる訳がありません。
紫陽花自身隣の健民共和国の存在自体には何か大きな意味があるのではないかと言う気がしていましたが、そんなとんでもないものが用意されていた訳です。
でも河内先生にとっての追風はそれだけではありません。
始めての本「あっきら!!」も出ます。
残念ながら紫陽花が書いた本ではありませんが、河内先生の済度に付いている幸寛(ペンネーム)という人と何人かの金沢の人達が共同で書いた本で、たま出版から出ました。
アネモネなどに河内先生が登場することによって道が開かれ、何社かの出版社からお声があり、本を出せるようになったのです。
NHKの大河ドラマ秀吉でいえば「上げ潮じゃ上げ潮じゃ」ということになっている訳です。
又講演活動の方も、どんどん動き始めました。
新しくついた新潟の白井さんのおかげて深野一幸先生や紫陽花がお世話になっていた小林美元先生が川北さんの縁で繋がり、ジョイント講演が行なわれるようになりました。 河内先生の講演が全国で毎週どこかで行なわれるようになってきたのです。
◎『「あっきら!」出版記念パーテイー』◎
だから3月28日に行なわれた河内先生の本「あっきら!!」出版記念パーテイーは盛大でした。
新しい本が出る日に合わせて新しい会場を完成させて、盛大に披露式をやりました。
300人もの人が参加した訳です。
一年前に河内先生と縁を持って、その後の動きを知らない人には、信じられない事が起きている訳なんです。
まさしく河内先生は人間ではない、仏様だといえると思います。
と同時に正直に告白しますと、恥ずかしながら紫陽花も川北さんにこの3カ月の動きを教えて貰ってびっくりして参加しました。
何も新しい会場や健民共和国が手に入ったとか、本が出るからという訳ではありませんが、やっと河内先生の済度が大きく変わる気がしたのです。
それでそれを確かめる為に、参加したのです。
又その時の内容も悪くはありませんでした。
まだまだ変われていない所も多いですが、やっぱり組織に本当に実力のある人がつくとすごいなあと改めて思いました。
一言でいえば、今まで河内先生の元で頑張っていた人達が、自分の個性にあうように上手に生かされているのです。
それには感服しましたが、ここでその「あっきら!!」の本の記念パーテイの内容を簡単に報告します。
まず河内先生のパーテイは和太鼓の演奏から始まりました。
河内先生のグループでは何人かの人達が、河内先生と一緒に朝の4時20分の前と、朝の済度が終わった後、ずっと太鼓の練習をしています。
紫陽花自身なぜそんな事が必要なのかは分かりませんでしたが、この頃やっと分かって来ました。
というのも河内先生はいろんなイベントがあるとかならず太鼓を使います。
きっとあの世からの計画で、多くの有縁の死者霊達を救う済度、大きなイベントをする時には太鼓を何人かの人で叩くという計画になっていたのだと思います。
それを新しい会場で三百人の人の前で披露してくれたのです。
ですから紫陽花はこの太鼓の事は分かりませんが、今後もどんどん何千人が集まるイベントでも活躍する事は間違いないと断言します。
そしてその後、司会の安嶋ひろ子さんの(プロ)案内で始まりました。
最初に河内先生の元でずっと済度をしていた角田重雄さんが主催者として挨拶しました。 20年近く河内先生の元で頑張っていた角田さんにとっては、この日が来た事は感無量だと思いますが、河内先生の本ができた喜びを語ったのです。
またその後で来賓として河内先生と縁ある地元金沢の市議会議員の中村勲さんや、健民共和国の経営者の南部さんが挨拶してくれましたし、その後出版社として「あっきら」の本を出してくれた文芸社の方や、本を書いた幸寛さんや女優の五月みどりさんもカセットテープで挨拶してくれました。
それぞれの思いを語ってくれたのです。
でもその中でも紫陽花が一番面白かったのは南部さんの話です。
というのもこの一連の動きの中で一番驚いているのは紫陽花は南部さん自身だと思います。
不可思義というか、何というか、自分が経営していた健民共和国の開いている土地にあっという間に大きな会場が建ち、多くの河内先生のグループの人が現れました。
南部さん自身それを挨拶の中でも不思議な気持ちだといっていましたが、健民共和国の思いを述べました。
「11年前に多くの市民が遊べる場として造った健民共和国、それを今日集まった人達が利用されることになるとは不思議な気がしますが、どうか他にもあるものではなく、地元の市民が明るくなる、楽しい場にして下さい」
といいましたが、本当に紫陽花もそう思いました。
健民共和国は河内先生のグループの人だけでなく、近くに住んでいる地元の人達も遊べるそんな素晴らしい場にしたいと思ったのです
◎「河内先生の講演」◎
いろんな人の挨拶が終わった後で行なわれたのは、河内先生の話でした。
本の基調講演が行なわれました。
「心のご飯」という題名で行なわれたのです。
又その河内先生の話は、今回は紙面の関係で簡単に書きます。
今度いつかゆっくり書きますが、河内先生の話は今も昔も同じです。
眼にはみえる事も大事だけど、本当は眼にみえないものがもっと大切。
すべての動物や植物には魂があり、この空間にも眼にはみえなくても、あの世に帰りたくても帰れない霊達が沢山存在します。
そんな存在にもあたたかい気持ちを届けてあげる事が、人間がこの世でできる最高の事だというのです。
そしてその為の具体的方法として、何かを食べたり、蚊を一匹殺す時にも、彼らは次に生まれてくる時は人間に生まれたがっているので「早く人間になりなよ」という波動で、感謝を持って接してあげる事が大切だし、霊達には何かを五感で感じる事はできなくても波動は分かるので、日頃の日常生活の中で、何かを食べたり、風呂に入ったりする時に、
霊達と一緒にやろうねという意識で「美味しいとか、気持ちがいい」という思いを届けてあげて欲しいといっているのです。
それが最高の供養だというのです。
なぜならいくらご飯や果物などをお供えしても、霊達には食べられないからです。
それが大切だというのです。
と同時にそれを実行したら、人類が今、抱えている多くの問題も解決すると河内先生はいいます。
というのも例えば今、人類が抱えている問題に病気の問題があります。
科学がこんなに進歩しているのに、癌や病気は増える一方です。
しかし河内先生はそれは身体に「ありがとう」という気持ちを持つ事で治るといいました。
紫陽花はこれはすごい教えだと思います。
だって病気は何かの気づきなので心を綺麗にしたら、治るという人はありますが、身体にありがとうという教えはなかったと思うからです。
でもよく考えたら細胞の一つ一つにも魂、意志があります。
それが病気になるという事は細胞が何かの警告を与えてくれており、その細胞を切るのではなく、感謝すれば、反逆しなくなって病気はなくなるという訳なんです。
又いろんな細菌の問題に対しても河内先生は答えてくれました。
今、エイズとか抗生物質のきかないいろんな細菌が増えています。
それらがもうすぐ大発生して人類が大きな危機を迎えるという人もいるのです。
だけどそんな細菌に対しても暖かい心になったら決して人類に危害は加えないと河内先生はいいました。
コレラ菌を育てたコッホ博士は誤ってある時にコレラ菌を飲んでしまっても死ぬことはありませんでした。
何ともなかったのです。
なぜならコッホ博士は自分を育ててくれており、コレラ菌はそれが分かっていたのです。 だからコッホ博士には何の抵抗もせずに同化した訳なんです。
どんな細菌に対しても怖がるのではなく、あたたかい気持ちになれたら人類に危害を与えないというのです。
そしてそんな感じでいえば、今、話題の本当に大変なコンピューターの2000年問題も解決します。
というのもコンピューターにももちろん波動、意志があります。
だからコンピューターにさえ人類があたたかい思いになれたら、彼らも人類に危害を加えません。
今の状態の人類の意志なら警告を与えないといけないので、コンピューターは人類に対して2000年に何をするか分かりませんが、人類が気が付いたらそれをする必要はありません。
2000年問題もクリアーできるというのです。
紫陽花は本当に素晴らしい考えだと思います。
だって誰もが2000年問題に取り組む事ができるからです。
しかも河内先生の教えは他のどんな問題も解決できます。
大地震や大きな戦争も本当に起こすのは眼にはみえない有縁の死者霊達の存在が原因
です。
彼らが「苦しいのを分かって欲しい」と訴えているのです。
ですからそんな有縁の死者霊を救いきれば、いえ、救わないかぎり次の21世紀の扉は開けません。
河内先生はそう訴えました。
そんな話を河内先生はもう時間がないと真剣に話してくれると、第一部の式典は終わったのです。
◎「パーテイー」◎
二部のパーテイーは場所を変えて健民共和国で行なわれました。
野外ステージを作っており、そこで金沢の人達がやるいろんな催しをみながら、用意された椅子に座りながらテーブルにある料理を有縁の死者霊と共に食べました。
100人以上は座れる、雨も防げる所があるのです。
紫陽花はそんな食事済度をすると今更ながら、この奇蹟には何とも不思議な気がしました。
わずか2、3カ月前まで縁もまったくなかった健民共和国を自由に使っているのですから、本当に不思議です。
そんな素晴らしい場を天から与えられたのです。
しかもそこで働いている人は河内先生と縁のある人達ですし、縁のある両親の子供さん達も活躍してくれました。
料理を運んだり、たこ焼きを焼いたり、茶道のお茶を飲ませてくれたり、皆な生き生き活躍しています。
誰もが気がねなく自分のしたい事ができる訳です。
またそこで金沢の人達を中心としてみせてくれたいろんな催しも良かったです。
ゲストとして参加してくれた岩笛の横澤さんが岩笛を吹いてくれたり、子供達が少林寺拳法演武を見せてくれたり、一部と同じように太鼓の演奏もありました。
しかも河内先生と縁のある歌手の高田まさひろさんや京壮亮、河内先生の長女である由佳ちゃんとずっと頑張っている奈々ちゃんも得意な歌を歌ってくれました。
おまけに「少毛症」という寸劇や河内先生の三女の阿那ちゃんを中心とした子供達によるダンスや金沢の20、30名の人達による合唱やダンシングチームによる大人のダンスも行なわれました。
有縁の死者霊を意識して、共に行なったのです。
紫陽花はきっと有縁の死者霊達も喜んだと思います。
と同時にこの記念パーテイーに参加させて頂いて、紫陽花自身ももっともっと顔晴らないといけないと心底思いました。
なぜなら今までの有縁の死者霊達を救う「お救いモード」の段階を卒業して、次の段階、河内先生の教えが、人類が今まで待ち望んでいた光としてもうすぐ世に出る「光モード」に入ったと確信できたからです。
というのもいよいよ、霊界が河内先生を世に出す為に全面的に応援に入りました。
20年間ずっと河内先生が地道にやってきた済度(有縁の死者霊を救う活動)のペースがあきらかに違います。
やっと河内先生が本格的に出る時期がきたのか、今まで救ってきた有縁の死者霊が影から応援してくれているのかは分かりませんが、どんどん奇蹟としか思えない事が起こっています。
それは川北さんの縁でいえば、いい話の新聞社の細見社長が金沢にいって、河内先生の記事を書いてくれる事が決まったり、その時に細見社長が誘って一緒にいった兼元大典さんが感動してあの船井幸雄さんを5月21日に連れて来てくれる事が決まったり、本当に信じられない事が続々と起こっているのです。
しかも今、いろんな事を求めていた本当に意識の高い人達がどんどん河内先生の縁に付き始めています。
地球村の講師として活躍してくれている立山さんも、河内先生の話を聞いて「自分が今までやりたかった話はこの河内先生の魂の話だ」といってくれました。
それが縁で5月8日は、河内先生と立山さんのジョイント講演が決まったのです。
また縁の花でも河内先生に興味のある意識の高い人がどんどん増えています。
確かに今までと反響が違うのです。
しかも河内先生の縁から離れていた人達もどんどん帰って来ています。
本当にすごい事になっているのです。
ですから紫陽花はこの勢いなら河内先生が世に出るのも近い気がしています。
それを一日も早く、多くの河内先生の仲間や縁の花の読者の皆さんと実現する。
紫陽花はそれに今年は賭けます。
そう腹を決めたのです。
と同時に皆さんに宣言しますが、眼にみえない霊や霊界が応援してくれるのなら、何でもできます。
有縁の死者霊や霊界の意志に叶う事なら不可能な事はありません。
思った事はすべて不可思議な力でやれます。
ですから紫陽花は関西根幹志塾や縁の花にもそんな有縁の死者霊達の応援を得て、自分の夢をどんどん実現させる事にしました。
今までとは比較にならないぐらいでっかい事ができる気がしているのです。
どうか皆さんもそんな紫陽花の活躍に注目して下さい。
いえ、一緒にやりましょう。どんな奇蹟でも起こせます。
何しろ紫陽花のバックには霊界や坂本竜馬などの多くの縁有る霊達が付いているのですから。 では皆さん、南無阿弥陀佛(紫陽花と縁ある人達だけでなく、その背景にいるすべての眼にみえない霊達も救わせて下さい) ^平成る11年4月24日
読者の皆さんにご報告
22007年7月7日、七夕の日、まったく意識していなかったのですが、縁の花のHPを見たある人と、大阪で初めてお会いする事になりました。
昔、菊がやっていた済度のご縁の人です。
その人と、空海さんが、嵯峨天皇から賜った、世界遺産でもある、京都の東寺に行きました。
ここで空海さんは、多くの弟子と共に、密教をしていて、東寺は、真言密教の根本道場となっていたのです。
しかもそこでは、偶然にも、夜から、環境問題に関わる大きな世界的な行事をするということで、忙しくしていました。
何と、世界で見れば、20億人が参加した行事です。
これも、何か大きな意味がある気がします。
また、その後、久しぶりに、京都の河内先生の講演会に参加して、河内晢先生のお話聞きました。
河内先生のご縁は、21世紀になってから活動はしていませんが、情報は得ていました。
相変わらずお元気でした。
でも、河内晢先生も、7月1日が誕生日なので、もう60歳、還暦になります。
いよいよ河内先生の活動も最後の仕上がりになるそうです。
菊自身、それが成就するのか、しないのかは分かりませんが、以前、追伸として書いた文章は、消すことにします。
ご迷惑をおかけした済度の仲間には、申し訳ないと思います。
しかも驚くことに、その追伸の最後に、「2007年頃、河内晢先生が、本当の阿弥陀如来だと、紫陽花自身が思えたら、その時には、紹介したいと思います。」と書いています。
正直言えば、河内先生が、本当の阿弥陀如来だと思えたのと聞かれたら、思えていませんと答えますが、菊自身、2007年頃、済度のご縁を、再び、紹介すると書いていたこと、忘れていました。
京都の講演会で、済度の仲間に、お会いして、その事を言われて、驚きです。
自分でも、まったく無意識に、2007年と書いたのかもしれません。
菊の魂が、そう望んでいたことなのかな。
確か、2005年と書いて、まだ、その時期になっていないので、2007年にした記憶がありますが、2007年7月7日に、再び、済度のご縁についたことは、何か、天の大いなる意志、河内先生の願いを感じました。
ということで、昔書いていた追伸の文章は消すことにしました。
河内先生の済度のご縁に関心ある人は、菊にメール下さい。
済度を今も、実践している人をご紹介したいと思います。
2007年7月9日