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            NHK大河ドラマ 「風林火山」記念 一年武田日記

             第3話「摩利支天の妻」                   



2007年01月26日

風林火山第3話「摩利支天の妻」
     山本勘助の平凡な幸せ

 第3話、「摩利支天の妻」は、用事があったので、友人の家で見ました。コンピューターの作業をしていたので、あまり見られませんでした。でも、DVDで録画しているので大丈夫です。翌日、帰ったら、早速見ました。

 本当にDVDは便利ですね。毎週、日曜日、録画予約しています。一年間分、ずっとDVDに残すつもりです。それが、とても楽しみです。

 さて、第3話で、勘助は、甲斐の国に入って、ミツと暮らし、平凡な幸せを経験する事になります。おなかには、勘助の子供もいます。
 実際の山本勘助が、晴信、信玄に会う前に、甲斐に入ったことがあったどうかは不明です。でも、三河や駿河にいたのですから、行った事はあるとは思いますが、ミツさんとの生活は、とてもコメントできません。^^


 しかし、武芸者として、軍師を目指して、全国を旅していた山本勘助に、平凡だけど幸せな時期があったのか、どうかは分かりませんが、菊自身、あって欲しいと思っています。
 武芸者として全国を歩いていた時に、平凡だけど、幸せな時期、体験して欲しいのです。

 だって空想の世界では、女性と愛し合って、軍師として生きる為に、小さい男の子供を、お寺に預けたということになっているのもありますが、大賛成です。
 なぜなら、勘助が何故軍師になるか、それは、日本中を平和にして、二度と戦を必要としない世の中を造る為です。
 戦争に勝つとか、自分の名前をあげたい。領地が欲しいからではありません。

 あくまでも、平凡な幸せを知っていて、その幸せを、多くの民が、自分のように、失う辛さをなくして欲しくないからです。

 その為に、天下を統一できる人物、藩主を探し、その人物に軍師として、供に天下取りを目指すことで、少しでも、天下統一の時期を早くしようとする、それが山本勘助の願いです。
 もちろん、軍師として、天下取りに、自分の力を発揮したいという動機もあっていいと思いますが、あくまでも、勘助の願いは、正義であって欲しいのです。

 だから、風林火山のドラマでは、ミツさんとの生活、本当に短いですが、菊は、大切だと思います。
 戦や、暴君な藩主によって、民が苦しまないように、俺は、一日も早く、天下取りができる人物を探す。
 その人物に、影から策を授けて勝たせ、戦のない日本にする。

 実際の山本勘助は、そう思い、一時でも、平凡だけど、穏やかで、自分は、世に出られなくても、この幸せが得られたらいいという時期があったかもしれません。
 いえ、きっとあったのではないの。
 菊は、山本勘助の御霊にそう心の中で言いながら、この第3話、見させて頂いたのです。
 よかったね、勘助、そんな時期があって。・・・・・^^



風林火山第3話「摩利支天の妻」 守り役 板垣信方

 さて、平和で、平凡だけど、幸せな山本勘助とミツさんの新婚生活は置いておいて、第3話で、メインになるのは、武田信玄の若い頃です。
 実は、武田信玄、その当時は、元服する前で、太郎勝千代と名乗っていましたが、その頃の勝千代は、おおうつけとして有名でした。信玄といえば、優れた武芸に優れた優等生で、石橋を叩いても渡らないというイメージがありますが、それは違っていたのです。

 それは、第2話であった、鬼鹿毛事件という、勝千代が、父、信虎の秘蔵の名馬を欲しがって、信虎の怒りを勝ったからだといいます。信虎は、長男の勝千代よりも、次男の信繁を可愛がっていて、対立していたら、家督を信繁に譲る可能性がありました。

 だから信玄は、わざと、愚か者を演じていたといいます。馬からわざと落ちたり、和歌などに没頭したりして、怠惰な生活をしていたといいます。それで、信虎を安心させていたのです。

 しかし、ここで、菊が、皆さんに言いたいのは、そんなおおうつけといえば、もう一人の天才、織田信長の存在です。織田信長も、信玄とは、うつけぶりが違っても、大うつけとして有名でした。
 何しろ、父親の信秀がなくなった葬式で、において祭壇に抹香を投げつけるぐらいです。
 相当なものでした。

これには、信長なりに、大きな意味があったのでしょうが、信玄は、そこまで酷くなくても、おおうつけぶり発揮していました。武と文、やり方は違っても、おおうつけを演じたということは同じだったのです。

 だから、若い頃の信玄、晴信は、早くから、織田信長を警戒していたそうです。諸国を巡回しているお坊さんが、甲斐に来た時に、織田信長のうつけぶりの話を聞いた晴信は、坊さんの話に同意せず、かえって、信長を警戒したそうです。自分の若い頃と、比べて、織田信長がわざとうつけを演じていることが分かっていたのです。まさしく英雄は、英雄を知るだと思います。

 しかし、ここで菊が言いたいのは、そんな同じうつけでも、信玄と信長、一つだけ大きな違いがあったということです。それは、守役に対する対処の仕方です。
 
 というのも、この守役とは、藩主に代わって、藩主の子供を育てるお役、父親代わりになる役です。
 戦国時代、藩主は多忙です。戦もしなければならないし、家臣もまとめないといけません。とても子供を育てる余裕はありません。と言って、妻、女性に、戦国時代、大事な息子の教育を任せるわけにもいきません。特に、嫡男、信玄や信長などの跡継ぎになると特別です。

 それで信頼する重臣に、生まれてすぐ教育を任せるようになります。それで、信虎は、一番の重臣、板垣信方に、織田信長の父、信秀は、家臣の平手政秀を、織田信長の守役に、選びました。二人が、二人にとっては、父親代わりだったのです。

 でも、その対応は違いました。板垣信方も、平手政秀も、若い頃の信玄や信長の突然のうつけぶりに悩みます。自分が小さい頃から守役として教育した人物です。賢いことは分かっています。時期藩主としてふさわしいことも分かっています。

 なのに、何故、信玄にしろ、信長にしろ、うつけになったのか、その真意が分かりませんでした。ドラマ風林火山で、板垣信方、千葉真一が、晴信の母、大井婦人に、その真意を聞いたように、苦悩したこともあったと思うのです。守役として、晴信の気持ちが、わからない自分の力のなさも、痛感したのです。

 それで、ドラマでは、板垣信方は、今までしたこともなかった歌を、病欠ということで、習ってまで、晴信を諌めようとしました。信長の守役の平手政秀も、自分の死を覚悟で、諌めようとしたことは有名です。

 だけど、二人の反応は違いました。晴信は、その板垣信方の決意を理解して、板垣の話に耳を傾けます。守役の板垣信方を諫死させるわけにはいきません。板垣と晴信、二人の間では、うつけは必要なく、ますますの信頼が生まれたのです。

 でも、信長は、守役の平手政秀の諫言にも耳を貸しませんでした。信長にとって、守役の平手政秀は、自分の真意を理解してくれない愚か者だったのです。だから、結局、天文22年、平手政秀は、自らの死をもって信長の奇行を諌めようと切腹してしまいます。

しかし、この事は、後の信長に大きな影響を与えることになります。それが、どんな影響を与えたことになるかは分かりませんが、結局、家臣を信頼できず、使い捨ての駒としか見ることができなくなったのではないか。山本勘助のような軍師を持てなかった事に影響している気がします。
いえ、本能寺の変で死ぬことになったのも、家臣を大切にできなかった、この時の幼い体験が影響していたとさえ思うのです。


何故なら、これに信長は嘆き悲しみ、沢彦和尚を開山として政秀寺を建立し、政秀の霊を弔ったと言われているからです。但し、政秀の切腹は諫死ではなく、子息五郎右衛門と信長の確執のためともいわれているので、信長のうつけが、本当の原因かはわかりませんが、二人の守役の生きる道が違ったことは、間違いないからです。

そして菊は、軍配をあげるなら、晴信、板垣信方の関係にあげたいと思います。これから、二人に、どんな事があるかは、風林火山のドラマのお楽しみなので、秘密ですが、信玄と板垣信方の絆、守役の関係に、注目して欲しいと思います。
是非、これからの板垣信方さんに注目してあげて下さい。それにしても、千葉真一さん、名演技ですね。


ヒロ   2007年01月27日

参考になりました!
\(~o~)/

chibatuさん   2007年01月27日

さすが!歴史に詳しい。大河ドラマも歴史を知った上で見るのと、知らずに見るのでは興味の深さが違うねぇ。

蔦    2007年01月27日

信玄と信長、非常に面白い対比ですね。
共通してるのは、共に天下を治められなかった事。
そして、人を使うやり方を知っていた事。
ただし、その使い方は、違っていたといえるでしょう。
信玄は、向上心を、信長は功名心を、注目して使った所ではないでしょうか。
歴史は、面白いと、再確認してます。

人が生まれた時に、持っている性格や運勢が分かります。
これは、はっきり言って、すごいです

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