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   NHK大河ドラマ 「風林火山」記念 一年武田日記
                        第4話「復讐の鬼」

  風林火山のドラマ  
第4話「復讐の鬼」 信虎の悪政


勘助を怖がらず、愛してくれていた唯一の女性、みつが死にました。武田信虎に、妊婦なのに、惨殺されました。本当に可愛そうです。きっと、皆さんの中で、そう思った人、多いと思います。


 しかし、実際には、みつが存在していないと多くの人はいると思っているでしょうが、そんな事はありません。新田次郎の武田信玄の小説にも出てきますが、信虎は、甲斐の領民に対して、ものすごく残酷でした。

 妊婦の女性を殺して、おなかの赤ちゃんを取り出して見たというような、伝説、風潮があります。戦に強いですが、甲斐の領民にとって、暴君だったのです。

 ただ、これに関しては、割り引いて考えないといけません。父である信虎を駿河に追放して、後を継いだ、信玄としては、信虎を良く言う訳がありません。信虎は各方面での戦争を続け、うち続く戦争と苛烈な政策による悪政で、民が貧困で苦しんでいる状態を心配した家臣達が、信玄を擁立したと宣伝するのが普通です。勝者が、歴史を作るのは、歴史の常だと思うのです。

 しかし、晴信が、家督相続をして、父・信虎を追放したことを、甲斐の領民たちが歓迎していたというのは、本当らしいです。戦好きの信虎による外征負担は、領内の住民への負担となり、甲斐国内で怨嗟の声が渦巻いたといいます。
いくらなんでも、そんなことを、隠すことはできませんし、信玄が亡くなった後、勝頼の代で、帰参は叶い、信虎は、勝頼や、四男の信廉、家臣団と、信濃で対面しましたが、昔と同じ狂暴さを発揮して、誰もが呆れさせたといいます。

 信虎の家臣としては、身分が低くても、今は重臣となっている家臣にさえ、昔の事を持ち出して罵倒したら、誰もが逃げ出してしまいます。結局、信虎は、甲斐には帰ることは許されず、信濃の高遠城で死んでいます。ここから見ても、信虎は、80歳になっても暴君だったのです。

 だけど、ここで、菊が言いたいことは、武田家といえば、大政治家、信玄のおかげで、民を本当に大切にしたと思われていますが、そんな事はないということです。400年近く、甲斐を収めていた君主の中には、暴君もいたし、信虎のように、平気で、民を苦しめたことも、たくさんあったと思います。それは、忘れてはいけないと思います。

 菊は、そんな甲斐の民や、もしかしたら、みつのように、信虎に、殺された妊婦の民がいたなら、一言、前世、武田勝頼として言いたいです。ただ、「南無阿弥陀仏」と

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これは、はっきり言って、すごいです

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