越前山縣家
そしてそんな中で、山縣昌景が亡くなった後の山縣家は、長篠の戦で、同じく長男の昌次もなくなった後を、次男の昌満が、継ぐことになりました。勝頼は、山縣昌景の子孫に、後を継がせたのです。ですが、その後の事はよく分かっていませんでした。昌満に、父、昌景のような器量はなかったのか、大きな働きはしていないのです。
しかも、武田家自体も、長篠の戦の7年後、織田信長に滅ぼされ、多くの家臣は、殺されています。悲惨な目にあっています。その時に、菊は、山縣家の消息もずっと分からなくなっていたと思っていたのです。
でも、今度、福井市立福井市立郷戸歴史博物館に行くご縁で、山縣昌景の子孫は、昌景の三男、昌久の子供、昌時の時に、初代福井県藩主、結城秀康によって、召抱えられ、以後、子孫は、代々、松平家で繁栄したことを知りました。上級藩士として、高禄に使え、家老、城代の要職に就いたものもいたそうです。山縣昌景の子孫は、繁栄して、本当に、心から良かったと思います。
その上、山縣昌景の子孫は、昌時の八代孫の正俊に至るまでは、山縣姓を名乗らず、結城秀康の命によって、笹治家と名乗っていたのを、その後は、山縣の名字に戻してくれています。先祖の山縣家の誇りを取り戻してくれたのです。
菊は、恥ずかしながら、そんな事は、全然知りませんでした。以前、インターネットで、調べた時も、山縣昌景の子孫についてはよく分からなかったのです。いえ、菊は、勝頼が、滅ぼしてしまった後の、他の武田家臣団に関して、詳しくは知ろうとはしませんでした。
武田家の家臣は、武田家が滅亡した時に、信長によって、多くが殺されたことと、すぐその後、甲斐、信濃を支配した、家康によって、徳川家の家臣に召抱えられて、江戸時代は、旗本や奉行として、長くは繁栄したことは知っていましたが、個別に、熱心に調べようとはしませんでした。今、その事を、菊はとても反省しています。申し訳ないです。
何故なら、今の時代、武田家臣のその後も、インターネットで、検索したら、有名な家臣であれば、調べることは、そんなに難しくはありません。現に、高坂弾正、馬場信春、内藤昌豊についても、少しは分かりました。それだったら、前世、武田勝頼の魂を、一部持つものとして、そういったことは、知らないといけないと思います。菊には、武田家を滅亡させた直本人として、その義務があるのです。
今回の山縣昌景のご縁は、そのことを菊に教えてくれた気がします。前世、武田勝頼の菊に、山縣家は、武田家が滅亡した後も、繁栄したので、ご安心下さい。山縣昌景の御霊や、山縣家の多くの御霊さん達は、その事を、暖かく、菊に伝えてくれたと思うのです。菊を、責めようとはしなかったのです。本当に、武田家の御霊さん、ありがとうございますと心から感謝したいと思います。
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