大河ドラマ 風林火山 第20話 「軍師誕生」

 山本勘助が、軍師になりました。とうとう、武田家の家中で、その知略が認められました。本当に嬉しいです。これからの軍師としての山本勘助の活躍に期待したいと思います。
 だって、今までは、山本勘助の命令では誰も、武田家臣は従いませんでした。御屋形様である晴信に採用されて、初めて策は実行されます。

しかし、これからは違います。武田家の軍師である山本勘助の命令は、武田家臣も従わないといけないことになります。確かに、武田家中に、内通者が現れると、漏れる心配もありますが、今までよりはもっと動きやすいと思うのです。

ところで、この軍師ですが、日本に軍師はいないという説があります。軍師としての役目をした人物はいないというのです。戦国時代、軍師といえば、秀吉の家臣だった、竹中半兵衛や、黒田官兵衛、伊達政宗の家臣だった、片倉景綱、上杉景勝の直江兼続などが有名ですが、本当の軍師ではなかったといわれています。精々、相談役だったというのです。

だから、山本勘助が、本当に存在し、武田家臣団や、晴信に重視されていたら、山本勘助は、日本で初めての軍師といえると思います。

何故なら、軍師とは、本来、名前が表に出たら駄目だからです。その策が、軍師からではなく、主人である人物からすべて出たということで、誰が考えたのか、分かってもいけないのです。これが菊の考えです。その策が、誰かの策だと分かったら、次は、用心されるからです。軍師とは常に影の存在で、名前が、世に出たらいけないのです。

それで考えたら、竹中半兵衛や、黒田官兵衛、片倉景綱、直江兼続も、どれも該当しません。有名すぎます。有名で、相手に知られていたら、軍師の務めは果たせないと思うのです。

しかし山本勘助は違います。本来、山本勘助に関する記述は、どこにもありませんでした。唯一、高坂弾正が残した、甲陽軍鑑にあるだけです。だから、山本勘助は、ずっと、多くの専門家からは、その存在まで疑われていました。たぶん、甲陽軍艦がなかったら、山本勘助の存在は、誰もしらないまま、歴史に消えたと思うのです。

それには、山本勘助が、外から来た、甲斐国内の人物でないので、武田家中の家臣達も、あまり名前を残したくないという事もあったと思いますが、山本勘助自身が、常に晴信の影の存在に徹し、名を残さないようにしていたことも大きいと思います。
是非、そんな一面で、この風林火山、見て頂けたら幸せです。

人が生まれた時に、持っている性格や運勢が分かります。
これは、はっきり言って、すごいです

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