第37回「母の遺言」9月16日放送
信玄公の母、大井夫人がなくなりました。信玄公が、名将になれたのは、大井夫人の教育がよかったからだと言われています。歴史で見れば、教育ママのモデルの一人で、賢夫人の一人に上げられます。
しかも信玄公も、大井夫人には終生頭が上がらなかったと言いますし、上田原の戦いでは、破れた信玄公に、帰国するようにお手紙で勧めているものも、歴史の真実として残されています。慎んで、大井夫人のご冥福お祈りしたいと思います。
また、風林火山のドラマで、大井夫人は、信玄公は、名将にはなれても、父親になれないということを言っていますが、これは、菊自身も驚いてしまいました。今までになかった解釈です。
何故なら、信玄公は、「人は石垣、人は堀」という言葉で分かるように、極めて家臣を大切にしながら、その能力を十分に活用したことで知られています。家臣は、御屋形様と言って、心から崇拝していましたし、信頼していたのです。その上に、信玄公が、子煩悩だった事も知られています。特に、娘に対しては甘く、子煩悩ぶりを発揮しています。いろんな文献も残されているのです。
だから、信玄公が、父親になれなかったということは、今まで、どんな作家や、歴史学者も考えなかったことだと思いますし、菊自身も考えもしませんでした。むしろ、信玄公は、父親の信虎公が、嫡男である自分よりも、弟である信繁公を愛していたことに反発して、自分は、絶対に、そんな事はしないと誓っていたといいます。長男の義信を溺愛することがあっても、信玄公が信虎公と同じように、義信をないがしにするなんて考えられないのです。
でも、歴史は皮肉にも、因果応報、父親を追放した信玄公に対して、今度は、長男の義信が、自分を追放しようとして、謀反を計画し、それを発覚すると、義信を幽閉して、最後は、死なせてしまうという運命を与えます。信玄が、自害させたのか、義信が、自ら伊の命を絶ったのかは分かりませんが、義信を死なせたことは間違いありません。信玄公にも、武田家にとっても、大きな打撃になったのです。
しかしその理由は、信虎の反発から、息子を甘やかせすぎて、育てたからとか、もう一つ、武将としての力量が乏しくと思われていました。義信公は、わがままで、世の中の動きを分からなかった武将と描かれているのです。
それで、父親の信玄公が、義信公の実家、今川家に侵攻する事に対して、あくまでも反対して、従おうとはせず、自らの命を消すことになったと思われていました。菊自身も、やはり兄、義信公に、そういった一面あったと思います。少なくても、義信公の行動で、守役の飯部虎昌を筆頭に、多くの家臣がなくなる事になったのですから、この事は、反省しないといけないと思います。
でも、武田家の御霊さん、大井夫人の御霊さんが、この風林火山のドラマを通して、名将になれても、立派な父親になれなかった信玄公のことを伝えたいのであれば、その事も真剣に受け入れたいと思います。
何故なら、一説には、信玄公は、由布姫の息子、勝頼をかわいがりすぎて、義信公を疎んじて、親子の絆を悪くしたといわれていますが、そんな事はなかったとしても、父親には、いろんな面ではなれなかったのでしょう。それが証拠に、勝頼に対しても、死後の事を考えて、正式に跡目にしようとはしてくれませんでした。前世、勝頼としては、それは辛かったです。
ということで、父親になれなかった信玄公、菊は、そういった考えがあることも受け入れます。風林火山のドラマを通して、武田家の御霊さが、教えてくれた気がします。いえ、何よりも、この事は、信玄公の御霊が、反省して、多くの武田家の御霊や、現在の人に、伝えてくれたメッセージのような気がします。これは信玄公の御霊の遺言でもある気がするのですが、皆さんは、どうですか。これからの風林火山、そんな視点で、皆さんと一緒に見させて頂きたいと思います。
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