第40回「三国同盟」 10月7日放送

 武田、今川、北条の三国同盟が結ばれました。教科書にも載る有名な事実です。武田家には、信濃で上杉謙信という強敵がいます。北条家も、関東で、上杉謙信と戦わないといけません。そんな両家、武田家と北条家が手を結ぶには、北条家と敵対関係である、今川家の了解が必要です。

そのためには、今川家も、北条家と争うことは止めて、同盟を結んで頂くことが必要です。そうすれば、今川家も、尾張の織田家とだけ戦うことに専念できて、上洛の道も、開くことができます。武田家の視点でみれば、ざっとそうなります。

 また、それは、今川家や、北条家の視点でみても、殆ど同じです。お互いに、敵がいる三国にとって、三国同盟は、大きな意義があります。三国同盟があれば、背後の敵を心配することなく、正面の敵だけに集中していたらいいのです。今から考えれば、子供でも分かる理屈です。

 しかし、そんな三国同盟ですが、なかなか誕生しませんでした。一度、敵対関係になって、争うことになると、なかなか手のひらを返して、得だから、戦はしない、同盟を結ぶということにはなりません。三国同盟も、簡単に誕生しなかったのです。

 それが、誕生したのは、皮肉にも戦でした。北条氏康が、駿河の今川の領地、河東地方に久しぶりに攻めて来た事が大きかったです。これで、今川義元は、慌てて、織田家との戦いを中止して、駿河に戻ってきました。武田も、同盟を結んでいる今川義元の依頼で、駿河に来ました。三人の武将が、駿河に集まったのです。

 そして、そんな三家をうまくまとめたのは、今川義元の軍師、雪斎だといわれています。雪斎が、三人の武将が、駿河に集まっている好機を捉え、うまく三国同盟に結びつけたのです。

 ですが、何故、北条氏が、この時期に、駿河に侵攻したかは、はっきりとは分かっていません。駿河の河東地方は、河越の野戦の前に、今川義元との和議によって、取られたまま、奪回はしようとはしなかったからです。北条氏康は、関東に、目を向けていて、駿河の今川家を攻める必要性がなかったからです。

 なのに、北条氏康が、攻めてきました。今川とは、河越の野戦の後、三方輪という講和ができていて、それ以降、戦はしていません。暗黙の了解があった感じなのに、北条氏康は、それをあえて破っているのです。

 菊は、それをさせたのは、武田家、信玄ではなかったと思います。信玄が、山本勘助か、誰かの献策で、北条氏康に根回しして、駿河を攻めさせたのです。それで、今川義元も、同盟の必要性を痛感して、雪斎の勧めで、三国同盟を決断したと思うのです。

 だから、もし、それが、真実だったら、三国同盟の真の立案者は、武田家ということになりますが、真相はどうでしょうか。ただ、この三国同盟は、今川義元、北条氏康と言う二人の英雄がいないと存在しませんでした。今川義元も、北条氏康も、ちゃんと時局が、分かるすばらしい人物だったのです。その事は、忘れないで欲しいと思います。

人が生まれた時に、持っている性格や運勢が分かります。
これは、はっきり言って、すごいです

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