大河ドラマ風林火山 第6話「仕官の道」
山本勘助は、今川家の重臣、庵原忠胤の元で、長い間、厄介になっていたことは分かっています。ここで、約8年間ちかくいたのです。この間、勘助は、当然、今川義元に仕官を願い出たことは間違いないと思います。でないと、庵原忠胤の元で、ずっと寄宿できる訳がありません。いつかは、きっと仕官できるだろうと思っていたから、待っていたと思うのです。
しかし、今川義元は、勘助を家臣にしようとはしませんでした。はっきりした理由は分かりませんが、勘助の容貌が醜かったからだと言われています。家臣にするという事は、常に顔を見ないといけないということです。何でそんなことぐらいと思いますが、今なら分かるような気がします。
京都風の文化も取り入れていた今川義元は、残念ながら、山本勘助の醜さを嫌ったのだと思います。いえ、容貌を嫌ったのは、母親の寿桂尼だとも言われていますが、どちらにしても、今川家では、勘助を受け入れる気持ちはなかったのです。でないと、重臣の庵原忠胤や、朝比奈信置の申し出を断ることはないと思うのです。
ただし、これには、勘助に、今川義元や、家臣達を納得させられる実績がなかったことも大きな理由にあげられます。今川の家中は小者一人も連れぬ貧しい牢人で、城を持ったこともなく、兵を率いたこともない勘助が兵法を極めたなぞ大言壮語の法螺であると謗ったといいます。勘助自身、自分の力を証明できるものはなかったのです
また、勘助は、北条家にも仕官を願い出たといいます。今川家と北条家は、北条早雲の頃からの同盟関係にありました。今川家が、どうしても、駄目だったら、北条家に話がいったのは自然の流れです。でもここでも断られたといいます。北条氏康というよりも、父親の氏綱が、許さなかったと思いますが、大国になりつつあった今川家、北条家には、勘助を受け入れるご縁がなかったのです。
しかし武田家、晴信は違いました。晴信は、板垣信方の推挙で着た、山本勘助の姿に驚きましたが、醜いとは思いませんでした。そんな醜い姿の勘助の名前が、評判になっているのは、口だけでなく、力量もあると判断しました。百貫で雇うはずが、その場で、二百貫、三百貫加増して、家臣を驚かせています。風林火山のドラマでは、重要な見せ所の一つです。
それが、今回の風林火山のドラマでは、どんな形になるか、とても楽しみです。菊としては、尊敬する井沢元彦さんの野望の本のように、大いに天下を語らせたいですが、どうなるかは分かりませんが、信玄と勘助が、すでに知っていたという説も確かにあることは間違いないです。どんな出会いでも、面白かったらいいと思います。
ただ、菊がここで言いたいことは、この勘助の醜さが、一つのポイントとなることです。晴信は、この時に、勘助に醜いとはいわないと約束していますし、勘助が、武田家の家中にそう思われていたら、その後の軍師としての仕事はできません。
だから晴信は、勘助を自分だけでなく、家臣にも醜いと言わせなかったですし、勘助にお世話をする女性も与えているのではないか、菊はそう思っています。勘助は、武田家に仕官できた事で、長い浪人生活を終えて、本当に幸せになれたのです。
しかも信長のように、家臣を秀吉の猿とか、光秀のはげねずみとは呼ぶようなことは一切ありませんでした。是非その事は、皆さんに知ってほしいと思います。
2007年03月13日
蔦
今川も北条も、既に大国であった事が、勘助を仕官させなかった一つの要因であるかもしれません。
晴信が、信濃を手に入れるまでには、まだまだ時間がかかりますが、勘助の力が、ちょうど武田に必要になる必然性が、そこにはあったのではないかと、私は思います。
人が生まれた時に、持っている性格や運勢が分かります。
これは、はっきり言って、すごいです。
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