縁の花

     (21世紀に咲く智恵の輪)  

            260

済度の旅 会津・新潟済度

∞「今日から、従来の形に戻りますね」∞

読者の皆様、ご無沙汰しています

2008年後半のスタート、71日から

恩師の原裕一郎先生の「時代が変わる」ということで

とても忙しくしていました

 

今まで、私が、19916月から

ずっと活動してきた高度情報社会の集大成

後、23年後から始まる

高度情報社会、情報革命に向けて

私自身、悔いのないように

志士としての活動をしてきました

縁結びの活動です

 

縁の花村やなんでんかんでん村の

村長として、村民に、時代が、いよいよ

もうすぐ変わることをお伝えしましたし

プラットホームの仲間にも

お伝えしました

おかげさまで、何人かの人は

原裕一郎先生に、直接会って頂いて

「時代が変わる」という熱弁を聞いて貰えて

仲間になってくれました

成果も、出ているのです

本当に、感謝で一杯です

 

 

また、おかげさまで、「時代が変わる」という活動も

ある程度の目鼻もつきました

この変で、通常の縁の花の形に戻りたいと思います

くしくも101日は、1993年ですが、縁の花を書き始めた日です

101日から、通常のように、日記を、どんどん書いていきたいと思います

実は、篤姫のこと、御霊のこと、プラットホームのこと

私は、書きたいことが、たくさんあるのです

 

 

また、71日から約、3ヶ月間

時代が変わるということで

いろんな人と電話で話したり

直接、会ったりして

実際に、表に出て活動がんばってきましたが

その間も、裏になる、目には見えない存在達のこと

無数の御霊さんのことを

私は、一日も忘れてはいませんでした

御霊さんは、ずっと私と一緒でした

私の活動を応援してくれていました

それを強く感じる3ヶ月間でした

私とご縁のある御霊さん達

特に志士の御霊さんには、心から感謝したいと思います

いろいろ、応援してくれてありがとうございます

 

しかも、日記を、書く暇はありませんでしたが

私は、御霊を救う、済度の活動も

がんばっていました

表の見える活動が忙しくなればなるほど

裏のみえない活動も、大切です

 

 

 

皆さんは、信じられないかもしれませんが

早朝は、420分頃には起きて

4時半から、金沢の多くの済度の仲間と同じように

私なりの済度をさせて頂いていましたし

原裕一郎先生の活動のおかげで

お金もだいぶ、頂けるようになってきたので

1ヶ月間に1度は、大阪から金沢に行けるように

なってきました

まるで、夢のようです

今回は、この3ヶ月間であった

そんな裏の活動のことも、皆さんにご紹介したいと思います

 

 

∞「新潟済度の講演会」∞ 

 

2008年、919日、私は、新潟にいました

新潟といえば、昔は、越後の国

甲斐の虎と恐れられた武田信玄と

川中島で激しく戦った

ライバル上杉謙信公が、愛した領国です

前世、武田信玄の息子

武田勝頼公かもしれない私としては

一度は、行ってみたい土地でしたが

何しろ、大阪です

なかなかご縁がないので、行くこともなかったのですが

それが、今回、済度のご縁で行くことができました

すべて、天のお力だと思います

 

 

また、私は、今回、新潟に行くことになったのは

済度の導きでした

というのも、縁の花のサイトを見て

今が、ますます幸せだと気がツクにはシリーズのメルマガを

読んでくれている人達の一人に

会津に住んでいる、すてきな女性がいます

 

 

その方は、幕末の当時、幕府との義を守る為に

戊辰戦争で、薩摩、長州と戦った会津の御霊

無念にも、賊軍と呼ばれた白虎隊達などの

御霊さんを、供養している人ですが

御霊さんを供養する活動は

いろんな大変な面もあるということで

私が、書いている大河ドラマ「篤姫」などで

済度のことを書いているので

励まされたということで、メールくれた人です

「篤姫」のご縁で、縁ができたのです

 

 

しかも熱心に、メルマガを読んでくれていて

一度、会いましょうということになっていました

神戸に、来る予定がある時は

大阪で、会えたらいいねということになっていたのです

 

だから、私も、済度のご縁を感じて

会津、福島県から、比較的に近い

新潟県で、毎月、一度、行なわれる

済度の先生の新潟講演会にお誘いしました

実は、済度の先生、

そんなにもう、今世にいないそうなので

会えるご縁のある人には

会って頂きたいと、心から願っていたのです

 

済度の先生がしてくれる一念帰命というもの

この世では価値は分からなくても

あの世に帰ったら、絶対に喜んで貰えると信じているので

受けて貰って欲しかったのです

 

 

また、そんな私の願いが

通じたのか、会津の人が、

新潟講演会に参加してくれることになりました

他の予定をキャンセルして、来てくれることになったのです

その上で、私に、会えますかと

メールで聞いてくれました

 

 

なので、私も、済度、霊界の導きを

感じて、新潟に行く決心をしました

9月は、19日に、金沢に入ることにしたのです

 

 

∞「戊辰戦争済度」∞

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今が、ますます幸せだと気がツクにはシリーズは、メルマガを通して

私とのご縁のある人が、ますます幸せになる為に、

いろんな情報を、お届けしています

しかも、情報をお届けするだけでなく、読者の皆さんに

具体的に幸せになれる手段、ご縁を提供するつもりですし

一人でも、多くの皆さんを、新しい時代、ユビキタス社会に

お連れすることを、目標にしています

また、その為に、最新のビジネス情報もお届けしますが

それだけでなく、皆さんが、究極の幸せになれるために

すべての魂を癒す。あるすごいエネルギーも、届けています

是非、よろしかったら、読者になって下さい

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会津の女性の方が、新潟講演会に参加してくれることで

新潟、上杉謙信公の越後に、初めていくことにした私ですが

そのルートは、大阪、金沢、新潟、金沢、大阪というものでした

今、恩師の原先生のおかげで

縁の花村としても、収益を頂けているので

それを使わせて頂いて、毎月、一度は

金沢に帰って、多くの御霊を済度するという志願しているので

金沢から、新潟に行く人達の車に便乗させて頂いて

新潟に、夜の6時頃に、行くことができたのです

 

 

また、そんな私ですが、今回、意識したのは

幕末、大河ドラマ「篤姫」では

勝ち組の薩摩、長州の志士達ではなく

敗れた長岡藩、会津の志士達でした

 

 

というのも、会津の女性の方から教わらなかったら

私は、恥ずかしながら、大河ドラマ「篤姫」に関して

いろんな日記を書いているのに

本当に知らなかったのですが

今年は、戊辰戦争が始まってから

140年ということで、会津なのでは

いろんな催しがされているそうです

 

だから、大河ドラマ「篤姫」で盛り上がっているのは、薩摩や

長州、江戸だけではありません

会津でも、盛り上がっているのです

 

 

しかし、残念ながら、大河ドラマ「篤姫」では

会津の人達、幕府の義の為に戦った

戊辰戦争で戦った、新潟、東北の御霊達は

殆ど、無視されています

おそらく大河ドラマ「篤姫」は

江戸城開放のシーンで終るので

登場することはないと思うのです

 

 

でも、明治維新を考えるなら

戊辰戦争は、無視することはできません

戊辰戦争を通して、新潟の長岡藩は、

河井継之助の元で、長岡の町が焼け野原に

なるまで激しく戦いましたし

会津藩では、松平容保が編成した

玄武隊・青龍隊・朱雀隊・最年少の白虎隊が

激しく戦って、戦死者は三千五百名にもなったといいます

 

 

 

だから、私は、大河ドラマ「篤姫」でも

戊辰戦争で戦った人達のことを

とりあげて欲しいですし

明治維新の志士達の供養と考えたら

戊辰戦争でなくなった御霊達のことも

絶対に、外せないと思いました

少なくても、私の日記では

戊辰戦争でなくなった御霊達のことも

書かせて頂こうと思ったのです

 

 

また、そんな私の済度という視点でみたら

会津で、戊辰戦争を供養している方が

長岡藩のあった土地である新潟で行なわれる

済度の先生の新潟講演会に参加してくれることは

とても意味のあることでした

 

 

きっと、会津の女性は、たくさんの会津でなくなった御霊さんを

背景にお連れして参加してくれたので

済度の先生によって、済度されることで

目には見えなくても救われたと思いますし

長岡藩の御霊も、そのことを少しは意識した

私を通して、済度されたと私は、信じています

新潟講演会は、私にとっては

戊辰戦争の済度でもあったのです

 

 

だから、私は、幕府のために

自分達が、信じた正義、佐獏の為に

戦った御霊達の冥福をお祈りしていました

あの世に帰れること

救わせて頂くことを願っていました

私が、今回、新潟講演会に参加させて頂いた

天、霊界の願いは、このことだという予感がしていたのです

 

 

また、私の新潟講演会成功しました

金沢では、4時半からの早朝済度も

10時半からの海の済度にも

参加することができましたし

新潟講演会で、会津の女性の方とも

無事にお会いすることができました

残念ながら、ご主人は来られませんでしたが

事前に偶然、済度の先生の小冊子を

送らせて頂いたこともあって

済度の先生の話を聞いて貰えました

一念帰命も受けて頂いて

過去生のすべての罪も

消して頂いたのです

 

 

ですから、私は、本当に嬉しかったです

わざわざ、新潟まで来た甲斐がありました

長岡、会津の多くの志士の御霊を

救わせて頂いたのです

こんな光栄なことはないと思います

 

 

しかも、会津の女性の方も

とても喜んでくれました

きっと、今後、会津でなくなった御霊を

供養することにも、目には見えなくても、

済度の先生の力は、大きな力になると思いますし

新潟講演会に参加していた

会津の済度の仲間もご紹介できました

済度のご縁を作ることができたのです

私としては、与えられたお役は果たせたと思ったのです

 

 

その上に、会津の女性は、大建工業という有限会社を

経営している一人で、建設帰農ということで

大きな農地で、いろんな作物を作って

販売しているお仕事もしているのですが

私に、おみやげとして

アスパラガスをプレゼントしてくれたのですが

それを、済度の先生に渡すことができました

済度の先生は、「アスパラガス」は、好物だといって

受け取ってくれたのです

 

 

また、私は、それが、本当に嬉しかったです

何故なら、済度の先生は、魂の成長を願う先生なので

きっと、食べられた「アスパラガス」も

今度、生まれる時には、大きな魂の成長をすると確信しています

「アスパラガス」から、今度は、何か、動くことができる動物に変わり、

人間に生まれ代われるのも、ものすごく早いと思います

魂の誉れなのです

 

 

なので、私自身、嬉しかったのですが

その食べられる「アスパラガス」は、単に「アスパラガス」ではなくて

その会津の農場で育った作物の代表でもあるので

私は、会津の女性の魂や、そこで働いている女性の人達の魂

育てられている作物の魂

全部が、喜んでいると思います

 

それぐらい、単純なことですが

済度という視点でみれば、本当なすごいことを

させて頂くことができたのです

会津の女性の魂にとっては

あの世に持っていける

最高のプレゼントができたのです

これも、すべて、天のお力だと思います

 

では、皆さん、縁の花第260号「済度の旅 会津・新潟済度」

読んで頂いてありがとうございます


続き

縁の花 第261号「済度の旅 東條英機と大東亜戦争済度」

縁の花 第262号「済度の旅 神風特攻隊と熊野天女座済度」



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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

2011年 縁の花のお手紙サイト

http://www.geocities.jp/ennohana/2011ennohana/ennohana1.html

 

 




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