縁の花

(21世紀に咲く智恵の輪)

第316号

もし明治の日本が

日清・日露戦争をしなかったら

∞『「坂の上の雲」もし明治の日本が

日清戦争をしなかったらどうなったか』∞

新大河ドラマ「坂の上の雲」を通して  
日清戦争について書かせて頂いています
今、日清戦争、日露戦争を戦った英霊、御霊が
この世にまだいたら、どんな事を思っているか
何を願っているか
その視点で書かせて頂いています
その上に、どうしたら、これからの日本や
俺にツイテ頂けるか
守って頂けるか
それを一番の目的に書いています
俺は、坂の上の雲のドラマを通して
それを多くの人が見ている現在の日本人に
日清戦争、日露戦争の英霊達に
ツイテ頂きたいと思っているのです

さて、そんな日清戦争ですが
俺は、あの当時の明治の日本が
日清戦争をしたのは間違いではなかったか
いえ、日清戦争で勝利して
台湾を得て、朝鮮国を独立国と認めさせたのは
間違いでなかったとしても
それによって、朝鮮や中国と言う大陸に侵攻したのは
大いなる間違いだったと思っています
日本は、大陸に、武力を侵攻すべきではなかったと思っているのです

だから今から、日清戦争で亡くなった英霊達の供養を願って
日清戦争をしなかった日本
新しい日本の道を考えたいと思います

しかしそれは、「言うは易く行うは難し」です
というのも日本が、あの時に、日清戦争をしないと言う事は
甲午農民戦争で大混乱している李氏朝鮮からの要請で
清国の軍隊が、朝鮮に入っても
日本は、朝鮮には、軍隊は入れない
朝鮮国は、清国の植民地、属国だと認めることになるからです

しかも、日本がそうすることは
日本は、世界がまだまだ植民地獲得競争をしている時代に
日本は、大陸には侵攻しない
アジア諸国を植民地にはしないという事を
日本政府は、決断した事を意味します

それはまさしく国家100年の計と言えるもので
当時の政治家でも、余程の決断力と政治力がないとできない事です
もし、それをできるとしたら、明治天皇だけだと思いますが
明治天皇は、日清戦争に反対している伊藤博文から
イギリスが、ヨーロッパ大陸に侵攻しないでも
大繁栄している事を聞いて
日本の取る道は、朝鮮を得て、日本の防波堤にするのではなく
英国のような強力な海軍を持って
神国日本を守る事を選択しました
陸軍は、そんな伊藤博文に対して、猛然と反対しましたが
明治天皇の後押しで、日本は、甲午農民戦争で混乱している朝鮮国から
すべての軍隊を引き揚げたのです

こうして、新しい歴史では
1895年になっても、清国が朝鮮国を属国
植民地として扱う事で進みました
清国は、自信を付けると
朝鮮国に軍隊を駐留させて
日本が朝鮮に入る事は認めなかったのです

でもそれで、清国が強くなった訳ではありません
日本が、日清戦争をしなかったので
まだ欧米諸国からは、眠れる獅子と恐れられていた清国は
実は、日本に負けるぐらいと弱いとは思われなかったので
日清戦争後に起きた、中国でのヨーロッパ諸国やロシアの勢力分割を
一時は防ぐ事ができましたが
中国の劣勢は明らかでした
特に、その中でも、大陸で結ばれているロシアの脅威は大きく
清は、満洲からモンゴル・トルキスタンをロシアに
取られてしまうのです

また、そんな清国に、1900年に起きたのが義和団事件でした
反西洋・反キリスト教を掲げる義和団に
西太后はこれに乗せられて列強に宣戦布告したが
八カ国連合軍に北京を占領されて
簡単に負けてしまうのです

しかもこの8カ国連合の中でも
中心的な活躍をしたのは国際協調の為に

初めて大陸に軍を出した日本とロシアでした
特に、日本の軍事力は未知数で
その強さに世界は驚きました
他のイギリス・アメリカ・ロシア・フランス
ドイツ・オーストリア・イタリアは
アジアの中で、日本が唯一近代化に成功した事を知ったのです

その上で、義和団事件が終わると
日本は、台湾を領土にしました
他のヨーロッパ諸国は
長江流域をイギリス
山東省をドイツ、
広東省・広西省をフランス
満州をロシアと勢力圏としましたが
日本も、前から欲しかった
大陸から離れている台湾を得ると植民地にはせず
独立国させて、世界を驚かせたのです

でも、そんな日本に対して
ヨーロッパ諸国は
イギリスは香港の九龍半島と威海衛、フランスが広州湾
ドイツが青島(膠州湾租借地)、
ロシアが旅順と大連を租借地として
それぞれ要塞を築いて東アジアの拠点としたのです
こうして清国は、半植民地となって
ますます衰退していったのです

でも、その反面、ロシアはどんどん勢力を強め
中国、大陸に利権がある
イギリス、フランス、ドイツにとって
大きな脅威になりました
ロシアは、南下政策を強め
イギリス、フランスの勢力圏も
侵されそうになっていたのです

そこでイギリスが、目を付けたのは
新興が著しい日本でした
日本を唆して
日本を援護して、ロシアと戦わせ
中国の長江流域を守ろうとしたのです

しかし明治の日本は、そのイギリスの策略を理解していました
大陸に何も利権がない日本は
ロシアと戦う必要性はありませんでした
満州を手にしたロシアが、朝鮮を狙い
清国から朝鮮を奪うのは
もう確実ですが
それでも日本は、一国でロシアと戦争する事は避けました
英国からは、日英同盟の要請がありましたが
それでも日本一国で、ロシアと戦う事はしようとはしなかったのです

 

 

∞『「坂の上の雲」もし明治の日本が

日露戦争をしなかったらどうなったか』∞

さあ、日本は英国からの同盟を申し込まれても

大国ロシアとは戦おうしませんでした

短期決戦なら戦い勝利する可能性もありましたが

日本は、老獪な英国が、日本を利用して

ロシアを抑える目的だと言う事が分かっていました

そんな英国は、ロシアや他の国からの

中国の英国勢力圏に対する脅威が無くなると

日本に敵意を見せる事も

よく分かっていたのです

 

だから日本の伊藤博文首相は慎重で

明治天皇も、そんな伊藤博文を支持していました

なので、英国は、日本を利用する事は諦めました

大陸に利権のない日本を使う事はできない事を

悟ったのです

 

しかし、日本が駄目なら

アジアの国の中には

英国に、頼れる国はありませんでした

やっと近代化に力を入れ始めた

清国を頼る事はできませんでした

ロシアと清国が戦争しても、とてもロシアに勝てるとは思えなかったのです

 

なので、英国は、最初は、同じように中国に勢力圏を

持っているフランスも巻き込んで

清国、英国、フランスと組んで

ロシアと対抗しようとしました

英国自身も、軍隊を出し、フランスにも出させようとしたのです

そうするしか、ロシアの脅威から

イギリスの国益を守る事はできないと考えたのです

 

でもフランスは、ロシアとの関係が壊れる事を恐れて

そんな英国の提案を拒否しました

ヨーロッパ大陸で、ドイツと対抗しているフランスは

ドイツを牽制してくれるロシアとの関係を

大切にしていたのです

イギリスの目論見は、うまくいかなかったのです

だけど、そんな英国を

日本が助け舟を出しました

ロシアに対して

英国、自らが戦うのであれば

日本と英国が、中国に

同数の兵を出すのであれば

日本も戦うと言う事で

急遽日英同盟が決まったのです

 

もし、清国が属国にしている朝鮮国を

ロシアが狙ったら

英国は、軍を派遣しても

日本と共に戦う

もし、ロシアが清国と戦争になったら

日本は、英国と協力して

ロシアと戦う

そういった日英同盟が結ぶ事ができたのです

 

しかもそんな日本と清国、英国との同盟は

ロシアにも大きな脅威を与えました

黄色人種の日本を侮っていたロシアも

さすがに清国、英国、日本の三国を敵にしては

戦争に勝てる自信がありませんでした

それで、清国に対する南下政策も一端は収まりました

ロシアの朝鮮に対する侵攻も、清国と外交交渉で

押さえる事ができたのです

日露戦争も、清露戦争も起きなかったのです

 

そしてそんな中で、アジアの歴史は進み

大きな戦争は起きず

清国では、ついに孫文による辛亥革命が起きて

1912年、清国は滅亡すると中華民国が誕生しました

 

だけどここでも

大陸に侵攻していない日本は

中華民国、中国人と争う事はなく

孫文を密かに応援していて

革命が成功すると、このチャンスを逃さず

今度は、外交の力で、

朝鮮国を中国から

独立させることに成功しました

中華民国も、経済的に負担な朝鮮を

手放しかったのです

日本は、そんな中華民国に

最後は、朝鮮国を独立させなかったら戦争すると脅して

しぶしぶ認めさせたのです

こうしてしばらく平和な時代が続いたのです

 

でもやがて、第1次世界大戦が起こり

日本は、英国との同盟で

英国、フランスの連合軍にツクと

ドイツと戦いました

日本は、英国の要請で

中国の青島や、

太平洋のマーシャル諸島などの南方の島々を落としたのです

 

 

だけど、日本の狙いはそれだけではありませんでした

第1次世界大戦の時に、ドイツに負け続けたロシアは

長年待っていたロシアに革命が起きて

赤軍、共産党の政権が起きると

英国、フランスなどの連合国はドイツの目を再び東部に向けさせ

同時にロシアの革命政権を打倒することも意図した干渉戦争を開始して

日本は、ロシア極東のウラジヴォストークにいる

「チェコ軍捕囚の救出」を大義名分としたシベリア出兵の要請を受けると

米国と共に出兵すると、満州からソ連、ロシアを追い出しました

 

その上で、満州を独立させると

新しく誕生した国連に認めさせました

日本は、占領した南方の島々を別として

大陸の占領した青島からもすぐに撤退して

中国の利権を求めず

一切、大陸に軍を駐留させる事

植民地を得る事を求めようとはしない上に

台湾、朝鮮を独立させた実績があるので

英国、フランスも反対できず

中国もしぶしぶ認めたのです

 

そしてその時から

日本は、いよいよ

アジア諸国の独立を目指して動き出しました

国連に参加すると

植民地解放、人種差別を訴えて

白人中心の国連を悩ませました

日本は、アジアの星として

アジアからの植民地を一掃する事を

目的に行動したのです

 

また、そんな日本にとって

第二次世界大戦は、大きなチャンスでした

日本は、世界恐慌で

経済的な打撃は大きく

植民地がない為に

英国、フランスのブロック経済で市場を無くして

大いに苦しむ事になりましたが

台湾、朝鮮、満州、中国、米国との貿易で

何とかやっていけました

大陸に植民地がなかったので

軍事費の負担も少なく

経済的に楽だった事が大きかったのです

それで、ドイツと、同盟を結ぶ必要はなかったのです

 

しかも中国に侵略していない上に

中国人とも敵対していない日本は

中国人による反日運動も起きませんし

中国とも戦争にならず

中国軍と中国共産軍の戦争にも介入しないので

大きな影響力を保ち続けていました

日本は、中国との泥沼の戦争をすることなく

軍事力を強化できたのです

 

それで、第2次世界大戦が起きると

イギリス、ドイツどちらとも組まないでいる日本は

やがて、アジアの植民地解放を目指して

イギリス、フランス、オランダに堂々と宣戦布告して

戦争を仕掛けて勝利すると

アジア諸国を次々解放しました

その上で、すぐに独立させてしまったので

米国も、そんな日本の行動を支持したので

太平洋戦争は起きなかったのです

 

以上が、日清戦争、日露戦争を起こさなかった

日本の新しい道です

でも、きっと、皆さんの多くは

それは理想だけど

現実的には難しいと思うかもしれないですね

だけど、俺はそんな理想があってもいいと思います

それが、日清戦争、日露戦争を戦った英霊達が

一番望んだ事だと思うからです

 

是非、日清・日露戦争を戦った英霊達には

俺や今の日本について貰って

時々は、そんな楽しいシミュレーションを夢見て

こうしていたら良かったね

と元気を与え

過去の過ちは、素直に認め、反省して

これからの日本をよくするために

一緒に一緒に

共に活動したいと思います

 

第314号 「日清戦争はどうして起きたか」

第315号 「日清戦争で亡くなった英霊が今の日本人に
教えてくれている教訓とは」


第316号 「もし明治の日本が日清・日露戦争をしなかったら」

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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

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