縁の花

(21世紀に咲く智恵の輪)

第319号

2010年3月17日は

硫黄島で亡くなった日米の英霊達と

一緒にお水を飲む済度の日です

 

 ∞「硫黄島済度 冷水一杯運動」∞

1945 米軍が硫黄島全島を占領。

日本軍23千人のうち捕虜になった210 を除く全員が戦死」

 

3月17日は、俺にとっては、硫黄島済度の日です

これは、縁の花第254号「青山繁晴さんの硫黄島のお話」

http://www.geocities.jp/ennohana/ennohana/254ennohana.htm

 

第255号「硫黄島は生きるヒント」

http://www.geocities.jp/ennohana/ennohana/255ennohana.htm

で、紹介しましたが

経済・政治・軍事評論家として活躍している青山繁春さんが

フジテレビの番組、ニュースアンカーで

日本の領土なのに、日本人が簡単に入る事ができない硫黄島

太平洋戦争の中でも、最も激しい激戦と言われ

米軍の方が、日本よりも、死傷者が多かったと言う硫黄島に

ほんのわずかな人達と現地に入って

今の硫黄島の現状の事を話してくれた事から

この物語は、始まりました

 

その時に、青山繁春さんは、今の自衛隊や米軍が使っている

硫黄島の滑走路の下、アスファルトの下には

戦争で仕方ない面もあったのですが

多くの日本の兵士の遺骨がある事を教えてくれました

米軍は、遺骨を集めた上に、飛行機場を造っていたのです

 

しかも今の日本の自衛隊は、その事を知っているのに

遺骨を掘り出そうともせずに

平気で、戦闘機などの離着陸に使っている事も教えてくれました

日本の為に死んだ多くの兵士の、頭、胸、手、足などの遺骨の上に

飛行機を降ろしたり、足で踏んづけたりしている事を

涙ながら語ってくれたのです

 

また、青山繁春さんは、その事で、今の自衛隊を責めるのではなく

戦後、多くの日本人が、愛する妻や子供などの家族や

日本の未来の子供、祖国日本の為に戦ってくれた

日本軍の兵士達の存在をすっかり忘れている事が

大きな原因だと教えてくれました

そんな戦後の日本国民の意識が

戦争で亡くなった英霊、御霊に感謝する事を忘れて

平和が当たり前のように、暮らしている日本人、一人一人の心が

自衛隊にそうさせている事を気が付かせてくれたのです

 

そしてそんな青山繁春さんが

今の日本人が、硫黄島の英霊にできる唯一の事は

今も硫黄島に出てくる幽霊

日本に帰れない霊にできる事は

地下壕という一言で言えば、水が沸騰するような熱い

灼熱地獄のような所で、じっと耐えていた兵士達の事を思って

毎朝、冷たい水を一杯、硫黄島の方角に

供えてあげる事ではないかと言う事でした

 

そんな冷水一杯運動が

日本国民全体に広がったら

大きな国民運動になって

やがて、いくら税金を使ってもいいから

硫黄島の飛行場の下に眠っている

多くの日本人の遺骨を掘れ起こして

日本本土に帰さないといけない

今も南方の島々にある

日本人の遺骨を、本気で日本政府は回収して

全部、日本に戻せと言う活動に発展していく

そんな希望を、青山繁春さんは、述べました

いつか、遠い先でも、必ずそんな日が来ると

テレビを通して、多くの日本人に訴えたのです

 

だから俺は、そんな冷水一杯運動に喜んで協力しました

縁の花で、詳しく書いて、縁の花の読者に

お伝えさせて頂いているのです

 

しかし俺は、青山繁春さんには悪いですが

済度人なので

冷水を供えるだけでは、皆さんの心は通じても

硫黄島の英霊は、飲む事はできない事を知っています

 

だから、肉体がない英霊、御霊は、コップも、水も触る事はできないので

皆さん自身が、硫黄島の兵達の事を思って

心のチャンネルを合わせて

一緒に、一緒に飲んであげて欲しいとお願いしました

そうした時、初めて硫黄島の英霊は

飲みたかった水を飲む事ができます

皆さんの肉体を通して波動が届いて

初めて水を飲んだと言う感覚を得られるのです

 

ですから俺は、そんなお水一杯運動を自らも実践しています

毎日、朝の済度瞑想が終わった後は

硫黄島の英霊達と一緒に飲む事から始めて

カダルカナル島や、ニュギニア―戦線、

インパール戦などで餓死した兵士

東京大空襲などの空襲で亡くなった民間人

原爆で喉をやられた広島、長崎の人達と

コップ一杯の水を次々と飲んでいるのです

是非、皆さんも参加して頂きたいと思います

 

 

∞「秋山鶴次さんと済度のご縁」∞

またこれは、本当に光栄な事ですが、

俺は、金沢済度に参加した時に

硫黄島の英霊の事を

済度のある善友、YUさんに伝え

今は、何故か消滅していますが

ユーチューブで紹介されていた

青山繁春さんの番組を見せた事で

一気に、金沢済度でも、硫黄島の事が広がりました

 

その済度の善友YUさんが、熱心に伝えてくれて

済度人の中で、硫黄島の英霊を願ってくれる人が

たくさん登場したのです

 

 

しかも、これは奇跡と言ってもいいと思いますが

クリント・イーストウッド監督の映画「硫黄島の手紙」が

大ヒットした事で、日本人の関心が硫黄島の目が向いた事もあって

17歳の時に、硫黄島の戦争を経験して

米軍に救助されて生き残った秋山鶴次さんが

80歳以上の高齢の中で、講演活動を始めていたのですが

その秋山鶴次さんが、金沢に来た時に

霊界が動いてくれていたのか

講演を聞きに行って、感動した済度人の人達のご縁が生まれました

親しくなったのです

 

その上に、何と、金沢の済度場に来て頂いて

多くの人が集まっている中で

2009年3月28日に、(3月25日に栗林中将が自決)

秋草鶴次さんに講演して頂きました

硫黄島の英霊達にとっては、本当に待ちに待った日

多くの硫黄島の英霊達が救われたのです

硫黄島の英霊達が、済度されたのです

 

縁の花第285号「秋草鶴次さんの講演 17歳の硫黄島」


縁の花第286号「秋草鶴次さんの講演 戦争体験」

だから俺にとっては、済度人にとっては

1945年3月17日に、米軍が硫黄島全島を占領したと言う事は

大きな意味があります

この時が、硫黄島での、日米両軍の戦争が終わった日なので

硫黄島の英霊達を心から願って

お水を飲む特別な済度の日にさせて頂きたいと思ったのです

 

しかも、そんな俺には、ツイッターでやりとりしている

東京大空襲お水済度でも、一緒にしてくれた

Oさんや済度の善友Kさんもいます

二人も、ツイッターで呼びかけたら

喜んで協力してくれたのです

なので、きっと、3月17日の硫黄島お水済度

硫黄島の英霊達、喜んでくれたと思うのです

本当に、二人には感謝で一杯です

 

また、俺は、今回の硫黄島のお水済度では

日本兵だけでなく、米国の兵士も意識して飲みました

何故なら、食料が豊富にあった、米軍が

水に困ったという事もないし

地下壕に籠っていた訳でもないので

水を飲みたいと思って、死んだ事はないと思いますが

それでも硫黄島の戦いは、米軍にとっても最大の激戦で

死傷者の合計は、日本の2万人を超えたと言います

 

なので、俺は、硫黄島には、日本の英霊だけでなく

米軍の英霊もたくさんいて

供養される事、済度される事を願っていると思います

 

ですから、そんな米軍の兵達の御霊も

済度してあげないといけないです

戦争が終わって、英霊になった時点で

日本軍、米軍は関係なく

あるのは、国の為に戦った英霊達がいるだけだからです

 

それで俺は、3月17日は、日米の英霊達が

供養される日にしました

両軍の兵士の英霊を意識して

毎年その日は、水を飲ませて頂きたいと思います

 

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2011年 縁の花お手紙

すべての読者の皆様に緊急連絡

 

『この縁の花を読んで頂いている皆様へ

緊急連絡です

2010年、12月23日〜26日

金沢済度の旅をした事で

俺は、2011年〜2012年12月23日

俺の50歳の誕生日で

フォトンベルトに突入するとか

マヤ歴の予言でも

人類が滅亡するかもしれないと言う日まで

俺は、死ぬ気で、済度をする決心をしました

 

と言うのも、俺は、1993年10月1日

18年前に、何故縁の花を書き始めたのか

この世で、皆さん、一人、一人と

何を約束したのか

全部、明快に分かったからです

 

しかも、長年探し求めていた

日本や世界、人類を救う方法も

その手段も分かりました

答えは、すべて縁の花の中

皆さんにあったのです

 

だから、俺は、それを

この2年間という短い期間の間に

皆さんに、伝えきるつもりです

皆さんの魂と、皆さんと一緒にツイテいる

目には、見えない存在を救い切る覚悟です

 

是非、キクの命がけのお願いです

「2011年、縁の花の読者の皆様へ

キクの命がけのお願いの手紙」

をお読み頂きたいと思います』

 

2011年 縁の花のお手紙サイト

http://www.geocities.jp/ennohana/2011ennohana/ennohana1.html